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女のいない島(少子化対策実験ラボ)#3

#フィクション #長編小説 #登場人物少なめ  # #180000文字 #出産マシーン
#政府による実証実験 #少子化対策 #監禁 #児童虐待 #強制労働 #売春斡旋   #異父姉弟 #国民負担率50 %超

【3】ファーストジェネレーションの父 高瀬修一 43歳
オスメスという区別がある植物は風や虫に運ばれたオシベが偶然メシベに付くことで次世代へ遺伝をつなぐ。ここ【器島】には選択の余地はない。あくまでも偶然であって、メスは好きなオスを選ぶことはできない。植物とは異なり、動物はその名の通り多くが自ら動き子孫を残すための行為を行う。その行為には選択の余地がある。人間以外の動物は強い遺伝子を持っている個体を選ぶようにDNAがプログラムされている。強いオスだけが次世代へその遺伝子を伝えることができるようになっているのだ。これは種の保存を考えれば正しい選択だろう。力のある強い遺伝子ならば、より強くなる可能性が高まるからだ。そして、その強いオスの群れに属するメス達は、安心して子育てができるのであろう。
地球上にいるサラブレッドと言われる馬は、全てがたった3頭のオス馬の遺伝子が必ず入っている。これをより速く走れるようにと試行錯誤した馬が、競馬場というフィールドで更なる生存競争を日々繰り広げている。サラブレッドの世界ではオスとして機能できるのはわずか千分の1程度の確率しかない。その他のオスは一生オスとして機能せずに生涯を終える。つまり童貞のまま一生を終えるのだ。人間も恐らくオランウータンからネアンデルタール人に至る進化の過程では強い遺伝子しか残らなかったはずだ。身体的にも頭脳的にも優秀な遺伝子のみを伝え、それを繰り返してきたことで、今の人間の社会や栄華は築かれたのだろう。
しかし、いつからかそうではなくなった。人間に感情というものが芽生えてしまったからだ。それは神のいたずらなのかもしれない。もしかしたら、この【器島】で行われている実験と同じく、数千年という歳月をかけて神が実験を行っているのかもしれない。その結果強いモノは強いという考え方は資本主義を産み出し、今やそれが世界を席巻している。
30歳のときは【どうしても自分じゃなければ】というものが何もなかった私が、43歳という歳になって、ようやく私を絶対的に必要としてくれる存在を得ることができた。自分の遺伝子が半分入った息子が我が家に来たのだ。といっても生まれたばかりではない。もう12歳になっているという。つまりこの【器島】へ来たばかりの時にできた子供だ。
私は孝一が12歳の誕生日を迎えた日、彼に初めて会った。彼の存在は彼が産まれたとき特別自治区政府から来た往復ハガキで知っていた。器島では出生後にDNA鑑定を行い、必ず父親を特定させる。日本では一定の確率で托卵という、他人の子供を育てている行為が散見されるがここではありえないようになっている。往復ハガキには、私の遺伝子を持つ息子が産まれたことが書いてあり、ついては一週間以内に任意の名前を記入して返信するようにという内容だった。それ以来会う機会もなかったので、存在は知っていたが自分に子供がいるという実感は全くなかった。
彼を目の前にして、ようやく自分の子供だという気になった。それほど自分の12歳の頃とそっくりだった。しいて言えば自分12歳の時より背が少し高いかもしれない。
遺伝子には優性遺伝と劣性遺伝というのがある。私達【器島】の住人は優性遺伝子が多い体質の人間が選ばれているらしい。例えば一重まぶたと二重まぶた。耳垢が濡れているか、乾いているかというのも遺伝によるものらしい。先のサラブレッドの話で例えれば、サラブレッドの世界ではオス馬の能力が最も重視される。理由はオスの方がメスより速く走ることができるからだ。性別混合のレースで同年代の馬を走らせるとき、2kg程度オス馬はメス馬よりハンデを背負う。もちろん中にはオス馬より速く走ることができる女傑の馬もいる。ただし競走馬としては優秀なメス馬が、必ずしも母親として大成するかというと、そうとは限らない。むしろ確率はあまり高くない。優秀な子供をたくさん産む、大成する優秀な母馬というのは、概して父方の血をうまく引き出せる母馬のことだ。つまり劣性遺伝が多いほど可能性が高くなる。
この島に集められた男性は全て男性らしい特徴を持つ背の高い人が多い。ここへ連れてこられたときに乗ってきた船では、あまりの男臭いフェロモンにムカムカしたものだ。後から聴いた話では、我々は集合場所だった高等裁判所へ呼び出される前にDNA情報を入手されていたらしく、優性遺伝が強い男性が選別されたらしい。
自分の息子である孝一を見る限り、この島に集められた女性は私とは逆に劣性遺伝が強い女性が集められたに違いない。よくよく考えれば、【花場】には似た感じの女性が多かった記憶がある。彼女達を集めた責任者の趣味で似かよった女性が集められたと思っていたが、どうやら違うらしい。また、女性達は日本の平均身長より高めの傾向があり、160㎝未満の女性はいなかったはずだ。これは少しでも強い子供を政府が求めている結果だろう。
息子の孝一が家に来てから生活は一変した。それまで独り暮らしが長かったことが災いして、2人で住むことに窮屈さを感じた。しかし政府の教育が行き届いているのか、孝一は私の12歳の頃と比べると遥かに大人だった。礼儀正しく、親を敬うことを徹底的に教育されたらしい。孝一が私に対して【このくそ親父】のような暴言を吐いたことは一度もない。だから腕白さという面では欠けているが、男手一つで育てていくには申し分なかった。二人で暮らすようになって家事は増えたが、孝一も率先して手伝ってくれるのでむしろ楽になった位だ。
何よりも大きな違いは、いつでも誰かがそばにいることだ。仕事がない休日は、この島でできた友人と飲みに行ったりすることもあったが、私はあまり人付き合いが得意ではなかったので、数えるほどしか友人はいなかった。その数少ない友人達もコンピューター関連の仕事をしているので、もっぱら新しい言語やプログラムの組み方の話に終始していた。孝一が来てからは、それまで言葉を忘れていたのではないかと思う位に、よく話しをするようになった。
それまで休日に外へ出ることは外で食事をとる時ぐらいだったが、孝一が来てからは山へ虫取りに行ったり、グランドでキャッチボールをしたりするようになった。太陽の下に出ることなど滅多になかったのが、今や日焼けをするようになったのだ。私が声を掛ければ【いつでも喜んで応じてくれる友達】ができた気分だ。
これが3歳児だったら、こうはいかなかっただろう。12歳までしっかりとした教育を【器島】政府が受けさせたおかげで、孝一はすでに半分大人になっている。だから男と男としても会話ができるのが嬉しかった。そして子供に頼られているという実感も心地良かった。
政府の方針では、12歳までの人格形成に重きを置いているということだった。だから12歳までは政府が全ての子供を預り育て、一貫的に教育を行う。多分子供を産んだ母親は自分の子供を取られることに納得いかないだろうが、父親側としてはその成果を認めるところだ。むしろ子育ての面倒な期間を政府が肩代わりしてくれ、いいとこ取りのような気がしている。普通だったら夜鳴きで寝られないだの、反抗期でいうことをきかないだのという期間は既に過ぎている。子育ての苦労する部分は政府がやってくれるのだ。
さらに嬉しいことに、孝一は日本で言うところの中学校であるセカンダリースクールでクラストップの成績を取った自慢の息子だった。私は自分の息子を誇らしく思ったものだ。コンピューターに関しても私が教えることはスルスルと習得していった。
子供がいることを幸せに思えるようになったことは、私の中で人生の転機になった。私は子供を欲しいとは少しも思ったことはなかった。むしろ自分の人生を邪魔する存在だと思っていたのだ。しかし孝一が成長していく様を見るうちに、人生に張り合いが出てきた。きっと親達も、その親達も、そしてずっと昔の祖先もこのような思いを味わったから、【子供はいいぞ】と忠告し続けたのだろう。20代の後半になってから、母親は私の顔を見る度に、「早く結婚して、子供を持ちなさい」と言っていたことが43歳でようやく判った。とは言っても、この【器島】からは母親に伝えることはできないのだが…。孝一が来る前は、この【器島】に幽閉されているだけで、何の楽しみもなかった。ただ生きているから生きている。それだけの生活しかなかったから、いつ死んでもいいと思っていたし、むしろ早く死ねるなら死にたいと思っていた。それが、【この息子の行く末を見届けたい】という気持ちに変わった。そして孝一が立派な大人になるまで頑張らなくてはという気概も生まれた。

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