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聖書預言の日数の「一日を一年とする」慣例の間違い

 聖書研究者たちの間で、当然のように「預言に関する日数等の計算法」として採用される、この「一日を一年とする」という表現が使われているのは、民数記14:34と、同様の表現が見られるエゼキエル4:6の二箇所です。先ず民数記の方から考慮します。

「お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。 あの土地を偵察した四十日という日数に応じて、一日を一年とする四十年間、お前たちの罪を負わねばならない。お前たちは、わたしに抵抗するとどうなるかを知るであろう。」(民数記14:33,34)

この記述は預言ではなく、神の裁定であり宣告です。量刑※の根拠として示された「一日を一年とする」という手法が、聖書預言の計算方法や「公式」として採用すべきと読む理由はどこにもありません。
40日間の背信の罪に対して40年という量刑が定められたということ以外の何物でもありません。一日を一年とする。

※(宣告刑は、被告に実際に言い渡す刑です。
宣告刑は処断刑の範囲内で、犯罪態様などの事情を考えながら決めていきます。
量刑とは、この宣告刑を決める作業です。)

では次にエゼキエルの方も考慮しえみましょう。

「わたしは彼らの罪の年数を、日の数にして、三百九十日と定める。こうして、あなたはイスラエルの家の罪を負わねばならない。 6その期間が終わったら、次に右脇を下にして横たわり、ユダの家の罪を四十日間負わねばならない。各一年を一日として、それをあなたに課す。」(エゼキエル4:4-6)

この記述も民数記の場合と全く同様で、やはり量刑方法として用いられているだけで、預言や、「計算方法」の公式とする根拠は皆無です。
「ひょっとしたら・・預言人数に当てはめてみたら・・」という勝手なひらめきから試みられたものが、定着し定番化してしまったというところでしょう。

さて、この「一日を一年とする」という量刑方法を「公式」のように用いて当てはめたのは、西暦一世紀のユダヤ教のラビ、アキバ・ベン・ジョセフが最初と言われています。
西暦9世紀のユダヤ教のラビ、ナハウェンディはダニエル書8:14の2300日に当てはめ、2300年と計算し、シローの陥落(紀元前942)から計算して紀元1358年をメシアの来る年と予想しました。

またナハウェンディは、同じダニエル書の1290日を1290年として、エルサレムの第二の神殿の破壊(紀元70年)から起算して1358年の同じ年を算出しました。
その他多数のユダヤ教のラビたちがこの「一日を一年とする」を預言成就の公式として採用して、14世紀、15世紀、19世紀にメシアの到来の年を予測しています。

キリスト教世界のほうでは修道僧、ヨアヒムが12世紀に、最初にこの「一日を一年とする」をダニエル書と黙示録11:3にある「1260日」に当てはめたのが最初と言われています。
ヨアヒムは紀元1260年という年を特別な年と考え、彼の追随者たちは西暦1260年に地上の新体制が始まると信じたといわれています。
そしてそれ以来、この「一日を一年とする」は、預言研究の普通のツールとして聖書に基づいた年代予想に無数の例で常用されるようになりました。

「異邦人の時」や、様々な預言の日数に関して「一日を一年とする」の公式の適用する慣習は現代に至るまで盛んに見られます。

「神殿の外の庭はそのままにしておけ。測ってはいけない。そこは異邦人に与えられたからである。彼らは、四十二か月の間、この聖なる都を踏みにじるであろう。わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。」(黙示録11:2,3)

ここに出て来る「異邦人に与えられた」「聖なる都市を踏みにじる」という表現から、この聖句はルカ21:24の「異邦人の時」の時を指しているという解釈は古くからあったようです。
12世紀から13世紀にかけては、紀元1260年に異邦人の時が終わる、あるいはエルサレムが復興されるなどの予想が数多く出されました。

そして、性懲りもなく出されたこうした予測は皆、当然ですがことごとく外れました。
巻末に、「1260日」を「1日を1年」を適用して年代計算を提示したリストの一例を挙げておきましょう。

63 ルカ21:24の「異邦人の時」は3年6ヶ月間であるとする根拠.pdf_imgs-0012(1)


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