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女のいない島(少子化対策実験ラボ)
#フィクション #長編小説 #登場人物少なめ # #180000文字 #出産マシーン #政府による実証実験 #少子化対策 #監禁 #児童虐待 #強制労働 #売春斡旋 #異父姉弟 #国民負担率50 %超
【1】実験スタート (回想)区長 長島晴信
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2030年9月1日現在 人口 3,007人 月間犯罪件数 0件
犯罪のない、新たな町づくりを器島は目指しています!
器島特別自治区 区長 長島 晴信
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私のオフィスである器島区庁舎の前には大きな電光掲示板が据え付けられている。電光掲示板の人口は、区内各所の病院のデータベースと直結して、前日の統計を即日に表示するようにしていた。
(ようやく3,000人を超えたか)
私はその数字に感銘を覚えた。20年前この島に来た時は、わずか100人からのスタートだった。あれから20年、私は60歳となった。私は40歳という若さでこの特別自治区を任された。小国の大統領に選任されたようなものだ。国会の中では単なる首相派の中堅議員だった私が、その大事なポストを任されたことで、周辺議員からは疎まれたものだが、20年経った今思えば、これだけ長くかかる実験だから、【若さ】ということが必須だったことが判る。限られたスタッフでこの島を見守っている為、この20年で島を出たのは数回限りだ。それも首相官邸へ実験状況の報告を極秘裏に行うだけで、トンボ帰りしなければならない。相手の首相も行く度に違う人物に変わっていた。もっとも本土へ帰ったところで、私にはもう家族も知り合いもいないことになっている。というか、私は日本では死んだことになっているのだ。先日実験がようやく第三段階へ進んだことを、現在の首相に報告したところだ。
20年前一緒にここへ来たスタッフ達の約3割は、この島で家族が知ることなく死を迎えた。スタッフ達は私と同様にこの島へ移る前に偽装の事故で全員死亡したことになっている。日本には実在しない人物なので、日本国民の人口のカウントからは既に外れている。
当初からいたスタッフは少なくなっても、この島の人口は着実に増えつつあり、我々の目的である人口増加実験は達成に近付いている。そしてもう1つの大きな目的である、【争いのない社会構築】も驚くほど順調だった。私が産まれ育った山梨県の田舎町は、子供の頃は確かこの島の雰囲気そのものだった。のんびりしていて、何処かへ出掛けるときでも家に鍵をする必要もない。村に一人いる警官の仕事はパトロールか落し物を預ることしか仕事がない。1度だけ警官が慌てていたのを見たのは、都会から来た果樹園に桃泥棒が来たときだけだった。決して裕福な村ではなかったが、ほのぼのとして人間らしい暮らしができていた。犯罪など皆無の平和な村だった。
2007年、日本は人口が減少する事態に陥った。出産数が死亡数を下回ったのである。この原因は様々だが、もっとも大きな理由はこの国の未来への不安が要因であると、政府は定義づけた。新聞には毎日のように殺人の記事が幾つも掲載される。こんな事態は私が新聞を読み始めた頃にはありえなかったことだ。それこそ猟奇殺人や大量虐殺などはハリウッド映画の中の世界でしかなかったが、今や自分を育ててくれた親を殺し、その身体を切り刻むような事件が当り前のように報道されていた。
これらの問題を解決しなければ、この日本に未来はないと考えたその当時の政権は有識者を中心とした問題解決の為のチームを4つ作った。私が指揮しているチームはそのうちのCチームである。つまりこの島のスタッフ達だ。
私達のチームは、根源は性別にあると仮定して実験計画を練り上げた。これまでの人類の歴史を紐解くと、人類の歴史は常に争いの歴史である。争いがなかった時代はない。争いごとの発端となる理由を探ると概ね自己顕示欲、物欲に絞られる。しいて言えば、自分の力を世に知らしめたいという欲求か、何かが欲しいという欲望が争いごとの争点になっている。恨みや復讐という争いごとは、通常は発端の後の出来事である。さらに判りやすく言えば、自分はこれだけの力があると多くの人に知ってもらう為か、あいつが持っている何かが欲しいかである。あいつより上へ行きたい、あの土地が欲しい、あの女を手に入れたい、などなど。どれもが当てはまる。あとは規模が違うだけで、それは個人同士であったり、国対国であったりするだけのことだ。
この争いの発端となるのは多くが男性だ。特に近年を除くとほぼ男性が発端と言える。その理由としては、女性はDNAに【仲間とうまくやっていこう】とする遺伝子が元々強く備わっているからだ。できるだけ争いごとを避けようとするし、争いごとにならないように、目や表情から相手の感情を読み取る能力に優れている。ただし、近年だけを見るとそうでもない。女性が男性化しはじめているからなのだろう。ただし、男性のような規模が大きいものは殆どなく、多くは愛情のもつれが原因だ。現在でも男性の犯罪者が圧倒的に多いことでもそれは証明されている。
私見であるが、私がいるこの政治の世界でも、女性が政界に入ってきてから、色々と歯車が狂いはじめている。わずか1世紀前、女性は被選挙権を持つことはもちろん、参政権さえ与えられてなかった。ところが、男女平等の考え方にのっとり、双方とも女性が権利を手にすると、女性議員が誕生し、政治の世界をかき乱した。それまでは男性側を向いて政治を行えば良かったが、何せ人口の半分以上が女性である。彼女達の意見も政治に取り入れなければ選挙には勝てなくなった。女性優遇の法案や決議が次々とまかりとおり、女性の力が益々増大してしまい、大事な血税を短期的に使うハメに陥った。私は殆どの女性に中長期的な政治を行う能力は備わっていないと思っている。
争いごとを起こす男性が、自分の価値を知らしめたいと思う相手の半分以上は女性であり、何かが欲しいのも結果的には女性を手に入れたいか、女性に認められたいと思う男性の心理的要因に起因するのではないかと私達の研究チームは結論付けた。
つまり平等な社会で、かつ女性が傍にいなければ、男性が犯罪を起こすことは激減するだろうと仮定した。しかし、女性がいなければ子供が産まれないので国は存続しない。そこで、女性という性別を排除した社会を整えることで解決しようとした。これらの説を証明すべく我々のCチームは組織されたのである。
この仮説を証明する為には、隔離された場所と長い時間が必要だった。現代社会では欲しい情報がインターネットですぐにでも手に入ってしまう。ある程度情報を統制しなければならず、それには世間から隔絶された場所が必要だった。
その場所を決める作業が準備段階では最も苦労したことだった。当然日本の領土内でなければ実験は不可能であり、そこに生きる住民達が暮らしていく為の産業が必要で、実験に有効な3千人が住める広さ、さらに社会から隔絶された場所という数々の矛盾を満たす場所がこの【器島】だった。
紀伊半島沖にあるこの島は、海流の影響で非常に温暖で過ごし易い。広さも今の人口が倍になったとしてもまだ余りうるほど大きな島だ。地層的に若い為、石油や石炭のような化石燃料や天然ガスは採取できないものの、黒潮と親潮がぶつかる海域である為、常に波や風があり、これらを電力に換えることでエネルギーを得ることができた。また土壌は肥沃でしかも水分を溜め込みやすく、地下水を汲み上げれば水の心配も殆どいらなかった。
とはいうものの、大量に水を使用する稲作やアルミニウムの精錬工場などは難しかったが、温暖な気候を利用すれば、小麦や果樹の栽培、牧畜などは可能と判断された。
また、地質調査の結果、海から隆起してできた島ということが判明し、山岳地帯では岩塩を取ることができたことも幸いだった。
我々がこの島へ来るまで、この島は無人島だった。この島は海底が複雑に隆起した為、周囲は全て断崖絶壁となっていたからである。その当時にこの島へ入る唯一の手段はヘリコプターだけだった。平地に小型セスナを降ろせないこともなかったが、島の上は海流と同様に気流も安定しておらず、ヘリコプターでも安心して降りられる日は週に1度位しかない。この島を調査するうちに、島の南東側に大規模な洞窟があることが判った。しかもその洞窟は島の内側1kmの位置まで続いていることが、この島で実験を行う決定要因となった。
島の内側と海側それぞれから洞窟を爆破することで拡張し、洞窟内に拠点となる港と島の内側へ繋がるトンネルを作った。洞窟内の港なので、満潮時には洞窟は殆ど水没してしまう為、引き潮のときしか使えない。建設当初はそのことに不便を感じていたが、この島から住人を逃がさないようにするには絶好の立地だった。さらに海流が複雑にぶつかる為、この島周辺の海域は安定することは殆どなく、常に高波の状態にある。この島から脱走しようとしても、よほどの運がなければ筏や小型の船で逃げ出すことは不可能である。ほぼ間違いなくこの島の岩場に打ちつけられ座礁するだろう。この20年間に脱走を試みたグループが2組あったが、いずれも数時間で遺体となって発見された。
このような状況なので水産資源は期待できなかったが、世が世であれば天然の要塞として好立地な島だ。この島と外の世界をつなぐ唯一の交通手段は週に1度だけ洞窟の港に着く1万tクラスの船と特別自治区区長である私専用のヘリコプターだけである。このヘリコプターは私が本土へ定期報告に行くときと緊急時以外は使用しないので、実質週一便の船がこの島の生命線となっている。
この船は島では生産できない金属製品やプラスチック、繊維などと交換に、島で生産した農産物や採掘した岩塩、その他の加工品を運んで行く。ここに住む住民達がこの島へ渡って来るときもこの船【器島丸】を利用していた。
この断崖絶壁に囲まれた無人島を実験がスタートできる環境にする為に約2年を要した。その2年の間はインフラ整備の為に、大型ヘリコプターと洞窟へ入港できる船を何百回と往復させた。私を含めたCチームの約50人の初期スタッフ達は、本土とこの島を何度も往復し、準備を進めた。短期間で大量の資材を極秘裏に島へ運んだ為、FBIをはじめとする各国の情報機関が軍事施設を建造しているのではないかと不信に思い、日本政府はその対応に四苦八苦だった。準備の最終段階を迎える頃には、Cチームのスタッフは約100人に膨らんでいた。
2010年11月1日。島の実験準備がほぼ完了し、スタッフは全員本土へ一時的に戻った。約100人のスタッフは島へ向かうため名古屋港へ集合した。本来は冷蔵倉庫として使われている場所を会場にして、Cチームの出陣式を行った。出陣式には、この実験の最高責任者である首相とその側近数名が極秘裏に参加し、私達スタッフの激励に訪れスタッフ全員と握手を交わした。全員と握手を終えて首相が演壇に立つと、実験準備から開放されお祭り騒ぎだった会場がピタリと静まりかえった。
「Cチームの諸君、実験準備ご苦労様でした。まだ他チームは計画段階やようやく準備を始めたという状況であり、諸君達Cチームの優秀さがここに窺えます。本当にすばらしい。」
首相が言葉を止めると、会場は歓声が上がった。首相はスタッフ達の顔をゆっくりと見渡し、右手を挙げた。その合図でまた会場は静まりかえった。
「今回の実験は、日本という国が今後どのような方向で国家を運営するかを量る非常に重要な実験であることを再度認識していただきたい。この実験の成功如何によって、日本を豊かなそして魅力ある国に方向転換できるか否かがかかっています。」
首相は間をとり、もう一度会場を見渡した。会場のスタッフは一同が厳しい顔つきで首相の言葉を受け止めていた。
「これから諸君達は、いよいよ実験段階へ入ります。この特殊な実験には多大な犠牲が必要となることは重々承知しています。私個人はもちろんのこと、日本国政府としても苦汁の決断をしなければなりませんでした。そして、諸君達はそれに応えてくれた勇気ある日本人だ。政府を代表し、そして日本国民を代表してお礼を言います、ありがとう。」
首相が頭を下げると、会場は拍手で沸いた。頭を上げた首相はさっきと同じように右手を挙げて拍手を止めた。
「諸君達の家族は、日本国政府が間違いなく保証することを首相としてここに約束します。その代わりと言ってはなんだが、諸君達もこの実験を完遂するまで、精一杯の力を貸して欲しい。」
会場からまた歓声があがった。歓声の中で私は首相の合図で壇上へ上がった。首相は私が近付くと私の方を向き、握手で出迎えてくれた。私は首相の左側に並んだ。人前で首相の隣に並んだのは、28歳で衆議院に初当選したときに当選報告に首相官邸を訪れたときに、マスコミ向けに写真を撮影したとき以来だったので、緊張した。
「改めて紹介します。今回の陣頭指揮を採ってくれた長島君です。」
首相が拍手をすると、会場内も拍手で私を迎えてくれた。
「それでは、認定式を行います。」
拍手の合間を縫って、進行係の男性がぎこちなく言った。極秘裏に行われている集まりだったので、首相直属のシークレットサービスがやむなく進行係をやっていた。
「認定書授与。」
進行係はその体格からは想像できないような上ずった声で言った。首相は普段の彼とかけ離れた振舞いに少しニヤリとして、話を始めた。
「認定書。長島晴信殿。日本国政府は貴殿を【器島】特別区の区長に任命する。なお、器島特別区はこれより実験完遂時まで日本国首相直轄領土となり、日本国首相以外いかなる権限も及ばない。貴殿もしくは貴殿の代理人と認定された者による本実験の完了報告が完了時の日本国首相またはそれに類する者に報告ない限り、その効力は継続される。貴殿もしくは貴殿の代理人に、器島特別区における全ての権限を譲渡する。日本国首相、小島潤一郎。」
読み終えた首相は書状をひっくり返し、私に向けた。私はその書状を両手で受け取ると、単なる紙切れなのにやけに重い気がした。この書状で私はあの島において、首相と同じ役割を任命されたことになる。政策でこれまで度々ぶつかっていた農林水産大臣も彼が首相にならない限り、私には全く口出し出来なくなる。そのことを思うと責任の重さが少しだけ軽く感じられた。私が書状を受け取ると、首相は演壇を離れて私に場所を譲った。首相を含めた会場が拍手で迎えてくれた。
【器島(うつわじま)】という名前は私が付けた名前だった。首相から好きな名前を付けて良いと言われ、逆に散々悩んだ末に付けた名前だった。日本国内にある島や地名で使っていない名前で、しっくりくる名前がなかなかなく、命名にはかなり苦労した。結局山に囲まれて器状になっていることと実験の器という意味で名付けた。
私は首相に一礼して、演壇に立った。会場にいる約100人のスタッフを壇上から眺め、計画開始からわずか2年という短期間で実験開始段階へ進めたスタッフ達を誇らしく感じた。
「ただ今、小島首相から器島特別区区長を拝命しました長島です。まずはこの2年間持てる限りの力を尽くしてくれたCチームスタッフのみんなに感謝します。ありがとうございました。」
私が演壇に手を付き、演壇にあるマイクに頭をぶつけないよう避けて頭を下げるとまた拍手で会場は沸いた。
「これから、我々Cチームは日本の未来を決定付ける非常に大事な実験段階を迎えます。この実験が完了するのは、どんなに早く見積もっても30年という歳月がかかります。場合によっては50年かかるかもしれません。この実験を理解し、そして賛同してくれたここにいるスタッフ全員を私は誇りに思っています。我々が礎となることで、みなさんの子孫、そして日本国民に明るい未来を照らすことになるはずです。一生涯の仕事として間違いなく実のある仕事だと、私は確信しています。これから多種多様な困難が我々を待ち受けているかもしれませんが、ここに集った信頼できる、優秀な仲間がいれば、それは乗り越えられると私は信じています。どうか実験完遂まで、今の志と変わりなく全員が力を発揮してくれることを望みます。」
私がもう一度頭を下げると、拍手でスタッフ達は応えてくれた。
「では、以上で認定式を終了します。Cチームのみなさんは準備が出来次第、12番ドックに停泊している海神丸へ乗船してください。出発は1時間後の23時ちょうどです。」
進行係の合図で、スタッフ達は演壇を見る位置から離れ、倉庫内の壁際に置いていた鞄に向かって歩いた。殆どのスタッフは鞄から携帯電話を取り出し、家族や恋人に電話をかけていた。私はこの計画が始まる2年前に自動車事故で両親を失っていたので、天涯孤独の身だったから、家族へ電話できるスタッフを見ていて羨ましく思った。壇上でスタッフ達が笑顔で電話している様子を眺めていると首相が握手を求めてきた。
「長島君、つらいだろうが、これからが正念場だ。しっかり頼むぞ。」
首相はそう言うと、私の手をしっかりと握った。
「ええ、できる限りのことはさせて頂きます。首相もお変わりなく元気で。」
「今生の別れみたいだが、私はまだまだ政権を握るぞ。実験終了までとは言わんがな。」
そう言って首相は笑った。
「半年に1回の報告の際は、是非小島首相にお会いしたいと願っています。」
「ありがとう。楽しみにしているぞ。じゃあ、永田町へ戻らなければならない。何せ私は今ここに居ないことになっているからな。」
「我々の為にわざわざご足労頂きありがとうございました。」
私は首相に深々と頭を下げた。
「では、頼むぞ。」
「はい。」
私の返事を聴いた首相はシークレットサービス達に囲まれ、倉庫の中に停めていたリムジンに乗り、真っ暗闇の中、倉庫を出て行った。
23時になると、Cチームのスタッフ全員を乗せた船は高らかな汽笛とともに名古屋港を離れた。この船には私達Cチーム以外のスタッフは乗船していない。スタッフの中にはこの1万tクラスの海神丸を操船できるスタッフも含まれている。私はスタッフ全員が乗り込んだことを確認し、最後に海神丸に乗り込み出発とともに操舵室へ向かった。
操舵室には船長と航海士、機関士の3名だけがいた。
「本当に沈めてしまうんですか?」
私が操舵室にいた船長に近付くと、船長が口惜しそうに言った。
「船長には悪いが、仕方ない。大儀の為だ。」
私は船長と違って海の男ではないので、船を沈めることに何の抵抗も感じないが、彼らは自ら船を沈めることに激しい抵抗を感じていた。
「それにしても、いい船ですよ、この船は。」
船長はたくさんの計器が並ぶコンソールを見ながら私に言った。
「不本意だろうが、やってくれ。それが日本を救うことになるのだから。」
「ええ、頭では理解しているんですがね。」
船長は少し寂しそうに言った。
名古屋港を離れてから1時間後、11月2日午前0時。予め船底に付けていた爆薬を機関士が作動させ、私達は海神丸を伊勢湾に沈めた。翌朝のニュースでは私達Cチームの遭難が告げられ、行方不明と報道されるだろう。海難救助隊が数日間捜索し、結局見付からずに全員行方不明と報道される手筈だ。この日、私達Cチームのスタッフ約100名は日本から抹消され、その日が命日となった。私達は海神丸に備え付けの救難用ボートとは別に積んでいたボートを5艘用意して、海神丸から脱出を図った。私と船長、機関士、航海士は海神丸の甲板から漆黒の海へ飛び込み、最後の5艘目に乗り込んだ。
「船を自ら沈めるのは、辛いものですね。」
船長は誰に言うでもなく、ボソっと言った。5艘目に乗っていたのは、私以外は主に船の運航スタッフだったので、船長の言葉にそれまで見ていた海神丸の沈む様から目をそむけた。海神丸は周囲から無数のアブクを出しながら船首が立ち上がった状態になっていた。
「船長の経歴に泥を塗ることになってしまって、すまない。」
私は船長の耳に口を近付けて言った。
「…、これからの任務を考えれば、区長が気にされることではないですよ。」
船長は少し元気なさげに言った。
「そう言ってくれると救われるよ。これからは器島丸を頼むよ。」
私は船長の肩に右手を掛けた。
海神丸から脱出後、約20分で5km先に停泊させていた器島丸へ到着した。この器島丸は器島と本土を結ぶことになる連絡船となる予定だ。器島丸で待機していたスタッフは私たちの乗っていた5艘目の救難ボートを確認すると、吊り上げ用のワイヤーを降ろした。乗っていた救難ボートがワイヤーで吊り上げられ、器島丸の甲板に降り立つと、ここで改めて甲板で私達の到着を待っていたスタッフ達の顔を見渡した。壮行会のときは笑顔だったスタッフ達が、皆不安げな神妙な面持ちだった。今日をもって私達約100名のスタッフは、本土に帰る場所がなくなったのだ。家族や妻、子供、恋人を本土に残してきたスタッフもいる。国家レベルの実験の為とはいえ、彼らが本土に残してきた家族達とはもう逢うことができないと思うと、胸が痛んだ。
「全員無事に到着しました。」
器島丸に残っていたスタッフが、敬礼をして私に報告した。
「ご苦労様、器島丸を出航しよう。」
私の声に一緒にいた船長達も反応し、悲しみを振り切るように踵を返し、操舵室へ向かった。私も船長の後に続き、操舵室へ上がる階段を上がった。
器島丸は錨を上げ、器島へ向かって出航した。その数時間後無事に【器島】の洞窟港へ到着し、私達スタッフはそれぞれ島内のスタッフ用施設の中で眠りについた。
この日が実験島となる、器島の歴史が動き出した日だった。