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女のいない島(少子化対策実験ラボ)#13

#フィクション #長編小説 #登場人物少なめ  # #190000文字 #出産マシーン
#政府による実証実験 #少子化対策 #監禁 #児童虐待 #強制労働 #売春斡旋   #異父姉弟 #国民負担率50 %超

【13】ファーストジェネレーションの男の子 孝一 初めての父への反抗
「父さん、これまでもさっきみたいに不正アクセスをしたことがあるの?」
僕はセキュリティシステムが動いたことを知らせた警告音がまだ耳から離れなかった。
「いいや、一度もない。」
父はソファーに戻り、テーブルの上に置いていた水を一気に飲み干した。どうやら緊張して喉が渇いていたようだ。父がソファーに座りなおすと、
「ねぇ、僕が今やっている仕事で、日本に住んでいる誰かがこの島に連れて来られるっていうことなの?」
僕は自分のやっていることに恐怖感を感じて言った。
「…、そうだな。母さんのようになる女性を選んでいるのかもしれないな。」
父は吐き捨てるように言った。
「…。」
その言葉は18歳の僕にとってあまりにも残酷な言葉だった。
「すまん。言い過ぎた。」
父の目は僕を通り過ぎ天井をあおいで見ていた。
「こんなことが許されていいの?」
僕は父の前に跪き、両手で父の腕を掴みゆすった。父はしばらく無言だった。
「確かに政策の通り【器島】の人口は今は増えているし、犯罪も殆どない。だがそれは全て女性の犠牲の上に成り立っているだけだ。これ以上この実験に巻き込むべきじゃないと私は思うが、…。」
父は強い口調で言った。
「でも、どうするの?」
「このことを何とかして日本に住む人に伝える。」
「僕も手伝うよ。」
「ああ、そのつもりだ。一人では難しいだろう。だが、今は何もしなくていい。何事もなかったようにしているんだ。私がその間に作戦を考える。」
「わかった。でも、何でも言ってね。」
父の提案に不満はあったが、これといって役に立つことが思い浮かばなかったので、そう答えた。
その日の夜から父は仕事を最低限しか入れず、寝る間も惜しんで殆ど家のPCの前で過ごした。ときどきこの前のような警告音が聞こえた。10日ほどが過ぎて、父はようやく僕に話してくれるようになった。
「いいか、孝一。明後日の大晦日は警備が手薄になる。しかもその夜に船が出航する。この日が最大のチャンスだ。」
「船って、父さんが島に来たときに乗った?」
僕はこの島から出たことがなかったので、船という乗り物に乗ったことは一度もなかった。
「そうだ。初セリ用に果樹園の果物を出荷する予定になっている。その荷物に紛れて島を脱出する。」
「どうやって調べたの?」
「そりゃ、色々と手段を使ってね。」
父はニヤっと笑って言った。この前のように不正アクセスで調べたようだ。
「ふ~ん。」
「いいか孝一、よく聞いてくれ。本当は父さん一人で行きたいところだが、孝一をこの島に残して行くことはできない。脱出には危険が伴う。島外逃亡は捕まれば必ず死刑になるのは知っての通りだ。まぁ、これまで成功した人はいないけどな。孝一をそんな危険な目に合わせたくはない。しかし、孝一を置いていけば、私が消えたことを不審に思った政府が孝一をどんな目に合わせるか判らない。それに父さんがこの島へ戻って来くることはあり得ないと考えると、危険だが孝一を連れて行った方が良いというのが、父さんの自分勝手な意見だ。だが、孝一は従う必要はない、自分で選んでくれ。」
「二人だけで行くの?」
僕はもちろん父と脱出することは決めていたが、葉月をこの島に置いて行くことをためらった。
「どうゆうことだ?」
「彼女も一緒じゃダメ?」
父は僕の言葉に葉月であることを察したようで、
「【花場】から連れ出すとなると、私達の危険度はかなり上がるぞ。」
「それでも、僕は父さんが僕を置いて行けないのと同じで、彼女を置いては行きたくはない。」
僕はこれまで父に逆らったことは一度もなかった。でも彼女のことは譲れない何かが心の中にあった。
「だが、どうやって連れ出すつもりだ?コンピューターのセキュリティと違って、人の出入りをごまかすのは難しいぞ。」
「考えがあるんだ。ただ父さんに協力してもらいたいことが。」
「何をすればいい?」
「大晦日の夜に僕は【花場】へ行く。そのときに4Fの女性になるように抽選を操作して欲しいんだ。できれば葉月の部屋よりエレベーターから遠いところがいい。」
「なかなか難しい注文をするな。【花場】は受付時にランダムに女性を決めるシステムになっているはずだから、予めウィルスを仕込んでおくと不具合が起きて不審に思われてしまうかもしれない。オンタイムでやらなければ。」
「つまり、僕が【花場】で受付をしたときに外部からすりかえるっていう方法?」
「そうだな。」
「計画では何時までに果樹園へ着けばいいの?」
「船の出港は1日の午前3時。果樹の積み出しが大晦日の23時。それを考えると22時には果樹園に着いていたいところだな。」
「22時か。少し遅れちゃダメ?」
【花場】の予約時間は2時間区切りで1時間単位になっている。19時から2時間の予約だと21時までになり、少し早過ぎて発見される確率が高くなる。【花場】から果樹園までは島の中でもわりと近く、走れば10分ほどで着ける。20時からの予約なら、部屋から庁舎への地下鉄の約10分と合わせるとどんなに遅くても22時半までには着ける計算だった。
「いいだろう。父さんは先に行って準備をしておく。だが彼女は来るかな?」
父に一番突かれたくない疑問を言われたが、僕は勝手に来るものだと信じきっていた。
「話せば彼女は来ると思う。」
「話をして来ないようだったら口止めをするのを忘れずにやるんだぞ。」
「わかった。でも、大丈夫だよ。」
僕は何故かそう自信を持ってそう言い、自分の計画を進め始めることにした。
僕は次の日の朝早く、カフェのオープンと同時に店へはいった。
「おはよう孝一君」
カフェのマスターがカウンターの向こう側から声を掛けてきた。
「マスターおはよう!良太は?」
「ああ、裏でまだ着替えているよ。良太!孝一君が来ているぞ!」
良太は僕より誕生日が遅く、先週18歳になったばかりで仕事はしばらく父の店を手伝うことにしていた。カウンターの奥にあるカーテンから良太が顔を出し、
「珍しいね、こんなに朝早く。」
良太は目をこすりながら、マスターとお揃いのグレーのシャツに蝶ネクタイという格好で出てきた。
「なかなか似合ってるな。」
僕はわざと皮肉混じりに言った。
「そうかな、実は僕も結構似合うと思っているんだ。」
良太はそうは受け止めなかったようだ。
「マスターちょっと良太と話していい?」
「ああかまわんが、何か飲むかい?」
「寒いからホットチョコレートを。」
「OK!」
マスターが後を向くと、良太の腕を取り店の一番奥に座った。
「どうしたんだ?」良太は僕の緊張した顔に何事かと勘付いたようだ。
「良太は【花場】へは行った?」
「いや、まだだよ。仕事にもう少し慣れて年明けにでも行こうかと思っている。」
「良かった。」
僕は良太の言葉に自分の計画が可能であることに安堵した。良太がもう【花場】へ行っていたら、別の人間を探す必要があったが良太以上の適任はいないと思っていた。。
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
「良太、一生のお願いがあるんだ。」
「何を改まって。」
「その権利を僕と交換して欲しい。」
「交換?」
「そう。明日の20時に二人で【花場】へ行く。良太は権利を使って無料で行く。僕は普通通りチップを払う。」
マスターが二人分のホットチョコレートを運んで来たので、僕はそこで会話を止めた。マスターがテーブルにカップを置いた。
「それで。」
良太はマスターがカウンターへ戻ったことを確認すると、ホットチョコレートをひと口飲んで言った。
「良太にはある女性を指名してもらう。僕はランダムで相手の女性が決まってしまう。それを交換して欲しい。」
「例の葉月ちゃんだな?」
親友である良太には、葉月のことが頭から離れないことも、葉月に逢いたくて【花場】通いしていることも話していた。
「そう。こうでもしないと彼女に逢えないんだ。」
「しかし、交換なんてことができるのか?」
「受付を通った後、列車に乗るところで交代すれば、問題ない。」
「そこまでして逢いたいのか?そんなに良かったんだ?」
良太はにやけて言った。
「そうゆう訳じゃないけど。とにかくどうしても明日彼女にもう一度逢う必要があるんだ。」
「なぜそこまで明日にこだわる?」
「…、それは、…良太であっても言えない。父さんとの約束だから。」
「わかった。聞かないことにするよ。まず僕がやることは、孝一の愛しの葉月ちゃんを予約することだな。」
「ああ、頼む。しかもできるだけ早く知りたい。」
「ちょっと待っていてくれ。」
良太はそう言うと、ホットチョコレートを一口飲み、席を立った。
マスターと二言三言話しをしてカーテンの奥へ消えた。僕はマスターにいつものスモークサーモンとクリームチーズのベーグルをいつも通りピクルスたっぷりで頼み、会計を済ませた。ベーグルを食べ終わると同時に良太が席へ戻って来た。良太の顔は無表情だったので結果がどうだったか判らなかった。
「どうだった?」
僕はマスターに聞こえないように小声で言った。
「OKだよ。」
そう言うと良太は表情を崩した。
「サンキュー!もうひとつお願いがあるんだけれど、明日は例のダウンジャケットにいつもの毛糸の帽子、ジーンズって格好で来て欲しいんだ。念の為僕も同じ格好で行くようにするから。」
「わかった。そろそろ仕事に戻らないと親父に怒鳴られちまう。」
「良太、ありがとうな、一生恩に着る!」
僕はそう言ってカウンターにいたマスターと良太に挨拶して店を出た。
(よし、第一段階はクリアだ)
僕は一旦家へ帰り、第二段階の準備に取り掛かった。今日は石切場、明日は例のPCでの選別の仕事を入れていた。キャンセルをすると怪しまれる可能性があったので、明日の決行までに残された時間はそう多くなかった。家でPCを立ち上げ、ショッピングモールのホームページを開いた。
(たぶんまだあるはずだ)
【器島】で衣類が売っているのはショッピングモールしかない。必要最低限の衣類は政府から支給されるが、お洒落着はショッピングモールでチップを出して買う。良太の着ているダウンジャケットはマスターが成人のお祝いに良太に買ったものだったので、今年入荷されたもののはずだ。衣類のページを開き、ダウンジャケットで検索を掛けると、10種類ほどが価格順に表示された。良太がもらったダウンジャケットは一番下にあった。
(2枚で約2万チップか…。)
明日の【花場】に使う2万チップと合わせると、今日明日の給金と手持ちを合わせてぎりぎりだった。
(まぁ、明日からは父さんに渡す必要もなくなるし、全部使ってしまっても問題ないか)
僕は、ダウンジャケットの予約をして引き取り日を今日の夜にした。
(よし、これで良太と同じ服がそろう)
ジーンズは島から支給されているものだし、毛糸の帽子は去年良太とおそろいで買ったものなので、これで良太と同じ格好で【花場】に行けるようになった。
石切場の仕事を終えた後、ショッピングモールへ行き注文していたダウンジャケットを引き取った。同じものを2枚買ったので店員が少し不思議そうな顔をしていたが、僕は何事もなかったかのように支払いを済ませショッピングモールを後にした。
自宅へ戻ってからダウンジャケットと、脱出用の荷物をバックに詰め込み荷造りをした。バックは大型のものだったが、ダウンジャケットだけでほぼ満杯状態になり、自分のものは大して入らなかった。とは言ってもこれといって持って行きたいものもなかった。写真を数枚とパソコンのバックアップをとったハードディスク、最低限の着替えだけバックに入れ、その他のものは置いていくことにした。
大晦日の朝、仕事へ行く前に父が見送ってくれた。
「じゃあ、22:30までに果樹園の事務所の前で落ちあおう。」
僕は仕事が終わった後、良太と待ち合わせて直接【花場】へ行く予定だった。
「【花場】の操作の件、頼むね。」
「ああ、任せとけ。孝一もドジるなよ。」
「OK!じゃあ、後で。」
僕は荷造りした大きなバックを背負って家を出た。
(もうこの家に帰ることはないんだな)
そう思うと感慨深かった。仕事場へ着くまでの間、父と暮らした6年間を思い出していた。今日はこの後のことを思うとマスターと良太に顔を合わせづらかったので、別の店で朝食を買って、食べながら職場へ向かった。
仕事が終わると、早足で区庁舎の前へ向かった。良太とここで19時半に待ち合わせをしていた。良太は頼んだ通り、ダウンジャケットにジーンズ、毛糸の帽子という格好だった。良太は僕の前に立つと開口一番
「何か全く同じ洋服ってのも、こっ恥ずかしいな。」と言った。
「悪いな、恥ずかしい格好させちまって。」
僕は良太といつもやるようにハイタッチをして出迎えた。
「どうしたんだ、そのデッカイ荷物は?」
「ああ、今日は大晦日でしばらく仕事が休みだから、石切場に置きっぱなしの私物を持って帰ってきたんだ。」
僕は予め用意していた嘘を言った。
「そうか。」
良太は疑いなく納得した。
「よし、それじゃあもう一度段取りを確認しよう。」
「ああ。」
これから二人で受付をする。まず先に良太が受付して列車の前で待つ。その後、僕が受付をすると、もう1つ列車の扉が開くはずだ。良太はそっちへ乗り込む。僕は先に開いていた方へ乗り込む。それで交代できる。」
「わかった、ところで俺の相手は美人なんだろうな?」
良太は笑って言った。
「僕のクジ運次第だけどね。」
「それじゃあ期待できないな。」
二人で大笑いした。サイコロを使ったゲームなどの運が勝敗を左右するゲームで僕は良太に勝ったことは殆どなかったのを良太も知っている。僕たちは並んで【花場】の受付へ行き、予定通り先に良太が受付を済ませ、すぐに僕も後に続いた。
(父さん頼むぞ)
僕はそう念じて受付のPCのキーボードを叩いた。画面には「本日のお相手は【由紀】さん、4Fの4134号室」と表示された。
(やった!)
僕は急ぎ足でトロッコのプラットフォームへ向かい、予定通りにトロッコに入る前に良太と車両を入れ替わった。
(第三段階は成功だ)
僕は【花場】へ向かうトロッコ列車の中で、胸を撫で下ろした。
ブースを出るといつも通りエレベーターの前に案内された。
「こちらのエレベーターで4Fまで行ってください。4Fで葉月が横山様をお待ちしています。」
従業員はそう言って僕をエレベーターに乗せ4Fのボタンを押すと、エレベーターを降りて深々と僕に頭を下げた。
(横山良太じゃないんだけどね)
僕は計画通りに事が進んでいることに思わず笑ってしまった。エレベーターが上がるごとに葉月に逢えると思うと心臓の鼓動が早くなっていった。4Fに着きエレベーターが止まると同時に、チーンという音が鳴った。エレベーターの扉が開くと、床には初めて【花場】へ来たときと同じように葉月が正座して額を床に付けていた。
「いらっしゃいませ、横山様。本日お相手をさせて頂く葉月と申します。」
約4ヶ月振りに聞いた葉月の声は心地良かった。
「本日はよろしくお願い致します。」
と言って、顔を上げた。と同時に彼女の顔が驚きの表情になり、声を出そうとしたので、僕は手で葉月の口を覆った。
「静かに!話は部屋で。」
葉月が黙って頷くのを確認してから手を離し、普段通りに手をつないで葉月の部屋4128号室へ入った。
「どうしてあなたが?」
部屋に入るなり葉月は小声で孝一に尋ねた。
「監視カメラに見られているだろうから、できるだけいつも通りにして。」
僕はそう言ってソファーに座った。葉月はソファーの前に座り挨拶しているふりをした。
「汗でベトベトだからまずお風呂に入りたい。」
と僕は言った。
「わかりました。お風呂の用意をしますね。」
葉月はそう言って浴室へ行き、浴槽にお湯を貯め始めた。僕は浴室へ立ち入り、
「僕が話をする間はお湯を出しっぱなしにして欲しい。」
と言った。お湯の貯まる音で会話はマイクで拾えなくなるはずだ。
葉月は黙ってうなずいた。
お互いが服を脱ぎ、二人で湯船に入ってじゃれ合いながら小声で話をした。監視カメラはお湯の流れる音で話し声は聞こえないはずだ。
「どうやって来たの?」
葉月の今日の相手は横山良太という【花場】を初体験の男性と聞いていた。孝一以来の【花場】初体験の相手だったので、孝一のときのようなドジをしないか出迎えまでとても緊張していたことを僕に話してくれた。
「良太に代わってもらったんだ。」
「どうやって?」
「それは、おいおい話すとして、聞いて欲しいことがある。」
「何?」
「この島から出ないか?」
「…、それってどうゆう意味?」
葉月は僕が言っている意味が理解できなかったのかもう一度聞にいた。
「【花場】からもこの島からも出たくはないかってこと。」
「そんな…、無理よ。ここから出られるのは男性だけだわ。」
「大丈夫。僕が連れ出す。ここにずっと居たいのなら別だけど…。」
「ところで、この前頼んだ加代子さんはまだここに居た?」
「ああ、居たよ、だけど僕が初めて葉月と逢ったときと比べて10人近く【花場】で働く女性は減っていた。」
「そう、加代子さんの件は良かった。でも、そんなに減っているってことはそうゆうことね。で、さっきの質問だけど、ここで一生過ごすなんて私には耐えられそうにないわ。」
「じゃあ、一緒に逃げよう。」
「でも、みんなを置いていくのも…。」
「みんなって?」
「ここにいる人達や妹達。あたしだけが逃げるなんて。」
「今日が唯一のチャンスなんだ。こんなチャンスは一生来ない。」
「…、でもどうやって?」
「細工は隆々。今日逃げる為に父さんと色々準備をしたんだ。」
「詳しい計画は後でゆっくり話すとして、ますは【花場】から出るのが先決だ。僕が持って来たバッグの中に着替えが入っている。ジーンズとダウンジャケットだ。サイズはちょっと大きいかもしれないけど。時間になる直前にカメラから死角になるところで着替えて欲しい。」
「どうゆうこと?」
「僕と良太はバッグの中身と同じ格好をして、今日来ている。君は良太と入れ替わってここを出て行く。そして僕達と一緒に今晩出る船に乗って、この島を脱出する。」
「うまくいくかしら?」
「うまくいかせるさ。信じて。」
「わかったわ。」
僕は部屋の覗き窓から良太が歩いているのを確認して葉月に合図をした。葉月はすぐに
「お客様がお帰りです。」
葉月は少し震えた声でマネージャーに電話をした。
「今、お帰りのお客様がいるから3分後にお見送りをして。」
と言ってマネージャーは電話を切った。
孝一はそのやり取りの間に部屋の外へ出て、
「良太!」と言って彼を呼び止めた。
「どうだった?」
孝一はできるだけ平静を装って聞いた。
「孝一のクジ運の悪さは天下一品だ…。」
良太の相手の【由紀】という女性は40歳近いベテラン女性だったらしい。
(良太ごめん!)
僕は良太が振り向いたのを確認して鳩尾をなぐった。良太がぐったり倒れこみそうになったのを支えて、葉月の部屋へ引きずりこんだ。
「どうしたの?」
葉月の顔に緊張が走る。葉月の部屋には同じ格好をした3人がいた。
「良太には悪いんだけど、犠牲になってもらった。」
僕は予め用意していた良太への手紙をバッグから取り出し、良太が目を覚ましたときにすぐ気付く場所に置いた。
「僕が先にエレベーターで降りるから、後から降りてきて。列車へはエレベーターを降りたら受付の前を通って右へ行くとある。そこで落ち合おう。」
そう言うと、殆ど空になったバッグを持ち急いで僕は部屋を出た。
葉月はマネージャーに言われた通り、僕が部屋を出てから3分後に部屋を出てエレベーターホールに向かった。エレベーターや受付などで男性同士がかち合わないように【花場】では配慮されていることが、この計画をやりやすくしていた。下のボタンを押すと4基あるエレベーターのうち一番左のエレベーターが来ることをランプで知らせていた。
(あの人が目を覚ましたらどうしよう?)
葉月はエレベーターが4Fへ止まるまでの十数秒間が人生で一番ドキドキした瞬間だった。
エレベーターに乗り込み、【1F】のボタンを押した。お客様用のエレベーターに乗るのは7年間【花場】にいたが初めての経験だった。従業員用と違って内装も豪華だったが、それを楽しむ余裕はなかった。チーンという音が1Fに着いたことを告げる。
(受付を通って右だったかしら)
彼に言われたことを心の中で反復した。
僕が渡した毛糸の帽子を目深に被り直した。エレベーターを出るとエレベーターの前にマネージャーがいた。マネージャーは葉月の顔を見る間もなく頭を下げて、
「高瀬様いつもありがとうございます。」
と言った。葉月は何も言わずマネージャーの横を通り過ぎ、【区庁舎】と書いてある方へ歩いた。右へ曲がり受付から見えないところへ出ると、思わず走り出しトロッコへの階段を駆け下りた。僕は列車の前で彼女を待っていた。葉月は僕を見て安心したのか、僕胃抱きつきそうになったが、
「乗って!」
という僕の声に促され、一人乗りの車両に乗り込んだ。ドアを閉めるとすぐにベルが鳴り、
【出発致します】というアナウンスが流れてトロッコは動き出した。
(外の世界ってどんな風になっているのだろう?)
葉月は初めて乗るトロッコに驚きながら、【花場】以外の場所への想像を膨らませていた。
10分弱走ったところでトロッコが止まり、【到着致しました】というアナウンスが車両に付いているスピーカーから聴こえた。車両のドアが前から順々に開いていく。葉月は事態が判らずそのまま車内に座っていた。僕は葉月の1つ後ろに乗ったので葉月より後にドアが開いた。僕は列車から飛び降りると葉月の姿を探した。
(いない)
僕は焦って前の車両のドアへ駆け寄った。葉月が座っている姿を確認すると胸を撫で下ろした。
「よし、行こう!」
葉月の腕を取り、列車から降ろして薄暗い区庁舎を足早に出た。
「へぇ~、【花場】の外はこうなっているんだ。」
葉月は器島の街並みを見て思わず口に出した、彼女にとっては【花場】以外初めて見る景色だ。僕は慌てて葉月の口を手で塞ぎ、
「女性だとばれちゃうから声は出さないで。」
と言った。この島には【花場】以外に女性は全くいない。葉月はそのまま目で【わかった】と合図した。
「これから父さんが待っている果樹園まで10分位走るから、できるだけついて来て。」
葉月はもう一度頷いて答えた。
僕は葉月を先導して無言で果樹園へ向かう道を走った。ときどき葉月がついて来ているかを確認する為に後ろを見たが、問題なくついてきていた。父と予め打ち合わせしていた果樹園へ入る北側の入口のフェンスは既に鍵が開いていた。
(父さんも順調みたいだな)
僕達はそっと錆びたフェンスを開け、果樹園の中に忍び込んだ。果樹を運び出すコンテナを積む場所は事務所の横にある倉庫だった。事務所まで静かに小走りで移動した。事務所が見えると立ち止まり辺りを見回した。果樹園の事務所には明かりがついていた。
(父さんは?)
僕が事務所の明かりが見えるところで立ち止まると、葉月が勢い余って僕にぶつかりそうになった。僕達は事務所の前で立ち止まり、息を切らしながらあたりを見回した。
「孝一か?」
父の声が森の中からかすかに聞こえた。
「父さん?」
僕は小声でその声に答えた。森の中から父が顔を出したのを確認すると、安堵感に包まれた。
「問題はなかったか?」
僕が父のいる森へ向かい、事務所から見えないところに隠れると、父が僕に聞いた。
「うん、大丈夫だった。父さんの方は?」
「こっちは予定外だ。まだ選別作業が終わってないらしい。」
父は暗がりで事務所を指差した。
「父さん、この人が葉月さん。で、この人が僕の父さん。」
僕は息を整えながら横に立っていた葉月を父に紹介した。
「初めまして、葉月です。」
葉月は蚊の泣くような声で息を切らせながら言った。
「孝一の父です。話は後でゆっくり。」
父はそう言うと、双眼鏡で事務所の様子を窺った。事務所に人影がなくなったのを確認すると、
「よし、今のうちだ!」
と言って走り出した。僕と葉月は父の後ろについて走った。
父が先頭で事務所に入ると、事務所の中に人影はなかった。
【こっちだ】
父の無言の合図に従い、僕達は静かについて走った。初セリ用のコンテナがある倉庫へ出ると、父は僕達を別々のコンテナに入るように促した。僕は葉月の右のコンテナを選び中に入った。扉を閉めると真っ暗な空間が少し怖かった。
(葉月は大丈夫だろうか?)

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