梶山 学
(2022年7月1日の記事)
皆様の周りにもいますよね、プロフェッショナルな人。
僕の趣味はご存知ディスクゴルフなのだが。もうかれこれ競技歴17年。飽きずに楽しんでいる。飽きるどころかその火は消えることなく、好きになる一方で。改めて今回は自分のために、振り返りをしておこうかな、な内容。
あ、長くなりそうな予感がしますね。ちょっとやだなーって思いました?ちょっと面倒だなーって思いました?動物の本能、直感っていつも正しいですよ。ええ、本当です。そんな、そこのあなた、あまり読み進めるのに気が乗らない貴方様へ。一旦ページを閉じていただいて、まずは深呼吸。そして、そっと目を閉じて、ゆーっくりと僕を思い出して下さい。ぼやーっと僕が出てきましたか?おっと、ほらほら。悲しそうに見つめる僕がそこにいますよ、ほらほら。仕方がない、読んでやるか?という気持ちが湧いてきたでしょう?そう、僕は心理誘導をさせるプロフェッショナル。いや、嘘です。
とにかく、である。とあるエッセイに影響を受けて、心の思うままに一筆書きもいいじゃないかと書いたので許してほしい。先程は無事に?着地できたのが奇跡。ここからはちゃんと書く。やっぱり長くなりそうだな。ええ、大丈夫です。そんなあなたはこっそり、ここで脱落して下さい。
では、本題ディスクゴルフ。僕にディスクゴルフを教えてくれた諸先輩方は沢山いる。その中でも同じ時代をともに成長というタイミングを過ごした梶山学君の話をしよう。ディスクゴルフを知り、自分で道具を買うようになるくらいにハマっていれば知らない人はいないであろう、絶対的日本王者。知名度でいえば、日本より本場アメリカの方が凄い人。ディスクゴルフメーカーからスポンサーがつき、学プリントが入るオリジナルが販売されるくらい凄い人。世界大会でアメリカに訪れた際、空港でサインを求められるくらい。どうだ、凄いだろ。そりゃもちろん日本の大会ともなればサイン、写真は求められるが、世界での知名度の方が抜群なのである。ほら、まだまだ知らない世界があるでしょう。
そんな学君とは20代前半、僕がまだ競技を始めて1年目くらいの時期に、大会の関係で僕の家に泊まりに来たのがきっかけで知り合った。その頃の彼はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、日本ではもちろん世界への挑戦で名前が売れ始めていた。一歳下の彼から滲み出る自信と優しい笑顔は今でも強烈に覚えている。
その後は半年に一度くらい会うペースで、彼のホームグラウンド福岡へ練習合宿をしに行ったり、関西で試合があれば、家に寄ってくれ一緒に練習をしたり。共に成長してる、そんな関係だった。
もちろん、その間も彼は世界へ挑戦し続けていたが、悔しいくらいに世界の壁の高さに突き返されていた。ただ、彼の心は諦めることなくむしろ次こそは世界一と一直線だった。僕はそんな彼の姿勢を尊敬しており、それはいつしか憧れになっていた。
コロナが落ち着き2年ぶりに大会があり、会うのも3年ぶりくらいだった、この6月。彼の成長ぶりに驚かされた。いっても、まだまだ追いつけるだろうくらいだったのに、ちょっと会わない間に。ええ、それはそれは一つの完成された作品のようで、心技体全てにおいて今までとは違っていた。まるで別格。今っぽくいえば、シン・マナブになっていた。その域まで来ているので、大会で優勝して世界一になることよりももっともっと違う次元。彼そのものが美しい作品に近かった。競技のその先にあるもの。そんな姿だった。
と、プロフェッショナルな彼から僕はいつも刺激をもらっている。プロディスクゴルファー梶山学の凄さを伝えたが、共にやってきた僕を舐めてもらっちゃ困る。そんな学君に勝てるのは僕だけだと、わりと本気で思っている。今回の差はちょっとやそっとでは埋められないだろうが、結局は努力した結果なので、彼以上の努力をすれば勝てるのだ。簡単なことだ。ふっ。
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