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愛情と友情のボーダーライン
#恋愛小説 #ショート #男と女の友情 #結婚 #約束 #35歳
愛情と友情のボーダーライン
「あのさぁ、千佳のこと好きなんだ。もしよければ・・・付き合って欲しいんだけど…。」
貴之はこの言葉を千佳に言おうとして何度も挫折していた。そしてこの日やっと勇気を振り絞って、何度も練習したセリフを千佳に向かって言った。貴之が自分に好意を持っていることを、千佳は感づいていた。だから、いつかはこうゆう時が来るとは思っていたが、心の準備はしていなかった。目の前に貴之の真剣な眼差しがあった。それまで笑いながらはしゃいでいたのが嘘のように、二人の会話が止まる。千佳は貴之を傷付けないように言葉を選び、深呼吸をしてから答える。
「ごめんなさい、今はまだ、・・・まだ、誰かを愛することは考えられないの。貴之のこと好きだけど、あの人のこと、…頭から振り切れていないから、たぶん迷惑をかけちゃう。ねぇ、貴之、しばらくこのままじゃダメかな?」
二人の間に沈黙が流れる。しばらくの沈黙の後、貴之は諦めて千佳の言葉に応えた。
「わかった、このままでいよう。いつか気が向いたら、考えてみてくれる?」
「うん、ごめんね。本当は嬉しいんだよ。貴之から好きって言ってもらえたことが。あたしも貴之のこと、少なからず好きだと思っているし、だからこうやって逢っているんだし…。」
千佳は貴之の諦め声を繕うように、懸命に言葉を探して言う。
「ありがとう。早くそうなればいいけどね、さぁていつになることやら…」
貴之は照れ隠しに、少し茶化して言った。
「さぁね、もしかしたらこのまま誰も愛せないかもよ、私は…。」
千佳も貴之に合わせて冗談交じりに明るく言う。
この日以来8年間、二人の間には本気で【好き】という言葉は出なかった。
貴之と千佳は大学時代の同級生だった。第二外国語が、共通のスペイン語だったことから挨拶を交わすようになり、あまり講義にまじめに出席しない貴之が、まじめに出席している千佳のノートを借りたことから、言葉を交わすようになった。1年ほどの間は、キャンパス内の付き合いだけだったが、そのうち外でも食事やお茶をするようになった。その頃の千佳には、サークルの先輩だった彼氏がいた。貴之は千佳に彼氏がいたことは知っていたし、恋愛相談もされていたが、二人で度々逢ううちに、千佳に好意を抱くようになった。おとなし目な性格の貴之は、千佳のことを【彼氏から奪ってまで】という発想は、考えもつかず千佳を待ち続けた。
待ち続けた甲斐があったのか、三年生の冬に千佳は彼氏と別れた。しばらくの間は彼女を慰める為に、いつも通り逢っていたが、貴之は千佳に対する思いが押さえきれなくなり、千佳が彼氏と別れてから4ヵ月後、彼女に思い切って告白した。彼女が【じゃあ次の人に】と、すぐに切り替えがきくタイプではないとは判っていたが、貴之は千佳へ好意を寄せ始めて1年以上経っていて、もう押さえがきかなかった。結果は貴之の予想通り、無残にも敗れ去った。好きの範疇には自分は入っているという千佳の返事で、少しだけ希望が残ったのが、良かったのか悪かったのか、その時点では判らなかった。それでも、今まで通り友達付き合いをしていくことは、お互いに必要性を感じていた。お互いに好意を持っているのに、【友達】という妙なバランスの付き合いを続けていくことになった。
二人とも無事大学を卒業し、就職してからもどちらからもなく、連絡を取り合っていた。声を聴きたかっただけだったり、相談事だったり、淋しかったりすると逢っていた。大抵は会社帰りに待ち合わせて食事をし、バーでお酒を飲み、喫茶店かどちらかのアパートでコーヒーを飲むというのが、いつものパターンだった。不思議なバランスの中で、友達付き合いを続けているうちに年月は経ち、二人は27歳になっていた。
千佳の27歳のバースデーは、それぞれ仕事の都合でタイミングが合わなかった為、その日から1ヶ月遅れですることになった。その晩もいつものパターン通りに、渋谷のメキシコ料理店で食事をして、原宿のビルの8階にある夜景が綺麗に見えるバーでお酒を飲み、タクシーで貴之のアパートへ戻ってきた。いつもと違うのは、千佳が普段より少し多くお酒を飲んでいることだった。
貴之がアパートの鍵を開けると、千佳は割り込んで先に入っていき、ベッドにダイブした。
「と~ちゃく!」
千佳の靴は、片一方は玄関に転がり、もう片方は廊下に転がっていて、バックは床に放り投げていた。貴之は仕方なく千佳の靴を拾い上げ、玄関に並べた。
「コーヒー飲むでしょ?」
部屋の明かりをつけ、エスプレッソ・マシンの電源を入れる。
「もっちろん!」
いつもより上機嫌に千佳は答えた。あまりの大きな声に、貴之は隣の部屋から苦情が来ないか心配になった。
コーヒーの粉をダブルでフィルターに詰める。千佳はシングルだとすぐ飲み終わってしまうからと言って、必ずダブルを要求する。もう1つのフィルターに、自分の分の粉を入れプレスする。このプレスの加減でエスプレッソは味が決まるので、少し酔って手元がおぼつかなかったが、できる限りきっちりと詰めた。エスプレッソ・マシンに、冷蔵庫から出したミネラルウォーターを入れ、ウォーマーが温まったのを確認すると、白のデミタスカップにコーヒーを落とし始めた。千佳はその間、そのままうつ伏せでベッドに寝ころがっていた。膝上までしかないタイトスカートが少し捲れ上がっていたが、千佳には気に留める余裕がなかった。二人分のコーヒーを落とす間に、貴之はネクタイをほどき、上着と一緒に洋服箪笥に掛けた。コーヒーが落ち終わるとソーサーに乗せ、スプーンを添えてテーブルに置いた。
「千佳、コーヒーできたよ。」
貴之はベッドに横たわっていた千佳の肩をゆすって声を掛けた。
「ん、ありがとう。」
酔いが回って半分寝ていた千佳は、むっくりと起き上がって、スカートの裾を直し、パイン材でできたローテーブルの前に座った。
「う~ん、いい香り!やっぱ締めはこれじゃなきゃね。」
千佳は酔い覚ましのコーヒーを口にした。貴之は黙ってコーヒーを飲む千佳の様子を、右側に座り黙って見ていた。
「ふう、落ち着いた。」
ため息にも似た息を漏らしながら、千佳は貴之の方を見て言った。
「それにしても無防備な格好だったよ。」
千佳がベッドに寝ころがっていた姿を思い出しながら、貴之は言った。
「刺激的だった?」
千佳はスカートがまくれ上がっていたことを思い出し、子悪魔のような表情で、貴之の顔を覗き込んで訊いた。
「まあまあかな。」
貴之は千佳の視線を遮るように、カップをゆっくりと動かした。
「何よ、あたしに女の魅力を感じないっていうの?」
千佳は口を尖らせ、好戦的なモードに入った。
「そんなことはないけどさぁ。」
千佳が酔いに任せて、絡んでくるパターンの前兆を察知し、身構えたがもう遅かったようだ。
「本当に?」
貴之に詰め寄って訊く。貴之の顔と千佳の顔の距離は目の前だった。
「本当に!」
貴之はカップを二人の顔の間に入れ、視線を遮った。貴之は少し飲ませすぎたことを今更ながら後悔した。
「でもさ、お互いの家に泊まっても、なんにも起きないじゃない?あたしって魅力ないのかなぁって、ちょっと思うこともあるのよ。」
千佳はテーブルの方に向き直して、ふた口目のコーヒーを飲む。
「何かがあった方が良かった。」
「ううん、全然。」
「まぁ、そうゆう男ばかりじゃないってことさ。」
貴之はようやく千佳の視線を遮っていたカップを、ソーサーに戻した。
「そうだね、少なくても貴之は違ったね、ずっと。」
カップの取っ手をいじりながら、千佳は小声で言った。
「千佳との、今の関係を壊してまでも、どうにかしようって気にはならないよ。それならいっそ何も無くても、一生こうやって千佳と逢える関係でいる方が、いいと思うから。」
カップの中のコーヒーに向かって貴之は呟く。
「友達としてでも…、このまま一生?」
さっきの子悪魔顔で、また貴之の顔を覗き込む。
「そうだね、ずっとこのまま友達でもかまわない。・・・、普通の友達ではないでしょ?この関係は。」
貴之は千佳と視線を合わせず、デミタスカップの中のコーヒーを眺めたまま言う。
「そうだね、もう8年もこうゆう関係だからね、今さらって気もするし、ね。」
千佳も貴之に倣って、カップの中のコーヒーを見つめながら言う。
「それはセックスを、ってこと。」
「そうね、体のつながり以上に、心がつながっていると思うから、必要性を感じないのよね。」
千佳はさっきと同じように、カップの取っ手をなぞる。
「かもね。もし何かの偶然でセックスすることになっても、お互い笑っちゃうだろうね。」
「絶対笑っちゃうと思う。」
千佳はその場面を想像して笑った。
「だからきっとする時は真面目な顔して、【じゃあするよ】とか言わないとできないだろうね。」
千佳が笑ったことで、重苦しい雰囲気がやっと破れて、貴之はホッとした。
「そうそう、する前に向き合って、将棋の対局前みたいに正座なんかしちゃって【それでは】って勢いでね。」
千佳は足を直して、武道の挨拶のように正座してみせた。
「三つ指ついて?」
千佳の調子に合わせて、貴之も正座した。
「うん、床の間のある、ひなびた旅館の和室で、せんべい布団をひいてね。」
二人は足を戻して、夜中だとうことを忘れて大笑いした。
ひとしきり笑いが続き、何口目かのコーヒーを二人が口に含むと、外の静けさと同じような静寂が二人を包んだ。
静寂を破ったのは千佳だった。
「ねぇ、知ってた?あたしが【貴之と付き合いたい】って思ったときがあったこと。」
「えっ、いつ頃?」
千佳の思わぬセリフに、貴之は心底驚いて訊いた。
「さぁてね、いつだと思う?」
千佳はもったいぶって、わざとはぐらかした。
「え~、いつ?・・・わかんないよ、降参!だって、そんな素振りなかったじゃない。」
しばらく考えたが、貴之には本当にわからなかった。
「そっか気付かなかったか。」
千佳は少し残念そうに言った。
「うん、気付かなかった。」
「あたしなりにサインを出してたつもり、…だったんだけどな。」
千佳はエスプレッソの泡をスプーンですくい、口に運びながら言った。
「だから、いつ頃。」
貴之は早く答えを知りたくて、千佳をせかした。
「貴之が久美ちゃんと付き合ってる頃、とかね。」
「そんなのダメじゃない!誰かと付き合ってるときなんて。それに久美と付き合ってる頃なんて、よく相談してたじゃない。どうすれば久美とうまくいくかって。」
「うん、相談されてたね。女心を教えてたねぇ。」
残っていたコーヒーを、千佳は飲み干した。
「そうだよ、めちゃくちゃ親身に!しかも、二人の関係がやばかった時、久美に電話までしてくれたじゃない。」
千佳が貴之の前で、久美に電話してくれたときのことを、思い出しながら少し嫌味をこめて言った。
「そうそう、電話したね。【貴之と私は只の友達です】って。」
「横で聞いてたよ、それ。千佳がここで勝手に電話したんだもの。」
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