産声(1)
静岡から名古屋へ帰って、再就職先も決まり、絶賛CADオペ研修中の娘。
もともと亡くなった主人が仕事で使用していた関係で、CADは小さい頃からおもちゃ代わりにしていて、今のところ順調に研修は進んでいるようだ。
ただこれは、本来の目標である「ギターリペア職人」への道へ進むための布石に過ぎず、いきなり職人として生計を立てられると思っていない前提の選択。
ニートにはさせませんよ。もう巣立ったのですから。
(あ、ごめんなさい。ニートに『させてやれなかった』ってのが正解。自分も生活ギリなんで苦笑)
「修行先は自力で探す」
前向きながら、なんとも曖昧な返事は聞いていて、「じゃあ、しっかりね。」とだけ返事していた。
24歳、いい大人だ。「私」のではなく、「娘」の人生なのだ。
とはいえ…
心の中では、(そこから具体的にどう動くの?アテはあるの?どうするの?ねえ、大丈夫なの?もーーー)その他諸々問い詰めてしまいそうな気持ちをぐっとこらえていた。こらえていたともさ。
しかし、我慢は限界を超えた(早い)。
親馬鹿マシーン発動。
音楽業界に通じている(っぽい)、ある方に、図々しくも打診をしてしまった。
その人とは
↑↑このプリンではないです!はい!
パンク&シュール、時々感動のブログ4コマ漫画家「マンモスジャパン」さん(以下マンモちゃん)のストーリーお手伝い作家兼、保護者(?)兼、マンモちゃん創作ゼリー毒味担当の「Nさん」。私が青春真っただ中、音楽に明け暮れていた頃、活躍していた大御所バンド「ニューロティカ」ともご縁がある。
実はNさん、本業の傍らで「あかり」というバンドのギターとしても活動している。あかりのメンバーと共に「平和への願い」を歌に乗せ、多忙な日々をおくるNさん。時折マンモちゃんからも、「あかり」の活動進捗がツイートされている…てことは、何かが始まるのか、既に始まっているのか・・・
ゴクリと見守っている最中です。
今までNさんが絡むことで、面白くなかった出来事は1度もない!
ちょっとひくことはあるけど(笑)
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2019年8月29日
「Nさん…あの時の話ってまだ生きてます?」
「あ、娘さんのリペア修行先の話ですか?」
「ええ。先日再就職先も決まって、土日もしっかり休めるようなので。落ち着いたらその休みの時間を、リペアの修行に使いたいと。修行先も自力で探すとは言ってるんですけど、心配で…。」
「こないだ下北沢でもおっしゃってましたね。実は名古屋にいい腕をもったリペア職人のお店があったんですが、廃業してしまっていて残念です…。関東方面にはなると思いますけど、まだ知り合いがいるので聞いてみますね!」
「ほんとですか!忙しいのは承知だったんですけど…お願いしてしまってすみません。」
「いえいえ!リペアもピンきりなんですよ…大手にもいい腕のリペアマンはいると思いますけど、僕はどちらかと言えば個人商店の方との繋がりでお願いすることが多いですね。その熱意があるなら喜んでご紹介しますよ!」
「有難いです。もともとリペアマンを目指して学校も3年行きましたから。モノになってもらいたいのが親の本音で。」
「…あ!ならば逆にこちらから、娘さんにお願いしたいギターがあるのですが。もちろん、仕事として。」
「仕事として…ですか?」
「ええ。宜しければ預かってみませんか?時間はどれだけかかっても構いません。練習だと思って。」
そういってNさんから送られてきた、2枚の写真。
「あれ…メーカーのネームがない…自作ですか?」
「よくお分かりで。実はこれ、20年ほど前に、ある学生さんからから寄贈してもらったギターなんです。彼もギター職人を目指して学校に通っていたんですけど、『自分には才能がない』と言って諦めてしまった。今はシルバーアクセサリーのデザイナーをしているんですが。」
「なるほど…それでネームがないんですね。」
「形はギターとして成り立っているんですけど、肝心の音が出ない。かと言って思いを込めて作っているのを知っていたので、ケースに入れたまま保管してあったものです。宜しければこのギター、娘さんの手でリペアして、音が出るようにしてほしいんです。お願いできますか?有料で構いませんので。」
「有料なんて滅相もない!…早速娘に連絡取ります!」
千載一遇のチャンスとは、こういうところから始まると思う。
その場で私は写真と共に、娘にLINEをした。
(-to be continue-)