初恋の10年後
#初恋 #恋愛小説 #ショート #優し過ぎる男 #血のつながってない妹
1月1日、浩之は正月を自宅のアパートで過ごしていた。彼のアパートは中野から徒歩8分ほど歩いたところにあるちょっと古ぼけたアパートだったが、18歳からこのアパートに住んでおり、もう契約更新も4回していて愛着を感じていた。住み始めたときには既に築10年近かったので、恐らく20年近く経っているのだろう。古いおかげで、1人暮らしの浩之にとっては充分広い2Kの間取りを相場よりかなり安く借りているので、引越をしようと思えない。部屋の壁紙は煙草のせいですっかり茶色くなっているし、冬はすきま風が入ってくるようなボロのアパートだが、あまりに長く住んでいるので欠点も可愛いと思うようになってしまった。正月に1人で過ごすのは、彼にとってはそんなに特別なことではない。彼は18歳のとき親と喧嘩をして家を出てから、実家には寄り付かない。だから彼女がいるときは彼女と過ごすし、いなければ1人で過ごすから何回かは経験済みだった。今年の正月は去年の11月に彼女と別れたので1人で過ごしていた。1人だから気楽なもので、餅とスーパーで買ってきたおせち料理とコンビニで三が日は過ごすつもりでいた。年越しそばはコンビニで買ってきたカップそばで済ませ、テレビで除夜の鐘を聞き、連呼される「明けましておめでとうございます」とタレントが言うのを、缶ビールを飲みながら聞いていた。
退屈なテレビを見ているうちに寝てしまったらしく、付けっぱなしのテレビの音に気が付いて起きたときには初日の出はとっくに終わって、まもなく正午という時間だった。ホットカーペットの上で毛布をかぶって寝ていた為、起きると汗をかいていて気持ち悪いのと喉がカラカラだった。テーブルの上に置きっぱなしにしてあった健康飲料水のペットボトルで喉を潤した。
(最悪の年明けだな。)
煙草に火を付け、ゆっくりと吸い込む。吐き出した煙と手に持った煙草からの煙が天井に向かって昇っていくのをじっと見ていた。
(さて、どうしたもんかな。このまま寝正月としゃれこむか、パチンコでも行くか…。)
退屈な正月の過ごし方について煙草を吸いながら考えていた。煙草を付けたまま立ち上がりトイレへ歩いているうちに、ふと年賀状が来ていることを思い出した。彼の仕事の同僚や友人、いとこなどから毎年20通前後の年賀状が届く。筆マメではない彼はだいたい半分ほどには返事を書くが、あとはそのままだった。トイレを通り過ぎ、玄関を出てアパートの入口の横にあるポストへ歩いた。ポストには正月広告で分厚い新聞と輪ゴムで止めてある年賀状の束が入っていた。部屋に戻り、新聞をテーブルの上に置き、年賀状の輪ゴムをはずす。だいたい去年と同じ人からの年賀状だった。11月に別れた恋人からの年賀状がなかったことと、遥か昔に見覚えのある懐かしい名前を見かける以外は。
(え、美智子って、わぁ懐かしいなぁ。へぇ元気でいるんだ。どうしたんだろう今ごろ。気が向いたら連絡してって?)
見慣れていた美智子の文字と文体に懐かしさを感じた。宛名に書いてある自分の名前は、昔彼女がくれた手紙に書いてあった字体と全く同じだった。
浩之にとっても美智子にとっても、お互い初めて付き合った異性だった。子供の頃の淡い恋心を除けば、実質上は初恋の相手になる。2人は中学のときの先輩後輩で、浩之が3年生のとき、美智子が1年生、生徒会の委員長と書記だったのが知り合うきっかけだった。卒業してからも彼女は彼を委員長と呼んでいて、今年の年賀状の中でも委員長と書いてあった。知り合ったばかりの頃、美智子は子供っぽく浩之を茶化して興味を引こうとしていた。子供っぽいと言えば、美智子は見た目も背が低かったのと童顔だったので、駅員に小学生に間違えられることがよくあった。委員会の後、何かしら理由を付けて浩之を引き止めておしゃべりをした。浩之が卒業する直前のバレンタインデーに美智子がチョコレートと高校受験合格の御守りを彼のロッカーに入れたのが付き合うきっかけだった。
その後2年ほどの間付き合った。高校生になった浩之はファミリーレストランでアルバイトをはじめ、自由になるお金を持てたが、美智子はまだ中学生だったので小遣いしかない。美智子は浩之に負担をかけたくなかったので、お互いの家に行くかたまに喫茶店に行くぐらいでデートはつつましやかだった。あとは月に2回位手紙のやり取りをしていた。その当時の彼は筆マメで便箋に3枚程返事を書いたが、手紙好きの彼女は毎回5~6枚にも渡って返事を書いてきていた。だから浩之に届く彼女からの手紙は封筒にパンパンに入っていて、紙の重さで定額の切手では届かないときもあった。彼女が高校受験を向かえる半年ほど前に別れは突然決められた。自分達の意志ではなく外から決められた。決めたのは彼女の母親だった。高校受験だというのに夜遅くまで手紙を書いたり、デートに行ったりして勉強に身が入らないことを危惧して2人に付き合いをやめるよう説得した。当時の彼女にとって母親の言うことは絶対だったので、言うことを聞くしかなかった。浩之はそんな理由に納得がいかず、彼女に連絡を付けようとしたが、携帯電話もポケベルも普及していなかった頃なので電話を取り次いでもらえなければ彼女とは話せない。手紙を出しても母親が先に見つけてしまえば彼女には届かない。仕方なく彼女に直接会うために彼女が学校へ行く時間を見計らって、通学路の途中で彼女を待った。隣の家に住む同級生と一緒に登校していた彼女は母親の言いつけで彼を見かけても友達とのおしゃべりに夢中な振りをして、彼の前を通り過ぎた。1ヶ月間、同じように、同じ場所で彼女が通り過ぎるのを見ていた。おかげで浩之はその1ヶ月は毎日学校に遅刻していた。そして彼は一度も目を合わせようとしない彼女を諦めた。浩之が17歳、美智子が15歳だった。
結局、浩之はテレビを見るか、寝るか、パチンコの退屈な正月を過ごした。4日から仕事が始まり、退屈から開放されるのが嬉しかった。美智子への返事はまだしていなかった。年賀状には寮に住んでいると書いてあったので正月は実家に帰っている可能性があると思ったからだ。でも本当の理由はどう返事しようかを迷っていた。とりあえず年賀状には電話番号は書いてあるが、住所は書いてなかったので連絡手段は電話しかないのは決まっていたが、何故今になってという疑問の気持ちが強くて、なかなか電話をかける気になれなかった。
1月7日の夜になってようやく、浩之は年賀状を見ながら電話をかけた。
呼び出しのコールを8回聞き、切ろうかと思ったところで懐かしい声を聴いた。
「もしもし…」
ちょっと口篭もった声が聞こえる。
「浩之だけど…。美智子、だよね?」
「うん。お久し振り。」
「本当にね…。だって声を聴くのも手紙をもらうのも10年振りだからね。」
「そ、そうだね。」
ちょっと焦った口調で美智子が答える。
「え、違うの?」
「ううん。・・・・・・・・委員長は元気だった?」
懐かしい呼び方で美智子が言う。
「まぁね。美智子は?元気だった?」
「それなり…かな。」
「年賀状ありがとう。でも、よくうちの住所わかったね。」
「実家に電話して教えてもらったの。」
「そっか、それでか。そこは何処なの?」
浩之は電話番号から多摩方面だということはわかっていた。
「今ね、聖蹟桜ヶ丘の老人ホームに就職していて、そこの寮に住んでいるんだ。」
「へぇ、老人ホームか。仕事大変でしょ?」
「結構ね。精神的にも肉体的にも疲れる。」
美智子の事情が全然判らない浩之は会話をつなごうと思うが言葉に詰まる。本当は何で今ごろになって連絡してきたのかを美智子に尋ねたかった。言葉に詰まっていた浩之に美智子から答えを聞いた。
「あのね、突然連絡したのはね、逢いたいなって思ったからなの。どうしてるかなって。ずっと引っ掛かってたんだ、あんな別れ方だったから悪いなぁって思ってて…。」
「そっか、もちろんいいよ。いつがいいの?」
「委員長は土日が休みなの?」
「そうだけど。」
「じゃあ、再来週の土曜日はどうかな?空いてる?」
「大丈夫、空いてるよ。そっちへ行く?それともどこかで待ち合わせにする?」
「じゃあ、昔連れて行ってもらった喫茶店がいいな。」
美智子はいたずら好きだった10年前と同じように、わざと店の名前を言わなかった。
「えっと、何だっけ店の名前、あ、【もみの樹】!」
「そうそう、覚えてるんだね。」
「そりゃぁ、覚えてるさ。高校時代はしょっちゅう行ってたからね。」
浩之は思い出せて少し安心した。
「あたしはあれ以来行ってないよ。思い出しちゃうからね。」
「そっか。時間は?」
「何時でも大丈夫よ。」
「じゃあ1時でどう?」
「うん、じゃあ再来週の土曜日の1時【もみの樹】でね。」
「OK!」
「じゃあ、電話、わざわざありがとう。楽しみにしてるね。」
「こちらこそ…。」
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