前代未聞「憎むべき荒廃をもたらす者」の正体を解明
前回はダニエル9章の70週の預言を取り上げました。
今回は、その中に登場した「荒らす者」の実態についてです。
「荒らす憎むべき者」は長いので今後「荒憎者」と記すことにします。
《都と聖所は次に来る指導者の民によって荒らされる。その終わりには洪水があり終わりまで戦いが続き、荒廃は避けられない。彼は一週の間、多くの者と同盟を固め半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。》ーダニエル9:26.27
「憎むべき荒廃をもたらす者」については、ダニエル書の8、9、11、12章など、幾つかの箇所に記されています。
福音書の中でも、「終わりのしるし」についての預言の中で言及されています。
先ずこれらを比較検討してみたいと思います。
《預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら・・・》マタイ24:15(マルコ13:14もほぼ同じ)
《エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。》ルカ21:20
ルカは「荒憎者」に関する表現ではなく、単に「軍隊」としています。
三つを比較すると、「聖なる所=立ってはならない所=エルサレム」という捉え方、そしていずれもこの者は人間(軍隊)であるということです。
しかしダニエル書のこれに付いての描写は、微妙で、イメージしにくい部分があります。
《彼は軍隊を派遣して、砦すなわち聖所を汚し、日ごとの供え物を廃止し、憎むべき荒廃をもたらすものを立てる。》(ダニエル11:31)
「軍隊」が供え物を廃止し「荒憎物(者)」を立てる。 ということで、ここを読む限り両者は別物です。
《日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、千二百九十日が定められている。》(ダニエル12:11)
犠牲を廃止。荒憎物(者)が立てられる。
《日ごとの供え物が廃され、罪が荒廃をもたらし、聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事》(8:13)
8章の記録は、内容は同様ですが、古代ギリシャの後代に起きる「小さな角」(北の王)に関する描写として、その行動が記されていますが、「憎むべき荒廃をもたらすもの」という類の表現では出てきません。
一番不可解に思えるのが冒頭に引用してたこの9章の記録です。
「指導者の民」によって「荒らされる」(En:destroy)。犠牲を廃止する。「憎むべきもの」の翼の上に「荒廃をもたらすもの」(En:desolate)が座す。定められた「破滅」が「荒廃」(En:desolate)の上にそそがれる。
「憎むべきもの」の翼の上に「荒廃をもたらすもの」が座す。とはどういうことでしょうか。
ここの表現から明らかに「憎むべき者」と「荒廃をもたらすもの」とはまったく別物だということがわかります。
そして、定められた「破滅」が「荒廃」の上にそそがれる。
日本語訳に限らず他の翻訳文では「荒廃」という文字が2度使われているものがありますが、原語のヘブライ語には「荒廃」(ヘ語:シャゥマム)という語は1回しか出てきません。つまり、憎むべき者の上に座すものと、最後に破滅させられる者は同じものです。
それで、口語訳はそれが分かり易いように次のように訳しています。
《荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです》(口語訳)
「憎むべき荒廃をもたらすもの」と表現されていますが、9章の記述から言えるのは「荒廃をもたらす」ことをする故に「憎むべき者」とみなされるという事ではなく、実はこの荒憎者の実態は、実際は、別々の二者が合体したものだということです。
「荒らす者」というのはすなわち「終末期の第4獣(10本角)」です。
では「憎むべきもの」とは何者でしょうか。
「憎むべき者」の正体を暴く
「大バビロン」は黙示録で「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母」という名で呼ばれますが、聖書語句索引で「憎むべき」という語を検索しますと多数ヒットしますが、そのほとんどすべてと言っていいほど、宗教的偶像に関して用いられています。
「憎むべきもの」は(ヘブライ語 シクーツ)という語の訳ですが、幾つか引用して見ましょう。
例: 《彼らは美しい飾りを驕り高ぶるために用い【憎むべき(シクーツ)】忌まわしい偶像を造った。それゆえ、わたしはそれを汚れたものとし・・》ーエゼキエル7:20
《お前たちは父祖の歩みに従って自らを汚し、彼らの【憎むべき(シクーツ)】偶像と姦淫を行ってきた。》ーエゼキエル20:30
《彼らが木や石、銀や金で造られた【憎むべき(シクーツ)】偶像を持っている》申命記29:16
《ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った。・・モアブ人の憎むべき神ケモシュのために・・》1列王11:5、7
実際この語は、必ず偶像とセットで使われています。ほぼ「偶像」と同義語のように捉えて間違いないでしょう。
そしてセプトゥアギンタ(70人訳)ではこの語に対応しているのがギリシャ語「βδελυγμάτων(ブデリグマトーン)」ですが、新約聖書中に同じ語は、マタイ24:15 マルコ13:14 ルカ16:15 黙示17:4、5 21:27の6箇所に見出されます。
マタイ24:15 マルコ13:14 ルカ16:15 黙示17:4、5 21:27
《預言者ダニエルの言った【憎むべき(ブデリグマトーン)】破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら・・》マタイ24:15(マルコ13:14 ルカ16:15も基本的に同じ)
ここで残りの3箇所も引用してみましょう。
《女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、【忌まわしいもの(ブデリグマトーン)】や、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。 その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、みだらな女たちや、地上の【忌まわしい者(ブデリグマトーン)】たちの母」という名である。》黙示17:4、5
《しかし、汚れた者、【忌まわしい(ブデリグマトーン)】ことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。》21:27
これで正体がお分かりでしょう。「憎むべき者」とは大バビロンのことです。
すなわち、復興ローマ(10本の角が生じた後の第4獣)の上に大バビロンが座している状態のことです。
《赤い獣にまたがっている一人の女を見た。この獣は、全身至るところ神を冒瀆する数々の名で覆われており、七つの頭と十本の角があった。》黙示17:7
すなわち「荒憎者」=「緋色の野獣」ということです。
でもちょっと待って下さい。ダニエル書の記述と立場が逆転しているのではないでしょうか?
「憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。」
つまり「大バビロン」の翼の上に、荒憎者が座している。
大バビロンは「赤い獣にまたがっている」つもりでいい気になっているようですが、実際は、赤い獣にノセられて、獣が自分を神格化するのにまんまと利用されていることに気づかないのでしょう。
実際この大バビロンは他ならぬ荒憎者に滅ぼされることになっています。
《あなたが見た十本の角とあの獣は、この淫婦を憎み、身に着けた物をはぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼き尽くすであろう》黙示17:16
それでともかく、「憎むべき荒廃をもたらす者」の正体が明らかになりました。それは、大バビロンと緋色の獣が合体した姿なのです。
さて、またまた話が前後しますが、「彼(北の王)は軍隊を派遣して、砦すなわち聖所を汚し、日ごとの供え物を廃止し、憎むべき荒廃をもたらすものを立てる。」(ダニエル11:31)ということで、北の王と「荒憎者」は別物だと記事の冒頭に記しましたが、獣と「憎むべきもの」も別物なので、ここでは別々の3者が合体していることになります。
ダニエルの最後の第4番目の獣は、黙示録13章で「10本の角を持つ海から上がる獣」として、改めて歴史上にリバイバル登場します。
このときはまだ赤くないのです。
どうして赤い獣に変身したかというと、「北の王=不法の人=666」が赤い龍であるサタンのバックアップで、海から上がった獣を打ち負かし、10本中3本を引き抜いて自ら「小さい角」として台頭し、急成長してイニシアチブを取るよう(本体をさえ牛耳る勢力)になった時に、「緋色の獣」と化したということです。その小さい角が合体した獣に、さらに大バビロンが合体した姿が「「憎むべき荒廃をもたらす者」の正体ということになります。
「憎むべき荒廃をもたらす者」の正体