「インターネット」「名前」「検索」
私個人は、幸いなことに同姓同名の芸能人がいるため情報はあまり露見しない。おまけに地名などの対象を絞り込むことができるような文字列を追加しても、学者のポータルサイトがヒットするだけである。ありがちな名前で良かった。
無限に近い海
ふと思い立って、学生の頃そこそこ親しかった女性の名前をGoogle検索欄に入力した。なんとなく、人名ではあまり使用されない漢字を含んだ彼女の名は、疎遠になってから数年が経過しても脳裏に残っているのだった。
一発でヒットし、得た情報は下記の通り。
・現在のおおまかな所在地
・学歴
・学生の頃に作成していたnote記事(写真付き)
もっと辿れば、彼女のTwitterなりフェイスブックなりがヒットして、パーソナルな情報を垣間見ることができるのだろう。インターネットは無限に近い海だと思った。掬える範囲は狭いのに、絞れば深海魚だって釣れてしまう。
学生の頃は自分たちが発信している数行の文字や、ガビガビの画質の写真などが大した意味をもつとなど思ってもみなかった。だからこそ、彼ら彼女らは本名全開でツイッターやインスタグラムを開設し、身内にしかわからない教員ネタや地元ネタを全世界に公開していた。
大体においてそういうアカウントは年月の経過とともにパスコードを持ち主に忘れ去られ、荒れ果てた空き地のようになっている。数年前の、本名大公開の状態で。
わたしはそれらの空き地が細い土管で繋がっていることを知っている。
フォロー・フォロワーといった縁のある人間へ飛び、また飛び、また飛び、を繰り返していると、突然に放置されていた空き地がきちんと整備されている土地へ繋がっていることがあることも知っている。
本名大公開はやめたとしても、デートでどこへ行っただ何を食べただ別れただ付き合っただなどの個人情報を躊躇いなく公開する点は変わらない。
同い年のあの子は、いつのまにか地方へ移住し、プロポーズされていた。同じ環境にいた時期でさえ、直接話した回数は片手で数えられるほどであった彼女は、整った容姿と負けん気の強さと運動神経の良さを有する女性だった。教員に好かれ、大体の校則違反を大目に見てもらう、要領の良さを擬人化したようなひとであった。と私は記憶している。
プロポーズに至るまでの詳細は知りえぬが、彼女が高校生の頃に長く交際していた男性に浮気をされ、傷つき、それでも高校卒業後も付き合い続け、たまに愚痴をツイート(ポスト)していたことを知っている。「なんでもない日の花束」という文字と、青く彩られた爪で支えられたそれの写真を見ている。
彼女の中でわたしは最初から認識されていない人間であったと思うし、冒頭で記載したようにありふれた名前を有する私の個人を特定する手がかりなどないに等しいであろう。
透明な部外者から日常生活の断片をのぞき込まれているという感覚は末恐ろしい。
だから私は公開アカウントにしない。
単純である。私自身がネットストーキング気質であるが故だ。
この記事をたまたまここまで読んだあなたも、学生の頃のノリで作成したアカウントを思い出して背すじをひやりとさせてほしいものだ。夏だし。