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面白い人生
まったくもって器用に生きられず、人生のレールを踏み外し、右往左往しているうちに「おじいちゃん」になりつつある、自称「さすらいの大衆酒場ハンター」こと、私であります。
若い頃、「他人と同じような人生を歩くなんて、真っ平だね。あの、リクルートスーツを着て集団でオリエンテーションを受けるなんて、考えただけでもゾッとする」などと嘯いたこともありましたが、自分はそういうことを拒否しているのではなく、ただただできないだけであって、じつは、そういう普通の、レールに乗った人生を全うすることこそ大変なことなのだ、ということを、歳とってから知ることになるのですがね(苦笑)
まあ、大人になってからも集団で連むとか、同じような恰好でマスゲームのような行動をするとか、今でも反吐が出るほど嫌なことではありますが(苦笑)。
あっちでつまずき、こっちでひっくり返り、人並みということが一切出来ず、ホント、自分は二流、三流の人生を送ってきたものだと思います。
今でこそ、こういう生き方でも誇りをもって、楽しんで生きればいいと腹を括ることもできましたがね。
若い頃は大変でした。
もがいてももがいても、上に上がれない、というより、どんどん下に沈んでいく。
同年代の人達の、華やかな活躍を横目に、自分はそういうステージさえ上がることを許されず、半睨みで世間を見つめ、とにかく、与えられたことに全力投球で進むことしかできなかった青春時代だったと思います。
そういった、もやもやとかイライラとか、怒りとか欲求不満とかのエネルギー全てが、血となり肉となり、今の自分を形成しているのだ、ということに気がつくのに、60年かかりましたがね(苦笑)。
そう、今思えばですが、自分が経験したこと全て、何一つ無駄なことはなかったと思うのです。
当時は悔しくて、惨めで、腹立たしかった一つ一つのことも、自分という「クリスマスツリー」の大事な、キラキラ輝く飾りとなっているのです。
まあ、何があろうともコツコツと、腐らず前を向いて歩いてきたからこそ、そういう気持ちに到達できたのだと自負しているのですがね(ひそかな自慢。ただただしつこいのか、鈍いのか、って話でもありますが)。
敬愛する山田太一先生が亡くなりました。
もう10年以上、表立って活動されていらっしゃらなかったし(隣席の同年代の編集者曰く、かなり前にインタビューを試みたのだが、もうその時点で体調が悪く、お断りされたとの話)、それほど遠くない将来にその訃報を聞くかもしれない、などと思っておりましたが、それでも、こうしてそれが現実となってしまうと、ガクッと力が抜けたような、そんな淋しさが、冷たい風のように心の中を駆け巡ります。
「ふぞろいの林檎たち」。ちょうど同年代の、「二流、三流」の若者達が悩み、傷つきながらも、生き生きと人生を謳歌している姿を、毎回毎回、必ず涙しながら観ていたものでした。
先生が亡くなられてから、このドラマを作るにあたってのインタビュー、という映像を見たのですが。
「若い人、たくさんたくさん話を聞いたんだけどね、一流大学に行って、順調満帆に生きている人より、いわゆる二流、三流でいっぱい傷つき、それでも逞しく生きている人達のほうが、断然話が面白いんだよね」
それがこのドラマを作るきっかけになった、ということなのだそうです(べろんべろんに酔っ払っている時に見たテレビだったので、多少の間違いはあるかもしれんが)。
そう、自分の人生は面白いんだ。
オリジナルの人生を生きているんだ。
そう、先生に背中を押されたような気がして、またまた号泣した夜でございました。
ご冥福をお祈りします。
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