「申し訳ございません」と、煮えたぎるはらわた
映画「死霊のはらわた」を見たことがない。自称・映画好き(かじる程度)であるが、ホラー映画は苦手なので。
霊にもはらわたなんてものがあるのだろうか。絶賛原因不明の腹痛と格闘中のわたしは、はらわたを有しながらも感覚は欠如しているであろう霊を少し羨ましく感じる。
腹痛とは別に、ぐらぐらと煮えたぎるような憎悪も腹の中に持ち合わせている。痛みと憎悪の同棲生活。きっと毎日が地獄の窯の底の形相であろう。
すみませんとSorryとわたしの周囲の海外の人
わたしは「すみません」と口にするときは謝る気はさらさらなく、「申し訳ございません」はふてくされているときに使用する。
Sorryも同様に、あなたソーリーって書き添えた方が良いわよ、と言われたときにしか書かない。仕事でほんの少しだけ英語圏の方とやりとりを行うが、彼らは知る限りでは簡単には非を認めない、謝らない、謝ると決めたら主語はIではなくWeを使用する。
Why?と問われて反射的にSorryを打ち込み、その5文字を消してまた書き直すということを繰り返していたら、いつのまにか私も謝ることよりも説明を行うように思考が少し変わってきたような気がする。
悪いことではないと思うけれど、あくまでもビジネスの関係性だからである点と、日本人同士のコミュニケーションでは相手を慮ることのほうが重要視されている点においては、少々気を付けないといけない。単に自己主張の強い、あるいは自己保身に走りがちな人間性であるとみなされると、その評価を覆すのは容易ではない。
とかなんとか書いていたけれども、昨日痴話喧嘩をした際に謝罪を繰り返す相手に対し、
「何に対して謝っているのか」「今後同様のことを繰り返すのか」
を説明しろと迫った。そして謝罪というのは、それらの上で成り立つものだと懇切丁寧に教えた。言葉にしなきゃ他人には伝わらないし、すみませんと口先で謝ったところで何が解決するのだろうか。謝られて気持ちが良いのは非がある側だけであり、不快な思いを強いられている側としては時間の無駄である。
やはり「すみません」は謝罪の言葉ではなく、頼みごとをするときの枕詞として使用すべきだし、「申し訳ございません」と書くのであれば理由と対策を書き添えなければ「申し訳ございません」は成立しない。
適当に謝ってりゃいいと思ってんじゃねぇぞ。