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それぞれの過去から一つの未来へ

自然や動物、環境保全などに関する海外メディアの中で、個人的に気になった記事や番組を紹介し、そのことから思い浮かんだこと、思い出したことなどを綴る。


今回は「気候危機をめぐる世代間の対立」について。 
フランスのラジオ番組「De cause à effets, le magazine de l’environnement」から、2023年6月20日の放送「Tous génération Climat」の内容を一部引用しつつ、心に浮かんだあれこれを記す。

* De cause à effets, le magazine de l’environnement:環境問題に関連する一つのテーマを取り上げ、研究者、アーティスト、思想家、活動家などのゲストと共に考える番組。ラジオ・フランス「france culture」にて毎週火曜日放送。司会 Aurélie Luneau(歴史学者)


「Tous génération Climat」
ーすべての気候世代へー

ゲスト
Salomé Saqué :ジャーナリスト。著書『Sois jeune et tais-toi』(Payot出版)
Bruno David:博物学者、古生物学者。著書『Le jour où j’ai compris』(Grasset社)

気候危機をめぐり対立する国々や人々。世代間でも大きな亀裂が生じている。一定の定義はないが、一般的に、「Z世代」に代表される1990年代半ば以降に生まれた若い世代を「気候世代」と呼び、気候変動の影響下で生涯を過ごすことになる彼らは、他の世代と比べ、環境問題への意識が高いとされている。

番組では、「気候世代」を代弁するSalomé Saqué氏と「ベビーブーム世代」のBruno David氏が、世代間の対立や若い世代の現状などについて意見を交わした。異なる背景や視点を持つ2人のゲストの対話がとても興味深い放送回だった。

まず、彼らの共通の認識として、次のことが語られた。

「気候世代」と言われることがあるが、どの世代にも環境問題に関心を持っている人と、そうでない人がいる。これは世代間の対立の問題ではない。気候危機は非常に深刻で切迫した状況にあるにもかかわらず、対立することで、互いの時間と労力が無駄になっている。

「De cause à effets, le magazine de l’environnement」

「子供でしかない私の言葉は聞かなくてもいいけど、科学者の声は聞いてほしい」
若い世代の環境アクティビズムの象徴的存在となったグレタ・トゥーンベリ氏が、16歳の時に行ったスピーチの言葉である。

Salomé Saqué氏はこの言葉を受けて、以下のように話していた。

実際に温暖化の影響を最も強く受けるのは若い世代である。彼らは、将来の地球環境について不安や憤りを感じている。さらに絶望的なのが、政治や企業のトップなど、環境政策の舵を握っている世代が本気で行動をしないことだ。

「De cause à effets, le magazine de l’environnement」

フランス国立自然史博物館の元館長でもあるBruno David氏は、1月の比較的暖かい週のある朝に、まるで3月のように鳥たちがさえずっていたにもかかわらず、周りの人たちは、そのことに誰も気づいていなかったという出来事を話し、次の点を指摘した。

現代人は、好奇心や観察力を失ってしまったように思える。耳にはいつもイヤフォンをつけ、視線は携帯電話の画面に向いている。小さな花や昆虫を探したり、生き物を観察することで、生物の多様さを意識し、豊かで神秘的な自然に興味が芽生え、そして好きになる。好きになることは、心配し守ることであり、最終的には自分たちの行動を改めることにつながる。

「De cause à effets, le magazine de l’environnement」

対話の中では、レイチェル・カーソンの本のタイトルでもある『センス・オブ・ワンダー』と同義のフランス語、「émerveillement」という表現が使われていた。自然の神秘や不思議を感じ、感動したり驚いたりする感性のことを指している。

今日の教育においては、将来どの職業に就くか、何になるのかばかりが重視され、社会的なプレッシャーが非常に大きい。自然観察のように、生産性がなく無益とみなされがちなことに時間を割く余裕がない。教育に携わる教師の世代についても同じことが言える。世代を超えて、現在の価値観やライフスタイルを見直し、今の社会を変えていかなければならない。

「De cause à effets, le magazine de l’environnement」

私はベビーブーマーの子供世代で、2人のゲストのちょうど間の世代である。
地方都市の郊外の小さな港町で育った。親の趣味なのか私がおねだりしたのか覚えていないが、子供の頃から家には、アヒル、小鳥、犬、猫、昆虫、亀、魚など何かしらの生き物がいた。頼んだわけでもないのに叔父が毎年くれるカブトムシの幼虫を半ば義務的に育てた。今とは違い、成虫になった時にあげる便利なゼリー状の餌もない時代だったので、家にある食べ物の中で何を喜んで食べてくれるのかを観察した。夏場の家の中に漂う古くなった野菜の匂いはあまり好きではなかった。家も庭もそれほど大きくなく、現代のアニマルウェルフェアの視点で考えると、22歳で大往生を遂げた猫を除いては、誇れる生育環境ではなかったと思う。

子供の頃は、目的もなく家のそばの海岸をうろうろして過ごした。漂流するペットボトルなどがまだなかった海岸には、誰かが捨てたオカルト本や成人向け雑誌があり、見つけては棒でページをめくったりした。任天堂ファミコンが世に出るまでは、友達の家で遊ぶといっても別に急ぐ必要はなかったので、学校の裏の林の傾斜を無駄に登ったり降りたり、木の根につまづいて転んだりしながら行った。
野良犬も野良猫もあちらこちらにいる時代。家の猫も近所の家のタンスの中で勝手に寝ていたりと、動物にとっても子供にとっても比較的気楽な時代だったと思う。

そんな気楽さも相対的で、親が20代の頃は、仕事の昼休みに海へ泳ぎに行ったり、野球の試合をしていたと、数年前に自慢げに話していたのを聞いた。私の周りにいるベビーブーマーを見ていると、確かに環境問題にはあまり関心はなさそうだが、古い物を長く使い、ある物で何とか暮らしていて、どこか慎ましさを感じることもある。物や情報に溢れた複雑な現代を生きる私たちは、きっと彼らの目に不自由な世代として映っていることだろう。

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