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正解探し

何か物事を進める時。
何か新しいことをする時。
経験した事が無いものに向かう時。
皆はどんな気持ちでその「新しい」に向き合うでしょうか?

こわごわと石橋をバシバシたたく人。
何があるか分からない未来にワクワクする人。
自信がなくて「踏み出さない」という選択をしようとしている人。
様々だとも思います。

かくゆう私は、ワクワクと不安が半々になる事が多い。
そして、不安が勝ってしまい、それでもその事を進めなければいけない時。
何が正解か?どの答えが多数回答か?などを探し始める。

これが、一般的に言われる「正解探し」だと思う。

先日、とある方からこんな風に言われました。

正解探しは大いにやりなさい

以前の投稿にも上げた事がありましたが、それまでの私は自分の意見を持たず、いかに人の意見を遂行させることができるか?という少し拗れた感性を持ち合わせていました。
今ではだいぶ薄くなってきている「人に合わせる」という感覚。
自分が無く、他力本願的な思考の自分が嫌になった自分からすると、この「正解探し」は、まさしく人の意見を探しているようで、どうも好きになれなかった。
ただ、この方は正解探しは大いにやりなさい。とい言った後、こうも続けた。

どこかにあるか分からない正解を探すのではなく、
自分が選択したものをどうすれば正解になるのか?
これを探すのが、私が思う正解探しです。

この言葉を聞いた時、
確かに正解が存在するかどうかも分からない物に振り回されるより、
自分の選択を正解にしていく方が自分自身が楽しいし、何を選択してもいい事になる。

何か新しいことを始めると伝えると、何人かからは、
・やめときなって
・できるわけないじゃん
・何に感化されたの?

と、否定的というかその1歩を止めようとする人も出てくる。
が、その止めに入る人達の多くは、今進もうとする道について未経験者であったり、知識不足である場合が多いことも知っている。

だから、こそ「答えは自分の中にしかない」と言う事を改めて腑に落とすことができた。

今、何かに挑戦している人がいるのであれば、その選択を「正解にする」と決めて取り組んでみてください。
その先にあるものが、最初自分が描いた正解と異なっているばあもあるだろうけど、それは体験してみて気づいた結果。
確実に次に繋がる大きな価値になると思います。
私もそうして自分の正解の制度を上げていきたいと思います。

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