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大澤澄子『いつの日か幸せになっていいけれど今すぐなってかまわないのよ』角川書店*歌集鑑賞
新年のポストにサプライズ。中部短歌会の先輩、大澤澄子さんの歌集が届いていた。歌集のご恵贈を頂くことはいつも本当に嬉しくて舞い上がってしまうのだが、こんなに心が華やいだことがあるだろうか。だって、パールピンクの麗しい歌集のタイトルが、『いつの日か幸せになっていいけれど今すぐなってかまわないのよ』だなんて。わたしはわりと言霊を信じているので、今すぐ幸せになれる魔法をもらったようで、この本を抱きしめて「ああもう今年は勝ち確定だ!」という気持ちでいっぱいになった(笑)
お察しの通り、この本のタイトルはまるまる一首の歌で、歌集の最初の連作の中の一首だ。かなしさやくるしさを含む歌がありながらも、軽やかな口語体で前向きに綴られている歌集だ。
会いたいねまたあおうねと二つ目の夏にも会えずとうとう会えず
おそらくコロナ禍の隔たりがそのまま別れにつながってしまった歌だ。わたしも、そういう友人が何人もいるので、胸に沁みる。
数分でメトロノームの百台が同じリズムになる恐ろしさ
この歌は特に印象に残った歌で、示されている景はシンプルなものの、結句の「恐ろしさ」でその景の解釈を考えさせられた。すると、同調圧力に次々ととりこまれて、みなが瞬く間に調子をあわせてしまう日本的な性質を喚起させられてどきりとした。
暮れ果てて冬より寒い風だった剃刀に似て吹く「うつくしい」
これも好きだ。凍てつくような澄み切った空気の寒さに対する、下の句の喩えが鮮やかで「うつくしい」の韻律が寒々しく響く。
黒鍵は白鍵よりも冷たいと指おくピアノ明日は手放す
これは個人的に刺さった歌だ。わたしは楽器が大好きでいくつも所有している。なかでも幼少期から習わせてもらったヴァイオリンは、かなり良い楽器を持っている。最近はあまり触っておらず、それでも気が向けばいつでも弾けると心の灯火のようにいつも傍にある。しかし、歳を重ねていつか手放す選択をしなければならない未来がわたしにも必ず来るということに、気づかされてはっと声が漏れそうになった。そのリアルな手触りを歌うだけで、楽器への愛と名残惜しさが感じられる。
女性としての艶っぽい歌もわたし好みだ。「ふりんふりん」と題された連作はおもしろかった。
夕暮れの駅前解散それぞれが知り尽くされてしまわぬうちに
粉雪の林檎の香のごと舞うように美しくてもふりんはふりん
まだ知らない部分があるほど、惹かれることがある。誰にでも短所はあるものだが、ひとまず魅力的な部分を互いに確かめあって帰路につくことに賛成だ。そして、「粉雪」の歌は、北原白秋の名歌「君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」の本歌取りであろう。軽やかにちくりと、不倫を批判しているところが良い。
「衝動買い」の一連では、やっと田舎の墓仕舞いをしてもうお墓はいらないと思っていたのに、夫の気持ちを汲んで、近くのお墓を衝動買いしたという物語がうかがえて吹き出してしまった。
「ここに来て君に会えれば寂しくない」夫の希望わたしのお墓?
わたしの実家はお寺で、お墓の問題はいつも身近に聞いているだけに、その心情にうんうんと頷いてしまう。わたしも、誰よりも自分が長生きする前提で老後のことを考えてしまう側だ。
ああわたしも、こんなふうに喜怒哀楽をきちんと受け止めながら軽やかに気丈に歳を重ねたい。そして歌い続けたい。自分の昨今の苛立ちや憤りそのままの歌を反省し、新年からほんとうに元気をもらった歌集である。
最後に、生きる力と祈りが込められた一首を紹介したい。
死ぬということではなくてこの先は光を通すものになりたい
大澤澄子さんのご健詠を祈り、感謝を込めて。
2025/01/08 淀美佑子