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いわゆる「携挙」と表現される教義についての考察 Part 2

※↓はこの記事の音声ファイルです。朗読を聞きながらお読みいただけます。

患難前(中)携挙説を支持する人は、再臨が2段階(空中再臨と地上再臨)で生じると主張します。
そして、(この説の支持者すべての統一見解かどうかわかりませんが)一度空中再臨して、復活組と携挙組を連れて、一旦天に帰るという解説も見受けられます。
なぜ、そういう説明をしているかというと、おそらくもしそうでないなら、キリストとみ使いの軍勢と歴史上すべての復活した人と携挙した人々全ては、患難の期間(7年間)ずうっと空中で何もせず、文字通り宙ぶらりんの状態でただ待ち続けることになってしまい、それではあまりに説得力にかけるということを危惧したからでしょう。

さて、今一度、「空中再臨」なる教義の根拠とされるテサロニケの聖句を一部引用しておきましょう。「合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。」ーⅠテサロニケ4:16

この「号令」をかけるのは誰でしょうか。合図の号令ですから、それは誰が考えても「GO サイン」ということでしょう。ですから聖書中の同様の記述から言って明らかにその「号令」は、神が諸国民を裁くために王キリストをシオンに立てるために遣わされるときの「行け!」というGO サインのことであるに違いありません。

「主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真中で治めよ。」- 詩篇110:2 (詩篇2,110 編参照)

同様に「大天使」( ミカエル) の「声」ですが、どんな言葉なのか書かれていませんが、ラッパの響きも「戦闘開始」の合図と捉えて良いでしょうから、これも、み使いの軍勢の先頭に立つ頭として士気を高める勝鬨( かちどき) に違いないでしょう。

王なるキリストは単独ではなくみ使いたちからなる軍勢を伴います。
「天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。」- 黙示19:14

まさに長い年月、人間の悪徳の限界まで許し続け、神の右に座しておられたキリストが、待ちに待った末に、王権を摂っていよいよ征伐に乗り進める戦いの火蓋が切って落とされるときにふさわしい描写と言えます。

では満を持して、折角、号令がかかり、み使いの軍勢と共に意気揚々と出てこられたのに、空中で教会(復活組+ 携挙組)を引き連れて、他の誰にも気づかれずにそそくさとそのまま帰って行ってしまうなんてことが、本当に意図されているのでしょうか。

そして7年後に再び、この度は地上再臨として改めて出て来られるわけですが、その時も、神の号令やミカエルの声やラッパの響きが改めてもう一度挙がるのでしょうか。
それとも、それはもうすでにやったから、2度めは省略するのでしょうか。今度こそ正真正銘の「敵のただ中で治め」るための「戦闘開始」ですから、これが省略ということはないでしょう。

「空中再臨」を支持する人々は、このGO サインについて、神とミカエルとラッパを吹くみ使いたちに同じ行動を取らせて仕切り直しをさせることになるのを承知の上でそうした立場を採っているのでしょうか。それはあまりにも失礼千万どころか、冒涜そのものではないでしょうか。

■「患難前携挙説」の別の問題点は患難前に教会が挙げられるという見解ですが、その時点で全世界にどれほどの人数のふさわしいクリスチャンが存在するか分かりませんが、まず数千人程度ではないでしょう。
ある統計によれば、クリスチャン人口は全人口の33.4%、人数にして22 億5400万人とされています。
仮にそのうちの半分なら11億人、あるいはわずか10%が義にかなった者として挙げられるとして、2億2千万人以上の人が、突然地上から姿を消すことになります。

このことに気づかない人がいるでしょうか。自分ではそれを目撃しなかったとしても、全世界で一斉に起きた共通の出来事、2億人~10億人もの消滅が不可思議な仰天ニュースとして全世界を駆け巡るのは必至でしょう。

更に由々しいこととしてそれ以上に、「招待されていたのに入れなかった人々」「戸口の主人から、立ち去れ」と退けられた人々」が黙っているでしょうか。「歯ぎしりして泣き叫ぶ」人々が全世界で20億人以上いるというような状況が生じるのです。

聖書のセの字も知らない人々でさえ、この異常事態は聖書預言の成就であり、それは「キリスト臨在の紛れもない証拠だと言うことを聞き及ぶでしょう。

「地上再臨」のはるか前に、全世界は「その時その時刻」のおよその時期を誰でも知ることになります。
であれば患難期の最後に行われる「大バビロン」の裁きの時にはすでにその中はもぬけの空であるのは自明の理です。もし患難前に携挙が生じるなら、キリストから退けられた人々が、なおも大バビロンにとどまる続けるはずはないからです。
「患難前携挙説」支持者は、次の聖句に示されている出来事に関して、この預言を書き記させた神も、警告を発する「天の声」をも愚弄することになることを知らないのでしょうか。

「わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。」ー黙示18:4

さらに「患難前携挙説」のゆゆしさはこれです。
患難前にすべてを理解できた全世界のうち、「惑わされる」人がどこにいるでしょうか

「そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。
しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。-
そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。
あなたがたには前もって言っておく。だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。ーマタイ24:21-26

聖書の文脈や全体のメッセージ、その整合性を無視して、作り出した教義は結局、ありとあらゆる矛盾を引き起こすことにしかなりません。
もしあなたが「患難前(中)携挙説」を教えられたのであれば、ご自身で聖書を調べ、臆病風に吹かれた人々が、何が何でも自分だけは患難を経験したくないと考えるあまり生み出したのではないかと思えるような、根拠のないこの説を退けることをお勧めします。

「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。しかし、あなたは、何事にも慎み・・」 テモテ二4:2-5


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