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般若心経ってどういう意味?!その2

さて、いよいよ本文の内容を見ていきます!

冒頭の始まりの部分から

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時」

=観自在菩薩が般若波羅蜜多を深く行じしとき

おっと。早速意味がわかりません(笑)

細かく分解していきましょう。

観自在菩薩とは

「観自在菩薩」とは観音様のこと。

サンスクリット語の
アヴァローキタイシュヴラ ボーディーサットバ
avalokitasvara bodhisattvaの漢訳で

avalokita=観察された
isvara=自在者
bodhisattva=菩薩。悟りを求めて修行中のもの。

観自在とは、いろいろなものを観察することが自在であるという意味。

また、別名の観世音は、「世間の音を観察する」という意味で、
人々の苦しみを観察しそれを救うための手立てを教えるという慈悲深い仏様なのだそうです。

いずれにしても様々のものを自在に観察し深く見る、感じることができる存在であるということなのでしょう。

行深般若波羅蜜多時

前回書いたように
般若波羅蜜多は悟りに至る智慧のことを指します。

行深は「深く行う」という意味。

合わせて「悟りに至る智慧を身につける深い修行をしていた時」という感じでしょうか。

「悟りの境地に達するために徹底的に真実を見つめ続けた。」「そして、その真実が見つかりました」「その知恵を授けましょう」といったニュアンスでしょうか。

つまり

般若心経、冒頭の一節

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時とは

「色々なものを自在に観察できる観自在菩薩が、深い悟りに至るための修行を行ったところ、悟りに至りました。そこで分かったことをこれから話しますよ。ということになります!





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