『人に頼む技術』を読んで、自分用に第一部をnoteにまとめてみた。
こんにちは、よだだよです。
先日、「コロンビア大学の嫌な顔されずに人を動かす科学 人に頼む技術」という本を読みました。
その中の第一部である、なぜ頼み事するのは難しいのか?を簡単にまとめたいと思います。
本の内容を全て記述するわけではないので、詳しくは本で読んでみてください。
よろしくお願いします。
<第一部> なぜ頼み事するのは難しいのか?
第1章 誰かに何かを頼むのを気まずく感じる理由
ほんの些細な頼み事を想像するだけで、人は不快な気持ちになる。
現在では、職場などでも共同作業やサポートが不可欠です。以前より、日常的に誰かに助けを求めないといけなくなっている。
頼み事をする機会が増えるにつれ、小さな苦痛を感じる場面も増えている。
- 私達は頼みごとの方法を間違っている
頼み事による苦痛を避けるために、誰かに助けを求めるのを避けています。
その結果として、必要なサポートやリソースを得られていません。
加えて、"こうすれば人が自分を助けてくれるはず"と直感的に考えていることは、たいてい間違っています。例えば、ぎこちなく申し訳なさそうに頼み事をすると、相手の"助けよう"という気持ちは薄れます。
私達は相手になにか強いることを嫌いますが、それが意図せず相手に強いることになってしまっている。
自発的な気持ちで、熱心に相手を助けようとするとき、人は良い気分なります。しかし、他社にコントロールさていると感じると、この良い気分は消え去ってしまいます。例えば、誰かを助けるように指示されたり、誰かを助けなければいけないと考えていたり、助ける以外に選択肢がないと感じていたりするような場合です。
つまり、誰かを助けることで良い気分になるには、自ら望んで支援の手を差し伸べているという "主体性の感覚" が不可欠です!
- 私達が助けを求めるときに気まずさを感じる理由
誰かに頼み事するときになぜこれほど苦痛を感じるのか理解するには、人間の脳の仕組みを知ることをが役に立ちます。
・「ステータスへの脅威」から生じる痛み
・「確実性への脅威」から生じる痛み
・「自律性への脅威」から生じる痛み
・「関係性の脅威」から生じる痛み
・「公平性への脅威」から生じる痛み
これが社会的苦痛の5つのタイプです。
私達が人に頼みごと・助けを得ようとするときに、この5種類の社会的苦痛をすべて同時に体験する可能性があるんです。
これこそ、私たちが人に頼み事をするときに苦痛を感じる理由です。
第2章 なぜ頼んでも断られるだろうと思うのか
誰かに頼み事をするときに感じる苦痛の大きさは、その要求がどれくらいの割合で拒絶されるかの予測によっても変化します。
実験の結果、頼み事を承諾する見込み(成功率)を平均で約47%低く見積もることが明らかになった。つまり、私たちが思っている以上の約2倍、人は誰かを助けたがっているこということです。
なぜ低く見積もるか?
私たちは頼まれたときにどれほど不便か、煩わしいかに意識を向けます。そして、相手がそれを面倒と感じるだろうと思うほど、成功の見込みは薄くなるだろうと考えます。一見論理的な考えに思えますが、重要なことを見逃しています。
それは、頼まれた側が「ノー」と断るときに生じる負荷です。
- 頼まれた相手はプレッシャーを感じている
最近、誰かから頼まれたことを思い出してみてください。
頼み事されたときには、「イエス」といわなければいけないという心理的、対人的なプレッシャーが大きくかかっています。
このプレッシャーは頼まれた側にとっては顕著に感じられるものですが、頼んだ側には感知しにくいものなのです。
- 「一度断られた相手は、次も"ノー"と言うだろう」という誤解
頼まれたことを断る理由を見つけるのはそれほど難しいものではありません。
だからこそ誰かに助けを求めても相手が100%それに応じてくれるわけではないのです。「今忙しいから」、「今日は体調が悪いから」と言った言い訳は罪悪感を和らげてくれます。毎回同じ理由で断るわけにもいかないので、別の理由を見つけないといけません。二回目頼まれたときにはもっとうまい別の異なる理由をみつけなければいけません。
研究結果から、最初にリクエストを断った人が、二度目に応じる可能性は上がります。一度「ノー」と行った人に別の機会に頼み事したとき、助けてくれる確率は、低くなるのではなく、高くなるのです。
- 「ドア・イン・ザ・フェース」と「フット・イン・ザ・ドア」
「ドア・イン・ザ・フェース」と呼ばれる有名なセールス手法も、まさにこの考えに基づいています。このテクニックはとても簡単です。
まず、極めて難しいか的はずれな、相手が必ず断ると思われる要求をします。
それから、最初のものに比べてはるかに合理的な要求をします。そうすることで2度めの要求が通りやすくなるというものです。
このテクニックの効果が起こる理由の一部は、「コントラスト効果(対比効果)」で説明できます。2つのリクエストは、1つめのものと比べて些細に見えるので、大したことでないと感じるのです。
また、効果が起こるもう一つの大きな原動力は「社会的責任」です。
私たちは、"誰かに頼み事をされたときに、親切で協力的であるべきだ"という考えを持っており、2度続けて断ることに耐え難い抵抗や罪悪感を感じ、その結果として「イエス」と言いやすくなるのです。
- 不快感を修正したくなるという心理現象
「認知的不協和」は不思議な作用をもたらします。
人間は一貫性を大事にしており、自分の頭の中にある複数の考えが一貫していること、その考えと一致している行動することを好みます。
過去に助けた相手を今度は助けようとしないということは矛盾になり、認知的不協和の不快感や緊張感が生じます。研究によれば、人は最初の要求に応じたあとは、さらに手間や労力をかけて進んで相手を助けようとします。この事実は、「ドア・イン・ザ・フェース」の逆セールス手法とも言える「フット・イン・ザ・ドア」と呼ばれるテクニックに影響を与えています。
「フット・イン・ザ・ドア」とは、
まず間違いなく相手が受け入れてくれそうな、ごく簡単な依頼をすることから始めます。相手が「イエス」と答えたら、次にもっと大きな要求をしてきます。
私たちは誰かに助けを求められたときに「ノー」というのがどれほど難しいかは理解しています。そのことを、誰かに助けが必要になった時に頭に入れておくだけで、頼み事がはるかに簡単になるでしょう。
第3章 "頼み事をしたら嫌がられるかもしれない"という誤解
- 頼み事に応じるとその人に好意を抱く
まずあるエピドードを紹介します。
AさんとBさんがいます。Aさんも、Bさんもそれぞれのことをあまり良く思っていませんでした。
あるときAさんはBさんに「Bさんのもっている貴重な〇〇な本を貸してくれないか」と伝えました。
Bさんはすぐに本を送ってくれました。私は1週間後、熱い感謝の手紙とともにBさんに本を返しました。
その後、BさんはAさんに対して好意を抱き、良き友人となりました。
一見すると、よくわからないエピソードかもしれません。
認知的不協和(第2章)のことを思い出せば、納得いくもので、十分に起こりうる話に感じられると思います。
考え : Bさんは、Aさんのことが嫌い
行動 : Aさんに貴重な本を貸した。
Bさんの中では、矛盾が生じます。一貫性を保つために、この矛盾を解消しようとします。しかし、「Aさんに貴重な本を貸した」という行動は時間を戻さない限り取り消せないので、Bさんは考えを変えるしか無いのです。
考え : Bさんは、Aさんのことが嫌い
↓
考え : Bさんは、Aさんのことが嫌いでない
考えを変えることでこの矛盾は解消されます。好きな人のために好意的な態度をとることは、ごく自然で一貫した行動なのですから。
このように、認知的不協和には助ける側へに好意を抱かせる効果があります。
ほとんどのひとは、"助けることは、助けられるよりも、はるかに印象を良くするものだ"という間違った考えを持っています。
実は、助けをもとめることで相手から良くない印象を持たれるかもしれないと心配する理由は殆どないのです。
- 与えることがもたらす良い気分も過小評価されている
"与えることと得ること"を基準にして人間をタイプ分けした場合、「ギバー(与え流人)」と呼ばれる人はわずかにしかいません。長年にわたりのテーマを研究し続けてきたペンシルベニア大学ウォードン校アダム・グラントによれば、ギバーに相当する人は人工の2割。ギバー、他者を頻繁かつ寛大に助けます。自分が得るよりも多くを与えることを好んでいるようにすら思います。グラントは他に、「マッチャー」(公平さを重視し、他者から得たものと同程度を与えようとする人)、「テイカー」(その名の通り、与えることより得ることを重視する強欲な人たち)を定義しています。
「ギバー」のひとは、さまざまな業界で働く中で(ソフトウェアエンジニア、ベンチャーなども)、最も成功する人たちでもあり、もっとも成功しないひとでもあります。最も成功しないギバーは、他人を助けることに多くの時間を費やしすぎて、自分の目標のために十分な時間を費やせていないケースが多く当てはまります。
しかし、このような状態に陥らず、うまく自分の時間とのバランスを保てると、その"与える"性質から、もてつもない大きなメリットを得ます。
3つのタイプの中で、最も豊かで深い人間関係を築き、多くの支援者がいて、周りの人に大きな影響を及ぼします。また、他人を打ち負かすのではなく、潮が満ちて全員が乗るボートが持ち上がるような状況を作り出すことによって成功します。その人生は、豊かで充実感があり、意味と目的に満ちています。
私たちの多くは「ギバー」ではありません。けれど、私たちがけして与えないというわけではありません。人口の8割は"与える時もあり、与えないときもある"人なのです。身勝手なところですが、与えないときよりも与えるときのほうがはるかに幸せな気分を味わいます。私たちが助けを求めるとき、このことを忘れがちです。
そこで、与えることでどんなふうに気分を良くするのか、詳しく説明します。
- 助けることは気分を高める
誰かを助けることで得られるメリットは、良い気持ちになれることです。
心理学では、私たちが世の中のために何かをするときに、「温かい気持ち」になることを明らかにしてきました。
- 助けることには、ひどい気分を和らげる効果もある
私たちは時々、自分自身が元気になりたくて人をたすけようとします。助けることで良い気分を味わいたいというより、悪い気分を和らげるために人を助ける場合がります。
また、誰かを助けることは、悲しみだけでなく、"罪悪感"に対しても解毒薬として作用します。
他者に害を及ぼす何かをしたとき、私たちは罪悪感を覚えることで、その害を修復しようとします。そうしなければ、集団から追い出されてしまうという不安に襲われるからです。
それでもなんらかの理由で罪悪感を覚えた場合、"私は、本当はそのような卑劣な人間ではない"と自分を説得するために、誰かを助けることが一番効果的な方法になるのです。
- 人を助けるほどに、人生の満足度が上がる
「多くを与えるほど、人生は充実する」と聞いても、驚く人は少ないはずだと思います。
例えば、慈善活動やボランティア活動をしている人たちは、人生の満足度や健康状態、自尊心が高いことが分かっています。こうした活動することで、実際に気分が良くなり、外見もハツラツとし、自分のことが好きになるのです。誰かを助けるのに高尚な目的は不要です。些細なことでも幸福感は高まります。ただし、生活の質を上げたいのであれば、他者に対してお金を使いましょう。
ある調査結果でも、自分のためでなく、他者のためにお金を使ったほうが幸福度が高く、金額の多寡は幸福度に影響していませんでした。
誰かに助けを求めることは、その相手に長期的なメリットを享受する機会を与えることでもあるのです。助けを求めるのは利己的であると考えている人もいるかもしれませんが、助けを求めない方がむしろ利己的な行動だとすら言えるかもしれません。
誰かに助けを求めようとするときに、必要以上に気まずさを覚える必要はありません。頼み事するときには、不安な気持ちでいっぱいになるものだと思い、適切な方法をとれば、それは頼まれた側にとって、自分自身や依頼者に対してとても良い感情を抱く機会になるということです。
ここまでが第一部のなぜ頼み事するのは難しいのか?の内容でした。
簡単にまとめたので、わかりづらいところもあるかもしれません。
また、認知的不協和や一貫性の法則など心理学用語もあり、そこに対して深く解説していないので、筆者が思っている以上に難しいかもしれません。
その点に関しては先に謝っておきます。すみません。
第2部の良い頼み方、ダメな頼み方、そして、第3部の人を動かす3つの力について、引き続いて別のnoteに書いていこうと思っています。
最後まで、ありがとうございました。
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