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ハルマゲドン考察 2 一 いつどのタイミングで起こるのか?

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前回の記事で考察しましたように、ハルマゲドンの戦い自体は行われることはありません。

それで、ここで言う「ハルマゲドン」とは、王たちが、集まり、最終的に滅ぼされる出来事として、その時のについての時系列をまとめ見ることにします。

「ハルマゲドン」に関する言及は唯一、黙示16:16の一箇所だけです。
そのタイミングは、第6番目の鉢が注がれた時に生じます。

この「第6の鉢」は「第6のラッパ」と同時期です。
それは「患難期」の後半の「三時半(1260日)」に相当する時期で、マタイ24:21で「そのときには、世界の初めから今までなく、今後もないほどの大きな苦難が来る」と言われているときです。

同時にそれはまた、ダニエル書7章で最後の獣から生え出て来る10本の角のうち3本が抜け落ちた後に出て来くる1本の「小さいもの」と表現される「王」が出現し、瞬く間に全体を牛耳る者に成長して「この角は聖者らと闘って勝った(ダニエル7:21)  「聖者らは彼の手に渡され一時期、二時期、半時期がたつ(7:21)と、預言されているように、来るべき未曾有の大患難の時に、とりわけクリスチヤンに対して迫害の牙をむくとされる時期に当たります。

このクリスチヤンに対する迫害、及び全世界の人々に対する災いの手段は、「666」という数字を持つ「獣」が施行する「手や額に印を受けさせる」というものです。

「また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。
それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隸にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。
また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持つている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。」

黙示13:14-17

この時「獣」は「地に住む人々」を強制して従わない者を「殺させる」と言う事ですから、すでに全地のほとんどの支配者を牛耳っていることが分かります。

つまり、「王たち」は比喩的にハルマゲドンのために「集められている」と言えます。

「ハルマゲドン」の戦いが行われることはない。と一つ前の記事で書きましたが、獣と偽預言者はその影響力を駆使して全地の王たちを一致団結させて、クリスチャン(目覚めたユダヤ人を含む)を一斉攻撃する行為こそ、目に見えない神に対抗して「戦いを挑む」行為とみ なされるという事でしよう。

ところで、このハルマゲドンがよく「最終戦争」「戦争を終わらせる最後の戦争」という風に解説されているのをご存じだと思いますが、そうした解説の根拠となっているのは何でしょう。

それは、ミカ4章やイザヤ2章、エゼキエル書38,39章の「ゴグとマゴグ」に関する記述などに見られる預言によるようです。

その部分を取り上げてみましよう。

「終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。
多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。
私たちはその小道を歩もう。それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。
主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない」

イザヤ2:2-4

「イスラエルの町々の住民は出て来て、武器、すなわち、盾と大盾、弓と矢、手槍と槍を燃やして焼き、七年間、それらで火を燃やす。
彼らは野から木を取り、森からたきぎを集める必要はない。彼らは武器で火を燃やすからだ。」

エゼキエル39:9,10

この出来事は「終わりの日」(エゼキエル38:16)に起きるとされています。

いずれも恒久平和が約束されていると受け止めることができますが、問題はこの「終わりの日」の出来事はいつ成就するのか、ということです。

次の聖句がそれをよく説明しています。

「多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、一つの国に侵入する。その国は剣の災害から立ち直り、その民は多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。その民は国々の民の中から連れ出され、彼らはみな安心して 住んでいる。」

エゼキエル38:8

その「終わりの日」の状況はイスラエルが「西暦70年以来、諸国に散らされていたユダヤ人が故国に戻る」という待望久しい、「回復」の預言が成就し、皆安らかに住んでいるという状況です。

またミカやイザヤの記述から、その時は、すでに主によって国々の間が裁かれ、諸国民が神を認め、また求めるためにシオンにやってくる時です。

明らかにハルマゲドンで終結する終末期の世界やイスラエルの状況ではありえません。 これは、千年期の平和を享受している期間に当てはまります。
ですから「剣の災害から立ち直り」というのは、ハルマゲドン前のユダヤ人に望む野獣からの攻撃から立ち直っているということです。
この解釈は記述そのものの内容から、そのように言えますが、さらに使われている語彙からもそれは裏付けられます。

それはイザヤ書、エレミヤ記、エゼキエル書などで使われている「終わりの日」と訳されている原語に見られます。

上記の引用聖句に見られる「終わりの日」はへブライ語では、[アカーリース](最終/Last)、[ヨーム]/日々/days)であり、「最後の日々(時代)」という意味です。
文語訳では「末の日」と訳されています。


またこのことから、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどの預言書に見られる、故国への帰還、回復の成就は基本的に千年期の時代であることが分かります。
旧約の預言で、ハルマゲドンで終わる終末期については「主の日」「YHWHの日」という風に表現されています。

一方、ダニエル書は、ハルマゲドンまでの、特に患難期の7年間の事柄についての預言を扱つていますので、他の預言書とは異なる語彙で「終わりの時」が記述されています。
ダニエル書に見られる「終わりの時」と訳される語はへブライ語では、[カテス](終わり/Endエスであり、文字どおり「終わりの時(the time of the end)」 という意味です。


この[Last days]と[Time of End]という異なる語彙を用いた表現を同一の「終わりの時」という語に訳してしまっている故に混同、混乱が起きているのです。

ダニエル書に見られる、[カテス][エス]が用いられている聖句をピックアツフしてみましよう。

「悟れ。人の子よ。その幻は、終わりの[カテス]時[エス]のことである。 ・・そして言った。「見よ。私は、終わり[カテス]の憤りの時[エス]に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの[カテス]定めの時[エス]にかかわるからだ。」

ダニエル8:13-19

これらの聖句は、8:13の「私は、ひとりの聖なる者が語っているのを聞いた。すると、もうひとりの聖なる者が、その語っている者に言った。「常供のささげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。」というダニエルの質問に答えとして与えられたものです。

さらに幾つか挙げてみましよう。

「このふたりの王は、心では悪事を計りながら、一つ食卓につき、まやかしを言うが、成功しない。その終わり[カテス]は、まだ定めの時[エス]にかかっているからだ。」(ダニエル11:27)

「終わりの[カテス]時[エス]に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。」(ダニエル11:40)

「ダニエルよ。あなたは終わりの[カテス]時[エス]まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」(ダニエル12:4)

「彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの[カテス]時[エス]まで、秘められ、封じられているからだ。」(ダニエル12:9)

さらには、患難期に関する預言を扱っているハバクク書などにもこの語が使用されています。

「この幻は、なお、定めの時[エス]のためである。それは終わり[カテス]について告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れるこ とはない。
あなたは、ご自分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそがれた者を救うために出て来られます。あなたは、悪者の家の頭を粉々に砕き、足もとから首まで裸にされます。」

ハバクク2:3; 3:13

結論ですが、恒久平和が保証されるのは千年期の最後ですから、ハルマゲドンが「最終戦争」であると断言できる聖書的根拠はありません。




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