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哀しいできごと
#恋愛小説 #ショート #登場人物少なめ #レイプ被害 #24000文字
#ドジっ娘 #彼氏いない歴 =年齢 #1枚きりの二人での写真
年齢=彼氏いない歴の誓子は、たまたま自分のピアノ教室に営業にきていた2歳年上の和弘から一目ぼれされ、和弘からのアプローチで付き合うことになった。1年余り健全な付き合いを続けていたが、初めて1日一緒に過ごせた翌日誓子に哀しいできごとが起こってしまい、二人は永遠の別れとなってしまった。
和弘は今日も柏駅のタクシー乗り場に居た。スケッチブックと4Bの鉛筆を持って、道端に座っていた。思いついたように鉛筆をとり、そこを通る人のスケッチを書いた。とはいっても彼は絵を描くことが目的ではなかった。もちろん絵の心得があるわけではなかったので、ハッキリ言って絵はへたくそである。でも、この1ヶ月、仕事を5時に切り上げて、ほぼ毎日この柏駅まで来て終電まで絵を描いていた。会社では、今まで残業をいとわずやっていた彼が、突然毎日5時に帰りだしたことに、様々な疑いや不満が漂った。それでも気にせず、和弘は5時になると急いで駅へ向かい、柏へ向かう電車に乗り込む。柏駅まで彼の勤め先のある明治神宮前から1本で行けるが、それでも毎日となると1時間近くの道のりは遠い。会社が休みの日は朝から1日中そこへ座っていた。晴れている日はまだいいが、雨の日は困った。梅雨時だったので雨の日は多かった。タクシー乗り場には屋根はあるが、そこに居るとタクシー待ちと勘違いされるので、雨が降り始めると駅の構内で雨宿りし、雨が止むのを待った。雨が止むと、また同じ場所に座り、スケッチブックを広げた。不毛な時間だと判っていたが、彼にはこれ以外の方法が思い浮かばなかった。
タクシー運転手が客待ちで何人か集まって雑談が始まると、彼は聞き耳をたてる。その会話を漏らさないように聞き、がっかりする。結局1ヶ月の間に彼が必要とする情報は何も無かった。柏駅で客待ちするタクシー運転手は、もう一通り見てしまっただろう。無駄な時間を過ごしたと思ったが、でも他に何も浮かばない以上、そうするしかなかった。この後も続けるか、それとも諦めるか彼は悩んだ。満足感はなかったが、諦めることにした。彼の目的は達成されず終わることになった。
話は1年前に逆のぼる。
和弘が柏駅に通う原因になったときの彼女、誓子と出会ったのは彼女の職場でだった。誓子は小さい子供達にピアノを教えていた。和弘は大学卒業後、小さな広告会社に勤めていて、彼女が勤めていたピアノ教室もクライアントの1つだった。以前は先輩の担当だったが、その年の3月から引継ぎ、和弘が担当することになった。和弘は新聞折込に使う【春の新生徒募集】チラシの打ち合わせに、初めて教室を訪問したとき、事務所へ向う廊下から見える4つある教室のガラス越しに、レッスンをしていた誓子を初めて見た。誓子は小学校低学年ぐらいの女の子2人に、レッスンをしていた。和弘は彼女のことをしばらく眺めていたが、誓子に気配を気付かれ、そそくさと奥にある事務所へ向かった。原稿の打ち合わせを終え、廊下に出たときちょうどレッスンが終わったらしく、誓子は2人の生徒の後から教室を出た。
「じゃぁ、また来週ね。」
子供達の方を向いて、声を掛けながら事務所へ歩いていたので、事務所から出てきた和弘に気付かず、ぶつかりそうになった。
「きゃぁっ!」
誓子は和弘に気付くのが遅く、避けたが少しよろけて、手に持っているショパンの練習曲の楽譜を落とした。
「大丈夫ですか?」
和弘は営業鞄を置き、屈んで散らばった楽譜を拾いながら言った。
「ごめんなさい!あたし、おっちょこちょいで、あ、あ、いいです、拾わなくて…。」
誓子がそう言ってる間に、和弘は落ちていた楽譜を全部拾ってしまっていた。
「はい。」
和弘は彼女の方へ楽譜を揃えて渡した。
「本当にごめんなさい。あたしがちゃんと見てなかったから。」
「いいえ、気にしないで下さい。じゃぁ。」
「あ、あ、ありがとうございました。」
和弘は廊下を歩き、ピアノ教室の扉を出た。
和弘は彼女に一目惚れした。真っ直ぐに伸びた黒髪で大きな目、抱きしめたら折れそうな華奢な感じだった。
(同い歳か、ひとつふたつ下かな?)
次にピアノ教室へ、チラシの原稿案を持っていくのが楽しみになった。
その4日後、打ち合わせの内容に沿った原稿案ができ、アポイントをとる為に和弘はピアノ教室に電話を入れた。
「はい、河村ピアノ教室です。」
いつもとは違う女性の声だったので、もしかしたらあの娘かなぁと思いながら
「星広告社ですけど、店長さんはいらっしゃいますか?」
「は、はい、少々お待ちください。」
慌てて取次ぎをしているのを聞いて、彼女が楽譜を落としたときのことを思い出した。
前回と同じ時間に翌日のアポイントをとった。同じ時間にしたのは、もしかしたらまた彼女に逢えるかもしれないと思ってこちらから誘導した。
翌日打ち合わせに行くと、予想通り誓子は前回と同じようにガラス越しに子供達にレッスンをしていた。和弘が通るのが目に入ったらしく、誓子はピアノを弾きながら、軽く和弘に向かって会釈をした。
(あ、覚えててくれたんだ)
和弘は嬉しくなって、気分良く事務所のドアを開けた。
打ち合わせの途中、誓子がレッスンを終えて事務所に入ってきた。ちょうど店長が打ち合わせに使う為の資料を倉庫に取りに行き、和弘は一人で待たされていた。事務所のドアが開いた音に振り返ると、誓子が楽譜を持って入ってきた。
「この前はどうもありがとうございました。」
和弘にお礼を言いながら頭を下げると、楽譜がまたバラバラっと床に広がった。
「きゃあっ!」
今回は前のときより楽譜の量が多かったので、落とした楽譜を二人で拾い集めた。
「ごめんなさい、度々。」
誓子は拾いながら本当にすまなそうに和弘に謝った。
「いいえ、いいんですよ。」
和弘はおかげでまた話せることを喜び、一緒に楽譜を拾い集めた。
資料を抱えた店長が倉庫から事務所に戻ってくると、和弘が座っていないので事務所の中を見回すと、和弘がしゃがんで楽譜を拾っているのを見付けた。
「あぁ、すいません。そんなことしてもらっちゃって。」
誓子の方をキッと睨みながら、40代の女性店長は和弘に言った。
「いえ、待っている間だったので、気にしないで下さい。」
拾い集めた楽譜を揃えて誓子に渡しながら言った。
「全く、この子はホントにおっちょこちょいなんですよ。」
もう一度誓子の方を向いて店長が睨むと、誓子は軽く舌を出して照れ笑いをした。
「ありがとうございました。」
誓子は再度、和弘にお礼を言って自分のデスクに座った。
和弘は打ち合わせの最中、誓子が視界に入るとつい見いってしまい、少し仕事がおろそかになりかけた。
「ではこの内容で印刷の方に入らせて頂きますので。」
「はい、お願いします。」
打ち合わせが終わり、和弘が席を立つと同時に誓子も次のレッスンに向かう為に席を立った。
「では、失礼します。」
店長に挨拶をしながら事務所のドアを開け、二人は一緒に廊下へ出た。
和弘は思い切って誓子に声を掛けてみることにした。
「いつもそうなの?」
和弘はドアの向こうにいる店長に聞こえないように、誓子に小声で訊いた。
「えっ、そんなことない・・・、でもないかな。」
誓子は大きく口を開けて、笑いながら答えた。
「ねぇ、今度もし良かったら食事でも行きません?」
「え、私と…ですか?」
背の高い和弘の顔を見上げて、誓子が訊いた。
「ええ、良かったら。」
「じゃあ、お礼代わりに。いつも20時位に終わるのでその後でよければ。」
誓子は持っていた筆箱からボールペンを出し、楽譜に付けていた付箋に携帯の電話番号を走り書きして、和弘に渡そうとすると、バランスを崩してまた落としそうになった。和弘は慌てて楽譜が落ちないよう、鞄を持っていない右手を差し出した。和弘の右手が誓子の左手に触れた。
「今度はセーフだね。」
「アハハ、何かカッコ悪いところばっかり見られてる。」
口を大きく開けて笑う彼女がとてもかわいく見えた。
「何曜日が都合がいいの?」
「水曜は休みだから、それ以外なら。」
メモを書いた付箋を和弘に渡した。
「じゃあ、来週にでも電話するから。」
「はい、もうレッスン始まっちゃうから、じゃあ。」
そう言って誓子はレッスン室に入っていった。和弘はガラス越しに誓子の後姿を見ながら教室を後にした。
翌週の月曜日になると、和弘は電話をしたくてしょうがなかった。仕事中も誓子のことを思い出して、会議中も上の空で上司に注意された。早く20時にならないかと時計を何度も何度も確認するが、一向に時計は進まない。今日、何十度目か時計を見ると、ようやく20時になった。スケジュール帳に大事に挟んでおいた誓子のメモを見て携帯の番号を押そうと思ったとき、ふと彼女の名前を知らないことに気付き、途中で手を止めた。メモにも名前は書いてなかった。そして、自分の名前も彼女に名乗っていないことに気付いた。
(まいった、何て言って電話を掛ければいいんだろう?)
とりあえず、電話番号と勤め先しか知らないのであれば掛けるしかないと思い、20時を10分位を過ぎた頃に電話を掛けた。
3コール目に彼女が電話に出た。
「もしもし」
少し警戒心に満ちた電話の声は間違いなく、和弘が忘れもしない彼女の声だった。
「もしもし、えっと楽譜拾いのご用はありませんか?」
和弘は少しおどけて誓子に言った。
「えっ、あ、あの楽譜拾ってくれた人!」
「そう、良かった判ってもらえて。」
「メモに私、名前書かなかったですよね?あの後またドジしちゃったって、反省してたんですよ。」
「いいえ、こちらも名乗ってなかったなぁって、さっき番号を押してるときに気付いて、さてどう切り出そうか考えたんだけど。」
「おかげさまで、とっても判りやすかったわ。」
「ハハハ、改めまして山本和弘と申します。」
「新居誓子です。」
「今日は?今帰るところ?」
「うん、今ホームで電車待ちしてるところ。」
「例の食事なんだけど、今週空いてる日はある?」
「う~ん、明日は大丈夫ですけど。」
「OK、こっちも大丈夫。西葛西の駅に20時でいいかな?」
「大丈夫です、でもいくつも入口ありますよ。」
「教室側の入口のところで。」
「わかりました。楽しみにしてますね。」
「こちらこそ、じゃあ明日。気を付けて帰ってね。」
「はい、ありがとう、おやすみなさい。」
和弘は会社の同僚に見られないように、小さくガッツポーズをした。彼女との言葉のやり取りを思い出してニヤついた。そして彼女が【ありがとう】といつも自然に言うのを聞き、一層彼女に惚れてしまった。待ち合わせ場所を教室側の入口にしたのはちょっと気がきかなかったと反省した。彼女が他のスタッフに自分と待ち合わせしているのを見られるかもしれない。
誓子は帰りの電車の中で少し反省していた。メモに名前を書かなかったことも反省材料のひとつだったが、簡単に携帯の電話番号を、よく知らない男性に渡して軽い女と思われるかと、少し不安になった。誓子は高校から女子高に通い、ピアノ専門学校の同期も殆どが女性ばかり、勤め先のピアノ教室も全員が女性と、思春期以降は女性ばかりに囲まれた環境だったので、軽いどころかむしろ男慣れしてなく、きちんと付き合ったことは22歳になる現在まで無かった。別に男性が嫌いといわけではなく、むしろ男性との付き合いにあこがれていたが、一歩を踏み出せずにいた。繁華街を友達と歩いていれば、芸能人並みとまではいかないまでも、誓子はかなりの美貌とスタイルなので声を掛けられることはよくあったが、男性に対する免疫のない彼女は全て断ってしまっていた。そんな彼女が和弘のアプローチに応えたのは、彼の屈託の無い笑顔に魅かれたからだった。男性を少し恐いと思ってしまう彼女の心を、和弘なら融かしてくれそうな気がした。彼女は自分で驚いたことがひとつあった。優柔不断な自分がすぐに和弘に電話番号を渡したことだ。今になって考えれば、自分がそんな行動に出るとはとても思えなかった。それほど和弘との出会いは、誓子にとって衝撃的なできごとだった。子供の頃から、どちらかというと引っ込み思案な誓子にとって、それまでの人生で最も積極的に動いたことだった。だが、反省しながらも明日のことを思うと、自然にニヤけてしまい、ハッと気付いて周りを見回し、自分でたしなめた。東西線が地上に出る頃に、誓子は専門学校の同級生だった女友達に、明日デートをすることをメールした。そんな浮いた話の無かった彼女の友達は、ビックリしてすぐにメールの返事を送ってきた。友達からの返事を受け取った頃、電車は西船橋に着き、武蔵野線へ乗り換えていた。誓子の自宅は武蔵野線で新松戸まで行き、常磐線に乗り換え柏駅まで行く。さらに柏駅からバスに乗り10分ほどのところにある。都合1時間半~2時間かけてピアノ教室へ通っていた。残業などで夜遅くなると接続が悪くなり、さらに時間がかかる。バスも22時には終わってしまい、柏駅からタクシーで帰ることになる。残業するのは別に気にならなかったが、タクシー代が出ないのが納得いかなかった。月に2・3度はタクシー帰りをしていて、少ない給料からタクシー代も自腹となると、懐がちょっと痛かった。とはいうものの彼女にはこれといった趣味も無く、休みも週1日しか無かったので、実家に入れるお金と、お昼ご飯以外は特に使う宛もなく、貯金は少しずつだが増えていた。仕事の後も、同僚と飲みに行くということはまず無かった。教室の歓送迎会ぐらいでしか、誓子がお酒を飲むことは無かった。人との付き合いがあまり得意ではないのも理由のひとつだが、家が厳しいというのが一番の理由だった。高校時代は18時が門限でアルバイトもできず、22歳になった今でも23時が門限になっていて、それ以上遅くなりそうな時は、予め店長から家へ電話を入れてもらわなければいけなかった。その場合には新松戸に着くあたりで、もう一度家へ電話を入れる。その電話を受けて、彼女の父親が柏駅まで車を走らせ迎えに来るという、ある意味で箱入り娘状態だった。嫁入り前なので、親が心配するのも理解できないことはなかったが、そろそろ大人扱いして欲しいと思っていた。
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