【予備試験・司法試験】ポイント解説(論証付き)~刑法・自殺関与罪の処罰根拠~
【予備試験・司法試験】ポイント解説(論証付き)のシリーズでは、普段の司法試験・予備試験の勉強では盲点となりがちなテーマや理解が難しいと思われるテーマについて、やや深掘って解説し、一定の(コンパクトな)論証例を提示します。勉強を始めたばかりの方というよりは、勉強がある程度進んでいて上位層を狙いたい方向けの解説となります。また、大学の定期試験の対策にも使える内容となっていると思います。
今回は、刑法各論の序盤の論点である自殺関与罪の処罰根拠について解説します。
刑法では自殺そのものは犯罪として規定されていません。それにもかかわらず202条により自殺関与(自殺教唆・自殺幇助)が処罰されるのはなぜでしょうか。これが今回のテーマです。
Noteの読者の中には、大塚ほか『基本刑法Ⅱ各論』〔第3版〕を基本書に据えて勉強されている方も多いかと思います。今回このテーマを取り上げたのは、自殺関与罪について基本刑法の記載がやや薄く、他のメジャーな教科書には記載があるのに書かれていない内容があったからです。本Noteを読んでいただければ、この分野に関しては周りの受験生と差をつけることができるはずです!!
以下、本題に入ります。
この論点の前提として、「そもそも自殺が処罰されない理由はなぜか」という点をまず考えてみましょう。
大塚ほか『基本刑法Ⅱ各論』〔第3版〕は、以下の2つの見解をあげています。
➀自殺者は自己の生命について処分の自由を有するから自殺には違法性がないため、自殺は処罰されない(自殺適法説)。
②自殺は違法な行為であるが、類型的に期待可能性がないので責任が欠けるから自殺は処罰されない(自殺違法説)。
現在では多くの学説が➀の見解を支持しています。試験対策上もこの見解を押さえておけば十分です。
では、➀についてもう少し詳しくみてみましょう。
自殺違法説に対しては、➀説の立場から、人間の生命は、その者自身に属するものであり、本来的に処分の自由を認めるべきであるという批判があります(西田典之『刑法各論〔第7版・橋爪隆補訂〕』)。
また、「処分の自由」を認めるべきという点に関して、井田先生の教科書(『講義刑法学・各論』〔第3版〕)では、さらにもう一歩進んで、個人の自己決定権は最大限尊重されるべきであるから、刑法は、自殺者に対してその生命の放棄を禁止する規範を向けておらず、自殺行為は違法ではないと理解できる、と述べられています。
つまり、人間の命が失われるという重大な結果が生じるものであったとしても、自殺するかしないかはあくまで個人の自由であって、これを認めてあげるべきだということです。
そうだとすれば、自殺という適法行為に加担する自殺幇助行為や自殺教唆行為も適法というべきだということになりそうです(ようやく本題です)。
ここで、自殺という行為を野放しに認めてしまってよいのだろうか、という素朴な疑問を感じた人も多いのではないでしょうか。自殺について個人が認める立場を採るのか認めない立場を採るかは自由です。しかし、刑法上も、すなわち国家としても、自殺を無制限に認めてしまってよいのでしょうか。
結論からいえば無制限に自殺を認めるべきではないということになります。そしてこれが自殺関与の処罰に直結する重要なポイントです。
井田先生の教科書では、法にとり個人の生命が失われることは望ましくないとし、自殺関与行為の処罰の法政策的必要性について説いて、生命に関する自己決定権を制限するべきだと述べられています。
法政策的観点というのはつまり、自殺関与行為を処罰することは、人を(故意に)殺すことを処罰することのように自明の事柄ではないけれども、処罰をするべきであると国会(国)が考え、国がある種のイニシアティブをとって自殺関与行為を規制するということです。
また、日評ベーシックシリーズの教科書(亀井ほか『刑法Ⅱ各論』〔第2版〕)は、より端的にわかりやすく、「人の生命の法益としての価値・重要性から、生命を放棄するという自殺者・被殺者の自己決定権にパターナリズムの見地からの制限を課した」と説明されています。
つまり、個人というものは時には自殺という最悪の選択とってしまう弱い存在であるから、国家という強い存在が、たとえ自己決定権を制限することになるとしても個人を守ってあげるべきだということです。
このように、自殺関与罪の処罰根拠を理解するキーとなるポイントは、「処分の自由(個人の自己決定権)」「パターナリスティックな制約」の2つにあるといえるでしょう。
この点、基本刑法では、「自殺自体は自己の法益処分行為であり違法ではないが、自殺に関与する行為は独自の違法性を有するため、自殺関与は正犯の違法に従属しない特殊な可罰的な共犯という独自犯罪類型である」と説明されています。ここでは「自殺に関与する行為は独自の違法性を有する」という点については何も説明がなされていません。
なぜ自殺を幇助したり教唆したりする行為は独自の違法性を有するのかという点については、一方で自己決定権の観点から自殺の自由も認めつつも、他方で国家によるパターナリスティックな制約をかけるべきだという2つの視点の理解が不可欠だと思われます。そこで、本Noteを書いた次第であります。
こうみてみると、刑法の論点なのに憲法と通ずるところがあってなかなか面白い論点だと思います。
以上の説明を踏まえれば、自殺関与罪の処罰根拠の論証は以下のようにまとめることができるでしょう。
(自殺そのものは違法ではないのに自殺関与行為の処罰が正当化されるのはなぜか。)
個人の自己決定権は最大限に尊重されるべきであるから自殺自体は違法行為でないというべきである。もっとも、個人の生命が失われることは望ましいことではない。そこで、法政策的・パターナリズム的観点から、生命に関する自己決定権を制限し、他人の自殺に協力したり手助けしたりする行為を禁止すべきであると解される。これにより、202条による処罰が正当化される。
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