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改めてなぜ「北の王」=「反キリスト」なのかをまとめてみました

「北の王」の正体と企てに関する考察

「北の王」に関連する描写はダニエル7章 /8 章 /11 章にあります。 8章の方は「北の王」という名ではなく「一本の角」と描写されます。
そしてこの表現から、7章の 4 頭の獣の 4 番目から出る「一本の角」という表現からこ の一人の人物の特定に導かれます。

《この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。そ してその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た。 そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに 向かって、非常に大きくなっていった。
それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを 踏みにじり、軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げら れ、その聖所の基はくつがえされる。
軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に 投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。》
(ダニエル 8:8-12)

《彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。 彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行 ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。
彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君 の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。》
(ダニエル 8:23-25)

そしてこの「北の王」の特徴から、テサロニケⅡ2 章の描写と合致することが確かめられ ます。
故にこの者こそ「不法の人 / 滅びの子 / 反キリスト」であるという聖書的根拠のある理 解が得られるということです。

《だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、 不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。 彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、 神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。》(テサロニケⅡ2:3,4)

特徴:
誇大妄想、他力本願、出自の卑しさ、傲慢、厚顔、真理を憎む、ずる賢い、卑劣
ダニエル 11 章の「北の王」に関する描写のうちの後半、21 節以降は古代シリアのアン ティオコス・エピファネスに当てはまる描写ですが、解説者の中には、エピファネスにお いて成就しなかった残りの部分(36 節以降)辺りが、終末の反キリストによって成就す ると考えているようです。

しかし、預言されたことの単に [ 出来事 ] だけでなく、前述の「北の王」に関する人物的 な特徴を踏まえると、記された全行動の残りをエピファネスから反キリストが引き継いで 成し遂げるというようなものではなく、エピファネスに関するすべての記述が反キリスト を予表していると言って差し支えないでしょう。
であれば、11:21-45 の内容が終末において「北の王」において成就するということです。
これまでの記事で確証して来ましたように、「北の王」はギリシャのアレクサンダー以降 の流れを踏襲している勢力で、ダニエルの 4 頭の獣で言えば「ヒョウ」で表される第 3 番目のものです。
終末期の反キリスト=最後の「北の王」であり、セレウコス朝シリアを通してギリシャに 直属する政治勢力です。
「北の王」に関する主だった点をピックアップしてゆくことにしましょう。

《彼に代わって、ひとりの卑劣な者が起こる。彼には国の尊厳は与えられないが、彼は不 意にやって来て、巧言を使って国を堅く握る。
洪水のような軍勢も、彼によって一掃され、打ち砕かれ、契約の君主もまた、打ち砕かれ る。》
(ダニエル 11:21,22)

【ひとりの卑劣な者が起こる】
この王は「卑劣なもの」と呼ばれています。
新共同訳や口語訳はその部分を「卑しむべき者で」と訳しています。
王位継承者におおよそふさわしくないと誰からもみなされるのは、出自つまり家系や血筋 に問題があるとみなされるということもあるかもしれません。

【国の尊厳は与えられない】
この「北の王」ですが、実は「王としての名誉は与えられない」(新共同訳)と言われて います。これはどういうことでしょうか。

王としての尊厳 / 名誉が与えられないのに、どうやって「王」になるのでしょうか?
出自の怪しさもさることながら、それよりも恐らくは、正式な選挙で当選したものではな く、クーデター的な企みで自らを「王」とするということではないかと思います。
8章23節では「彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない」とも書かれています。 これは恐らく、傀儡王([ かいらいおう ] 意:「傀儡」という語は、「操り人形」を意味し、 転じて影にいる者に利用されている者を指す」であるということでしょう。

バックに隠れた親玉がいるということです。もちろん究極的には彼はサタンの申し子とい うか権化とも言うべき存在ですが、それだけでなく、長い年月に渡って人類を支配してき た特定の家族郡、王侯貴族の手足となって動くのだろうと思います。

【彼は不意にやって来て】
「北の王」に関する特徴として、「不意に・・・」にいう表現が度々出てきます。 頭角を現し始めるその初めから「彼には国の尊厳は与えられない。不意にやって来る」と 言われています。(11:21)
新共同訳では「王としての名誉は与えられず、平穏な時期に現れ・・」という表現になっ ています。この「不意に」と約されている語は「ヘブライ語語:サルヴァー」といって、「静 かな状態」をさして使われる語のようです。同じ単語が箴言 17:1 では「平和」と訳されています。
《一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。》

それで、この表現は、青天の霹靂というか、「どうしてまたこんな時に?!」と言うよう な突拍子もないタイミングで出現するということのようです。 ですから、反キリストの登場は、世間が平穏な状態にあるときだということです。
テロが続いたり、紛争が絶えないとか、一触即発というような緊迫した状態ではないとい うことです。
このことについては、この後の記事でもう少し詳しく書くつもりです。

【洪水のような軍勢や、契約の君主も打ち砕かれる。】
この「洪水」ですが、北の王の初期の行動(前半の 3 時半の初期)で、これはサタンが 地に落とされてすぐに手をつける、「女」(エルサレム)を迫害するための手立ての事だと考えられます。

《しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。》(黙示 12:15,16)
《やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その 終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。》(ダニエル 9:26)

ここで、ちょっとこの聖句について解説しておきますと、前半の「聖所を破壊」した 後に「洪水」があり、その後「戦い」が続き「荒廃」が定められている、と読めますが、 しかし、「聖所」が破壊されるのは、艱難期の最後です。その後は、反キリスト勢の裁き しか残っていません。ですから、タイムラインとしては、「・・・破壊する」までで、一 区切りがつき、改めて、終末期の様子を別の表現で描いたものと考えられます。

この「洪水」は、第 5 のラッパ(第 1 の災い)のときに起きるイナゴの攻撃に匹敵する もので、恐らくその実態は 10 カ国からなる復興したローマの軍隊によるものと捉えてい ます。
そのローマ軍によるイスラエルの攻撃から、彼らを助け出すのが、なんと驚くべきことに あの強く力をつけた「北の王」です。(実際には同盟国(偽預言者)との共同作戦となる でしょう)
そして「契約の君主も打ち砕かれる」という表現に関して、少なからぬ解説者がこれにつ いて「契約の君主」とはエピプァネスの時代においては、失脚させられたユダヤの大祭司 オニアス3世をさすゆえに現代においても大祭司のような者を指す。というような注解を しています。
しかし、「契約」という語句が常に「聖なる契約」を指すわけでもなく、ダニエル 9:27 では、 北の王と諸国との同盟も「契約」と表現しています。
従ってこの契約の君主は、この北の王と同盟契約を結んだ諸国の元首を指している可能性 もあります。
恐らくこれは、タイムライン的に 10 本のうち 3 本の角が引き抜かれるという出来事、 つまり裏切りによる一方的に契約を破棄、もしくは無視し、3 カ国の国家元首を打ち砕き、 そこへ「小さな角」として代わりに立ち上がり、たちまち強大となり、獣全体を牛耳るよ うになることを表していると考えられます。
この時点の獣の像が「666」と呼ばれる「一 人の人間」すなわち「北の王」です。(黙示 13:18)
最後にもう一つだけ、「北の王」が企てようとしている、「宗教」が関わる面について考察 しておきましょう。

《この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、 神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。定められて いることが、なされるからである。彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、 どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。その代わ りに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神 をあがめる。彼は外国の神の助けによって、城壁のあるとりでを取り、彼が認める者には、 栄誉を増し加え、多くのものを治めさせ、代価として国土を分け与える。》(ダニエル 11:36-39)

【先祖の神々を心にかけず】
「憎むべき荒廃をもたらす者」つまり反キリストの父祖の神々は、古代ギリシャ帝国やそ の後のシリアの神々、例えば、ゼウスなどがありますが、すでに過去のものとなっていて 現実的な崇拝者のいない状態では、気にかけないという事自体に意味がないと言えます。 やはり、その時点で多くの信者つまり「大いに気にかけている人が多数いる」という状況 下で、伝統的な信仰、宗教を顧みないということでしょう。
現代では、シリア近辺の神は「アッラー」です。つまり「イスラーム」を象徴していると いうことだと思います。

【女たちの慕うもの】
では、「女たちの慕う神」とは何でしょうか。
捜してみましたが、歴史上、女性だけが信仰したという神というものは存在しません。言 い換えれば、女たちが慕った神は、当然男たちからも同じように慕われました。 ですから、この表現も象徴的な意味で語られていると考えられます。
聖書中で象徴的な「女」といえば「エルサレム」と「バビロン」です。
であれば、「エルサレム」という「女」の慕う神は「YHWH(イェホーワ)」つまり、表象しているのは「ユダヤ教」であり、大バビロンであるバチカンの慕う神は三位一体の神であり、したがってそれが、表象しているのは「キリスト教」ということになります。 まとめますと、反キリストは、イスラーム教、ユダヤ教、キリスト教、その他すべての宗 教を無視するということでしょう。

【外国の神の助けによって】
しかし、にも関わらず、異国の神の助けで成功します。
ですからこれは、反宗教的な動きというより、むしろ無神論的、もしくは既存の宗教の統 合や融合を図って自分自身を、文字通りの「神」に仕立てようとする現れなのでしょう。

そうした具体的な動きの一つは、彼が、ユダヤ人の間に見られる、聖なる契約に背く傾向 を知って、棄教させ(11:30,32)重く引き立てるという動きに示されています。 これまでのすべての伝統的な宗教を廃止し、その代替物を創ろうとします。
この外国の神とは「キリスト教」つまり大バビロン = バチカン ということで間違いないでしょう。当初、反キリトと大バビロン は利害が一致しているために同盟を結びます。 その合体した姿が「赤色の野獣です。(黙示 17:3)

【とりでの神をあがめ】
これまでにも、例えば共産主義国家は、大々的な軍事パレードや随所に目立つ国家元首の 絵画や像を置くことによって、「砦の神を崇め、自分自身を神とする」というような様子 みられました。
しかし、その「代替神」はそれまであったようなものではなく「先祖の知らなかった神」 ということですから、「前代未聞」「史上初の新種の神」を創作しようとしているというこ とです。
それは、かつて無かったほどの完全な祭政一致の政体とするということでしょう。 「北の王」は自分自身が「アンティクリストス(意:代替 / 疑似キリスト)」なので、自
分自身を、「王」であり同時に「神」であり、また「大祭司」でもあるキリストに成り代 わろうとするのでしょう。

※この記事で「反キリスト」と表記していますが、一般の理解と聖書の記述に明らかな食い違いあります。詳しくは下記記事を御覧ください。


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