多摩川の花火と二人のすれ違い
#昭和の恋愛小説 #ショート #登場人物少なめ #男フリーターから正社員に #同棲 #15000文字 #休日の曜日が合わない #高校中退 #続けたい仕事と仕方なくする仕事 #初めてのケンカ #1年の遅刻 #20代
あらすじ
お互いの学生時代の集まりで知り合った雄一と晶子。雄一に一目ぼれした晶子は3ヶ月もすると同棲を始めた。同棲を機に雄一はフリーターから正社員になった。それまでは余裕がない生活ながらも楽しかったが、雄一が正社員になってからすれ違いの生活となってしまい、ほとんど一緒に時間を過ごすことがなくなった。ある日仕事で初めて帰りが遅くなった夜、雄一は多摩川の花火を見る約束をすっかり忘れていたことを晶子に言われ、初めて二人はケンカをした。
雄一と晶子はこのアパートが気に入っていた。6畳と4畳半の二間と3畳のキッチンにユニットバスと、二人で住むには少し手狭で、田園都市線二子新地の駅から徒歩12分と遠く、風通しが悪くて梅雨時は湿気でキノコが押入れの奥に生えてきたり、冬は隙間風が入って暖房を付けても外とあまり気温が変わらないボロアパートだったが、2年近く住んでいることもあって愛着があった。欠点を許せる理由は、部屋は2階建ての2階の角部屋だったので、居間にしていた6畳の東側の窓からは、多摩川が見渡せたからだった。深夜の静かな時間帯なら、川のせせらぎもわずかながら聞こえてくる気がした。二人が住む部屋をこの場所に決めたのは雄一の勤務先の青葉台と、晶子の勤務先だった三軒茶屋の間という至極単純な理由もあるが、二人にとってそれ以上に多摩川に対しての思いがあったからだった。
二人が付き合うきっかけは、2年前、仲間で集まってこの多摩川でやったバーベキューが発端だった。それまでお互いに逢ったことはなく、それぞれの学生時代の仲間同士で集まり出会った。バーベキューやおつまみを作っていた2歳年上の雄一が、手際良く調理をする姿を見て頼もしく見え、晶子が一目惚れしてしまい、積極的にアプローチした。後で聞いたらそれもそのはず、雄一は16歳からもう6年のキャリアをもつコックで、料理はお手の物だった。
積極的な晶子に押されているうちに、雄一も晶子のことを好きになりはじめ、出会って3ヶ月もしないうちに、このアパートで同棲を始めた。
同棲を始めた頃は、新婚カップルのようにアツアツで、周りからは熱くて近寄れないと冷やかされていた。しかし、二人で暮らし始めてから1年過ぎた頃、雄一が勤める店を変えてからはそうはいかなくなった。それまで雄一はアルバイトの身分だったが、これから晶子やいずれは二人の子供を養っていくかもしれないと思い立ち、店を変え社員として働くことにした。
晶子は既に美容室で社員として働いていたので、それまでは晶子の休みに雄一が合わせるようにしていたので、二人で一緒にいる時間を持つことができていた。新しく雄一が社員として働くことになった店は、夕方から深夜の営業の店だったので昼間に働く晶子とは、時間が全く合わなくなってしまった。休みも美容室は火曜日が休みで、たまに連休をもらえるときも月曜・火曜の組み合わせだったので、雄一が休みの木曜日とは曜日も全く合わなくなってしまった。晶子が仕事を終え、買い物をしてアパートへ戻る頃には、雄一は仕事の真っ最中で、雄一が深夜仕事から帰って来たときには、晶子はいつもベッドの中だった。それでも晶子は、コックの雄一に食べさせるのにはつたない腕だと自覚していながらも、家で料理を作りたがらない雄一の為に二人分の夕食を作り、TVを見ながら一人で食べ、雄一が帰って来てからすぐ食べられるように支度をしてからベッドに入っていた。雄一はアパートへ戻ると、晶子を起こさないように静かに鍵を開け、テーブルの上にある晶子のメモを読むと、ダイニングルームで一人静かに晶子の用意した食事を食べた。そして食後の一服の間に、晶子が書いたメモに返事を書き、晶子とは別にしている4畳半の自分の部屋で眠った。たまに寂しくて晶子の部屋へ入り、寝顔を覗き込むこともあった。ベッドの脇で晶子の寝顔を見ているうちに、疲れでそのまま寝てしまうこともあった。雄一が起きたときには、肩に晶子の毛布が掛かっていて、ダイニングテーブルにはいつも通り、朝食と晶子からのメモが置いてあった。二人で暮らしてはいるが、言葉を交わすことのない日々が続いた。
それまでフリーター暮らしだった雄一だったが、晶子と暮らし始めて自分にとって守るべき人と思うようになり、晶子を自分で養えるようになりたいという気持ちに変わった。だから高校中退でも社員として雇ってもらえる今の店を選んだ。ただそれが自分のやりたい仕事とは納得してはいなかった。今の自分にコックの他に晶子を養えるほどのお金をもらえる仕事がなかったから、我慢してこの仕事を続けていた。一方晶子は、美容師の仕事を一生続けたいと思っていて、いつかは独立して自分の店を持ちたいという夢を持っていた。晶子の為にと思って仕方なく仕事をする雄一と、将来の為にと頑張って仕事をする晶子の間には、意識の面でもいつしか溝ができはじめていた。
毎年多摩川の河岸で行われる花火大会を、昨年は雄一がバイトを休めたからこのアパートから二人で一緒に見ることができた。まだ二人がここに暮らしはじめたばかりの頃で、何もかもが新鮮だったし、一緒にいるだけで楽しかった。
ここに住み始めて2回目の花火大会は、晶子一人で河岸が見えるダイニングの椅子に座り、缶ビールを片手に一言もしゃべることなく眺めていた。テーブルの上には雄一が帰って来てから食べる為の食事がまだ暖かく、湯気でラップが曇っていた。晶子は花火を眺めながら、昨年雄一とした約束を思い出していた。
(「来年も一緒に見ようね」って、雄一は言ってくれた…なのに…。)
あのときの約束をしてくれた雄一の顔を思い出した。そして、二人で住んでいるのにもう半年近くもの間ロクに顔を合わせない生活を思い返すと、涙が溢れ出てきて後半の花火は殆ど形がわからなかった。晶子はそれまで我慢してきた思いが、花火を見て一気に溢れかえってしまった。
高校卒業後、新潟から上京して美容師の専門学校に入った晶子は地元ではなかったので周りに友達が少なかった。専門学校時代の同級生もみなバラバラに就職し、それぞれがまだ見習いに毛が生えた程度なので、夜遅くまでカットやカラーの練習をしていて、逢って話をすることも殆どなかった。週1回の休みも少し寝坊して起きると、溜まった家事をしているうちに雄一を起こす時間になり、二言、三言会話するだけで雄一は仕込みをする為にアパートを出て行く。美容師の薄給での余裕のない生活、誰と話すこともないアパートと職場の往復に、晶子の心は少し疲れていた。
ある夏の土曜日の夜、雄一はいつもより遅くにアパートへ戻った。常連さんにビールを飲まされ、話し込んでしまい店を閉めたのは定時より1時間近く遅くなった。あまりお酒が強くない雄一は、お客さんが帰ると緊張感が途切れ、片付けているうちに【少しだけ】と思いソファー席で寝てしまった。目が覚めたときには既に5時を過ぎていて、夏の空はもう明るくなっていた。急いでしかかりだった店の片付けをして、スクーターに飛び乗ってアパートへ戻った。6時頃アパートに着くと、アパートのダイニングルームは、もうすっかり外が明るいのに電気がまだ付いているのが見えた。いつも通り、晶子は深夜遅くに帰って来る雄一が寂しくないように、ダイニングルームの電気を付けて寝ていた。
(やっぱ付けっぱなしだったか…)
アパートの駐輪場にスクーターを止め、左手にヘルメットを持ち、静かに歩かないとうるさい鉄の階段をそっと上った。二人の部屋はアパートの一番奥だったので、他の部屋に迷惑をかけないようにできるだけ静かに歩き、自分の部屋の扉に辿り着く。後ろに背負っていたリュックのポケットから家の鍵を取り出し、静かに鍵を開け、ゆっくりと玄関の扉を開けた。狭い玄関はダイニングルームとつながっているので、いつもだったらテーブルに置いてある晶子のメモと手料理が雄一を迎えた。しかしその日のお迎えはそれだけじゃなかった。ダイニングテーブルに顔を伏して泣いている晶子が雄一を出迎えた。雄一が帰って来た気配には気付いたが、晶子は顔を上げられなかった。いつもと違う光景に雄一は慌てて靴を脱ぎ捨て、晶子の左側へ立つと、右手を晶子の背中に当て
「どうしたの?」
と恐る恐る訊ねた。
「ごめん…、お帰りなさい…。」
晶子は顔を伏せたままくぐもった声で答えた。
「ああ、ただいま…。」
雄一は事態が飲み込めず、そのあとの言葉が見付からなかった。少しの間沈黙が流れた。
「お、遅かったんだね。」
晶子は今の晶子にできる限りの明るい声で顔を伏せたまま雄一に言った。
(遅かったから怒っているのか?…、本当のこと言っても言い訳にしか聞こえないだろうなぁ。)
そう思いながらも雄一は遅くなった理由を晶子に長々と説明したが、晶子には雄一の話は全然耳に入ってはこなかった。雄一は説明を終わらそうと思っても、晶子が返事もせず顔を伏せたまま黙っていたので、また説明を続ける。そうこうしているうちに雄一はいらいらしてきてしまった。
「もう、何だっていうんだよ!悪かったって言ってるのに!」
雄一はそう言って、ずっと左手に持っていたヘルメットを床に投げつけた。ヘルメットは下の部屋が飛び起きるぐらいの音を出し、床に転がった。
「何でそうゆうことするのよ!」
晶子は体を起こし、テーブルを叩いて怒鳴った。テーブルの上に乗っていた料理は音とともに転がったり盛り付けがズレたりして踊っていた。ラップを掛けて小鉢に入っていた、ほうれん草のおひたしはヘルメットに向かって転がった。雄一のいらいらに触発されて、晶子も気持ちが抑えられなくなってしまった。
「晶子もしただろう、今!」
転がっていた小鉢がヘルメットに当たり、コツンと音を立てた。雄一が小鉢から立ち上がった晶子の顔に目を移すと、晶子の顔は泣き過ぎたのか、目と鼻の周りが真っ赤になっていて、顔は腫れぼったくなってむくんでいた。
(しまった)
晶子の顔を見て咄嗟に冷静に戻った。しかし冷静に戻った雄一とは反対に晶子の方は怒りの絶頂に達していた。
「何時だと思っているのよ!あたしがどんな思いで待っていたかわかる?」
晶子の鼻息は荒かった。
「だから、ごめんって言ったじゃないか。」
初めて見る晶子の怒った顔にたじろぎながら、雄一は精一杯返事をした。
「約束破ったじゃないの!」
「だから、謝ってるじゃないか。」
雄一は今の仕事になったとき、どんなに遅くなっても3時にはアパートへ戻るという約束を破ったことを謝った。
「約束覚えてる?」
「ああ、3時までに帰るってやつだろ?」
雄一の思い浮かべた約束は、晶子の言う約束とは見当違いだった。
「…、覚えてないでしょう?」
「えっ、それじゃなくて?」
「違うわよ!去年約束したじゃない!」
「えっ?何かしたっけ?」
「ハァ~、やっぱり覚えてない。」
晶子はため息をついた。
「ごめん、全く心当りがないや。」
「昨日の夜は何の日だった?」
晶子にそう聞かれ、雄一は頭をフル回転させて記憶を辿った。
(二人が一緒にここに住み始めた日は…、あれは6月だからもう過ぎてるし…、何かしたっけ??)
雄一が無言で考え込んでいる姿に晶子は郷を煮やし、答えを言った。
「花火よ、花火。」
「花火?」
晶子の意外な答えに雄一は驚いた。
「あ~もう!本当に全然覚えてない。今年も一緒に見ようって言ったじゃない、ここで!」
「あっ!」
晶子にそう言われて雄一はやっと思い出した。
「思い出した?自分の言ったこと。」
「あぁ、思い出したけど…、でもそれは無理でしょ。土曜だもん花火は…。」
(居酒屋の仕事を土曜日の夜に休めないことぐらい判っているだろう)
雄一は晶子に同意を求めた。
「それでも、約束は約束でしょ?ダメならダメで何とか言えばいいじゃない。」
「そんなのダメに決まってるだろ!何の仕事していると思ってるんだよ。」
「居酒屋の厨房。」
口を尖らせて言う晶子を、雄一は憎たらしく思った。
「そうじゃなくて、飲み屋で土曜の夜に社員が休める訳ないだろう。」
「誰かに替わってもらえばいいじゃない、あなたがいなくったってお店開けられるでしょ?」
「俺が出なかったら、誰が料理するんだよ?」
「誰かがするでしょ、店長だってできるんでしょ?社員つったって、大して難しい料理する訳じゃないんだし、調理師でもないんだからさ。一日位無理言ったっていいんじゃない?今日は大事な約束がある日だからって。」
晶子は、忙しいからと言い訳していつまでも調理師免許の勉強をしない雄一のことを疎ましく思っていた。
「約束を忘れてたことは謝るよ。でも、仮に覚えていてもやっぱり休めないよ。」
雄一はその場をおさめようと思って、年上らしく自分が引くつもりで口調を柔らかくした。しかし晶子はカーッとなったままだった。それまでアツアツの状態か殆ど顔を合わせないかの生活しか経験してなかったので、些細な言い合いはあっても本格的なケンカをしたことがなく、お互い引き時や終わり方が判らなかった。
「だったら、そんな仕事辞めれば…。」
頭に血が上ったままの晶子は、言った後に言ってはいけない言葉だったと気付いたがもう遅かった。
「辞めたら食えないでしょうに!」
晶子の言葉にカチンと来た。美容師で薄給の晶子、高校中退で社員になりたての自分、二人の暮らしを守りたいが為に働いているのに、簡単に辞めればと言う晶子を睨みつけた。
「いいわよ、辞めて。やりたくないんでしょ?コックなんか…。」
今まで一度も見たことがない雄一の表情に晶子はうろたえて、思いと裏腹に余計なことを口にしてしまった。
「そりゃぁ…、」
晶子と違ってコックの仕事をどうしてもしたいという訳ではなかった雄一は、夢をかなえようとする晶子を少し羨んでいた。
「ほら、やりたくないんじゃない。あたしがやりたい仕事に就いているからって嫉妬しないでよ。」
「あのねぇ、…。」
晶子に図星を指摘され、言葉が続かなかった。
「いいのよ、辞めて。辞めて好きな仕事すれば?あたしの為になんて思わないでいいんだから。そんなのあたしが負担みたいじゃない。」
「じゃあ、どうするんだよ。この生活は。」
「無理にあたしといる必要なんてないでしょ?ど~せ一緒に住んでいたって、休みも合わない、顔を合わせることもロクにない、これじゃあ単なる同居人だもん。」
「しょうがないだろう、それは。お互いの仕事なんだから。」
「じゃあ、ずっとこのままでいいの?最近あたし達まともに話したこともないのよ。いつも寝顔だけで…。あたしのできることは食事を作って、メモを置いておくことだけ…。そんなの悲しいじゃないの。せっかく一緒に暮らしているのに。」
晶子はしゃべっているうちに情けなさと、どうしていいか判らなくて涙が出てきた。
「じゃあ、辞めろよ、お前が。」
雄一は泣いている晶子に追い討ちをかけた。
晶子は雄一の言葉に涙は止まらなかったが、くしゃくしゃの顔でさっき雄一がしたような顔で睨んだ。
「…、あたしの夢よ。美容師になるのは。それを辞めろって言うわけ…。」
「俺だってお前と暮らす為に我慢してるんだから、お前だって我慢しろよ。」
晶子は信じられないといった表情で首を振った。
「雄一、もう終わりにしよ。無理だよ、続けていくのは。あたしは美容師の夢は捨てられない。でも今の雄一は捨てられる、だから…。」
晶子は転がっていた、ほうれん草が入っている小鉢を拾い、ラップを外してゴミ箱に投げ入れた。
「そうだな。終わりにしよう。俺も疲れたよ、もう。これからは一人で気軽にやるよ。」
「そうして、…ね。」
「あぁ。」
雄一の言葉を聞いた後、晶子は寝室へ立ち荷物を整理しはじめた。
雄一は晶子が荷物をまとめている姿を見ていられず、床に転がっていたヘルメットを拾い上げ、外へ出ていった。
雄一はスクーターでしばらく川沿いを走り、晶子と知り合ったバーベキューをやった川原で止めた。堤防の斜面に寝転がると、夜露が少しヒンヤリと冷たかったが、飲んだお酒と仕事の疲れで、晶子との言い争いを思い返す間もなく寝てしまった。
数時間後、アパートへ戻ると晶子の姿はなかった。ヘルメットをダイニングテーブルに置こうとすると、テーブルにいつものようにメモが置いてあった。
【さようなら】
一言だけ書いてあったメモの字は少し震えていた。晶子の部屋を開けると殆どいつもと変わらない光景だった。変わっていたのは晶子がここへ住むときに持ってきた大きなスーツケースとボストンバックがなくなっていたことだけだった。晶子がその中に荷物を詰め込んで、小さな身体でようやく運ぶ姿を想像した。
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