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女のいない島(少子化対策実験ラボ)#10

#フィクション #長編小説 #登場人物少なめ  # #180000文字 #出産マシーン
#政府による実証実験 #少子化対策 #監禁 #児童虐待 #強制労働 #売春斡旋   #異父姉弟 #国民負担率50 %超

【10】高瀬修一50歳 息子の初体験への思い
私は【花場】へ向かう孝一と別れた後、少しふらつきながら家へ戻った。6年前、12歳の息子が家に来た時には、こんな日が来るとは思いもよらなかった。息子が成人して働くようになり、その初任給で夕食をおごってくれ、一緒に酒を飲めた。もっとも私が飲み過ぎて孝一の今日の給与では足りず自腹だったが。【器島】に来てからはもちろん、人生で一番嬉しい日になった。家ではこっそり孝一にも少しだけお酒の相手をしてもらってはいたが、堂々と外で飲めるのは今日が初めてだった。その息子が今日【男】になるのも感慨深い。
私が【男】になったのは就職してからと周りに比べると遅かった。自分でいうのも何だが真面目な性格だったので学生時代は女性と付き合ったこともない奥手な学生だった。学生時代で手をつないだのは小学生のフォークダンスが最後だと思う。まぁ、女子にもてはやされるような容姿でもなく、休み時間は本を読んで過ごすようなタイプなので女の子から声を掛けられるようなこともなかった。その頃に流行り出したバレンタインデーというチョコレート会社の販売戦略に乗せられた日は、最も退屈でイライラする日だった。少子化が進んだ今であれば、いわゆる草食系男子は割と増えているが、私の頃には雑誌やテレビを真似て着飾ったり、車の免許を取って女の子をドライブやスキーに行くのがトレンドというやつだった。私はそんな経験もなくIT系企業に就職した。就職後しばらくしたあるとき先輩と飲みに行ったときに、その手の話となり、彼女どころかまだ童貞であることを告白すると、それは良くないと叱咤され、後日ソープランドに連れて行ってもらったのが初めての経験だった。そういった意味では息子と同様、初体験はプロの女性だった。
5歳年上の先輩は風俗遊びに慣れているらしく、私が喜びそうな店を事前にチョイスしていてくれたようで、銀座線の田原町の駅で待ち合わせると、迷いなく吉原の店へ向かう送迎の高級車に乗り込んだ。黒塗りの車でお店の名前が書いてあるでもないのに迷いがなかったことが、彼が慣れていることの証拠だった。送迎者が店に着くと、他のお客さんに見えないよう玄関の真ん前に止まった。店の造りは白壁でゴージャスな雰囲気だった。玄関で靴を脱ぎスリッパに履き替えると、絨毯はふかふかで通された待合室のソファは革張りの高級品だった。こうゆう店は初めてだったが、どうやら高そうなことは感じられた。そういえば先輩にいくらかかるのかを事前に聞いていなかったことを後悔した。先輩は店員と顔見知りだったようで雑談をして会計を済ませていた。どうやら先輩は既に女の子を予約してあるらしく、スムーズに受付を済ませていた。私の番になり、まずは店員が私の前にひざまずき、4名の女の子の写真を見せてきた。どの女の子も20代と若く、私にとっては憧れのお姉さんというイメージだった。正直どの女の子も魅力的だったが、店員のおすすめもあって26歳と書いてあるグラマーな女性に決めた。店員が飲み物のオーダーを取り一旦下がってから、頼んだウーロン茶と会計が書かれた盆を持ってきた。9万円という金額に驚いたができるだけ平静を装ってカードでの支払いができるか訊いた。社会人になったときに念のため作ったクレジットカードだったが一度も使ったことはなかった。店員の説明によるとカード払いの場合は手数料として10%上乗せされるということだった。そのやり取りを聞いていた先輩が足りない分の現金を貸してくれた。先輩は先に準備が整ったとのことで先に待合室から私の肩を軽く叩いて出て行った。その後、待合室で緊張して5分ほど一人で待っていると店員から声がかかり、待合室の外に案内された。
階段の上には、写真とはだいぶ違った印象の女性が手を振っていた。紹介された写真には26歳という記載だったが、どう見ても私より一回りは上の歳だった。グラマーという触れ込みであったが、細見の私より体重は重そうだった。金額だけでなく、女の子の選び方も先輩に教わっておくべきだったと後悔した。私は彼女に引きずられるように彼女の用意した部屋に入った。彼女はお客さんが取れたことで機嫌が良かったが、私が内心がっかりしているのを悟ったのか、はしゃぐのをやめ淡々と仕事を始めたが、初めてということを告げると反対にテンションが上がった。自分が初めての女になることを喜んでいた。
対面になりフルアシストで服を脱がせてもらい、彼女の着ていたパツパツのドレスを脱がすと、花柄の薄いブルーの下着姿に少し興奮してしまい、彼女に撒いてもらったバスタオルの下は大きくなっているのがわかった。彼女が後ろを向き、人生で初めてブラジャーをはずしたが、初めてなのにうまいのねと褒められて悪い気はしなかった。彼女が大きな胸を私の顔に当ててきたが、私の知っているおっぱいとは異なり、乳首が長く乳輪が5百円玉以上ある。彼女に舐めてと言われたから、その言葉に従って舐めたが正直気持ち悪かった。彼女は胸を舐められながら、私の下半身をまさぐってきたのでそっちに気を集中した。彼女が元気ねと言って、バスタオルを外し私のペニスを舐め始めた。あまりの気持ちよさにすぐに逝ってしまった。後で孝一に聴いた話では同じような状態だったことでくだらないところで父子なのだと笑った。彼女は若いからまだ大丈夫だよねと言って、丁寧に拭いてくれた。
その後、ソープランド特有のマットサービスがありそこで挿入するかと聞かれたが、ローションでバランスが悪く集中できなかったので、断ってベッドでのサービスを要求した。彼女は私の初体験を少しでも良いものにしようとして努力をしていたことを感じた。ベッドに場所を移し、69のという体勢で初めて女性器というものを間近に見た。自分のモノもキレイとは言わないが、物心付いた頃から付いていたものなので嫌悪感を感じるとうことはない。しかし、周りに太めの黒い毛が生えているヌメヌメしたそのモノは貝の身のようだった。私は子供の頃から貝が苦手だったから、余計に気持ち悪く感じた。貝は貝柱だけなら食べられるのだが、それ以外の身やヒモの部分は食べようとは思わない。みそ汁などに入っているアサリやシジミは出汁としては美味しいとは思うものの、身は食べる気にはならない。内臓はまだわかるが、排泄物や排泄物を出すための腸管まで一緒に食べるという気がして苦手だった。同じような理由でエビやタコ、イカも口にすることができない。そんなことを思いながら、彼女の性器を言われるがままに舐めると、そのたびに気持ちよさそうな甘い声を出した。彼女は興奮に達したのか、それが演技かはわからないが、挿れたいという言葉とともに私の上に乗りペニスを迎い入れた。彼女の中はとてもあたたかく、その濡れ加減が気持ちよかった。私は寝ころびながら彼女が出し入れする自分のモノを見ると興奮したが、彼女の揺れる大きすぎる胸と脂肪の塊の腹回りを見ると気が落ち込んだ。私は目をつぶり、下半身に集中した。そのおかげで5分ほどして彼女の中に自分のモノをぶちまけた。彼女は無事射精させられたことに安堵したのか、入れたまま私の身体を抱きしめた。いったばかりでくすぐったかったが、それよりも彼女の重さが気になってしかたなかった。私の初体験はそんな状態だったが、そのときからは女性に興味を持つきっかけにはなった。25歳の時、大学時代の2年後輩の典子という女性と偶然再会し、付き合うまではいったが、結婚には至らなかった。典子はその派手な容姿でバブル期を謳歌した女性だったが、バブルが落ち込むと仕方なくすり寄ってきたことがわかる位、正直な生き方をしていた女だった。彼女の言葉は本当に自分勝手だった。【あなたがいなければ】、【あなただけが】なんていう言葉は多分息を吐くように出てくるウソだった。今でいうパパ活相手のバブルが弾けて派手な暮らしができなくなったので、私のような安定的な収入がある男をどうにか確保しておきたいという焦りだったのだろうと感じられた。素人女性は典子しか経験がない状態で【器島】へ連れて来られたので私が【花場】に行くことはほとんどなかった。
【器島】の男達は毎年一回以上【花場】を利用する義務がある。病気などの正当な理由がない場合は、非常に大きな罰金を科せられる。私は義務をこなすため以外には【花場】へは行っていない。この島の目的は人口増加なので、島で飼っている男女をいかに交わらせ子孫を増やすことが最大の目的とされている。島に連れて来られた男達は最低限の生活は保障されている代わりの義務はこれだけだった。
【器島】のシステムで凄いと思ったことは本土では当たり前に見ることができていたエロコンテンツを全てシャットアウトしていることだった。当然本土へのネットは通じていないのでネットで見ることはもちろんできない。区庁舎内にDVDレンタル施設はあるが当然ながら真面目なコンテンツしか置いていない。唯一のエロは【花場】の女性紹介ページ位だ。女性達の写真は身体の線が見えるように下着姿など少しだけ刺激的な写真が掲載されている。年に1回の義務以外、主な性欲処理のおかずはこれにしている。ただし、孝一の母だと知った後は孝一の母1025(源氏名は和美)のページを見ることは無くなった。
私にはたまたま島に来て2年目に入った【花場】の1025との間に孝一という子供ができたが、私は自分の遺伝子がそれほど社会に有益ではないと感じていたので、自分の遺伝子を残すことに興味がなかった。
大抵の男性の欲求は性行為自体をしたいのが一番で、自分の遺伝子を残したいという欲求は二の次だろう。これを実現するには本土や世界の多くで採用されている一夫一婦制度では限界が見えていると私は思っていた。そういった意味では私はこの【器島】で行われているC計画は1つの少子化対策に有効な手段だと思っている。優秀な遺伝子を残すためには、一夫一婦制度はあまりにも不効率だ。現に本土の天皇家は一夫一婦制になってから、その存続が危ぶまれている。鳥類や哺乳類で一夫一婦制を確認されている種もあるが、必ずしも繁栄しているとは言えず、むしろ衰退や絶滅危惧種になっている。結局、一夫一婦制度は何のために存在したのだろうかと考えたことがあった。私は弱い男性が団結して強い男から女性を引きはがすために作った制度だと結論づけた。私が仮に女性に産まれていたら、自分が欲しいと思った唯一の男性が、既に他の男性のモノとなっていても、その男性が受け入れてくれるのであれば構わないと思う。妥協してまで唯一の男性を逃す方が人生キツイと思う。女性は子を産み育てるという人類太古からの役割を全うするには庇護してもらえる男性に寄り添うのが正解だろう。今のような平和な世の中だから成立することだ。石器時代や戦国時代のような力が全ての時代では自部の子供を産んでくれる女性は奪うモノだったのだ。もし唯一の男性が手に入らないのであれば次の男性、それも手に入らないのであれば次の次の男性…、と男性に産まれてきた私は思ってしまう。女性の思考はそうではないのだろう。
一夫一婦制の結婚制度は、男性側に多少多々女性の好みがあっても、それを余りある遺伝子を残すという欲求に負けないように創られた欲求と、少しでも強い遺伝子を持つ子供を宿したいという女性の契約で成立するものだと私は思う。お互いがそんな奇跡的な瞬間を持つタイミングが一致して結婚、出産なんていうことはほぼありえない。仮に結婚しても男女ともに3組に1組は離婚していると言われている。本土の高知県では半数近くが離婚しているらしい。
子供がいることが良いことだと思えたのは、孝一と数年間過ごした後だった。私は子供というものがあまり好きではなかった。他人が子どもを育てている姿を見ていると、怪獣と変わらないと子供のことを思ってしまう。12歳まで【器島】政府が孝一を育ててくれたからそう思えたのかもしれない。一番子育てが大変な時期を味わうことがなかったからだ。これはとてもありがたい制度だった。その後の高等教育も無料なことも【器島】のいいところだと思う。本土では奨学金が問題となり貧困に陥っていることからもこれも嬉しい制度だ。
孝一はある意味では優秀な子供だった。大人の目を気にして察する能力が高い。孝一の友達の良太君もしかりだ。恐らく母親の愛情を注がれない育て方をされたからだろう。2年間位は孝一の目は私に対して怯えた目をしていた。私に対して逆らうことは決してしない、反抗期などもなかった。従順で素直なことは親としては楽だが、将来のことを考えると騙されるのではないかと不安にもなる、
子供がいいものだと思ったときには40代半ばを過ぎていたので、もう一人とはならなかった。いくら【器島】では最低限の保障はあるものの、45歳で【花場】の女性と子供を作っても、一緒に過ごせる12歳になる頃には60歳近い、18歳の成人のときには私は65歳近くと本土なら定年退職の歳だ。とは言っても、毎年1回とはいえ子作りをしているが孝一以来子供ができなかったのだから子種が弱かったのだろう。コンピューター技術者は電磁波の長期的な影響により精子の質が悪くなるという噂もある。
私はそんなことを考えながら孝一が帰る前に眠りに落ちてしまった。

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