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FE聖書的考察 vol.1 ─ 聖書は[ 地は円形 ]とは述べていない

フラットアース聖書的考察   ─  地は円形?

フラットアースと聖書の記述を関連づけた著作や、関連サイトのほとんどの解説で、例外なく語られているのが、何千年も昔に書かれた聖書中に、地が円形であると書かれている、という主張が見受けられます。

私は天文学や、科学的な知識は乏しいですが、専門は聖書研究者なので、聖書に実際に何と書かれているかは多少なりとも、確認できます。

この記事では、本当に聖書には「地が円形」であると書かれているのか、あるいはそのように示唆されているのかを検証してみたいと思います。

こうした主張の根拠とされているのは、聖書中に見られるヘブライ語の「フーグ」という単語に端を発します。この語は次に示すように聖書中に動詞として1回、名詞として3回、計4回だけ登場します。 そしてその4つとも、地や天に結び付けられた陳述に限られています。言い換えれば、一般的な単語ではなく「特殊」な部類に属する単語だと言えます。

なぜなら「円、丸」を意味する語は別にちゃんと存在し、様々な箇所で使用されているからです。(このことは後で詳述します)

ヘブライ語「フーグ」が登場する4つの聖句:
《ヨブ記 26:10、ヨブ記 22:14、イザヤ書 40:22、箴言 8:27》

これから、この4つを取り上げて、その本来の意味するところを探ってゆくことにします。 まず動詞として使われているヨブ記 26:10

■【ヨブ記 26:10にみられるフーグ】

《原始の海の面に円を描いて光と暗黒との境とされる。》新共同訳
《水の面に円を描いて、光とやみとの境とされた。》新改訳
《水の面に地平線を描いて、光と闇との境とされた。》フランシスコ会訳

フランシスコ会訳は「円」の代わりに「地平線」と訳していますが、殆どの日本語訳には「円」という名詞が見られますが、原語にはそれに対応する単語(名詞)は存在しません。(それにしても「円」と「地平線」にはどこにも共通点がありません)

主な英訳では「円」よりも「地(水)平線」を用いるほうが多いようです。

【circle 円】 English Standard Version、New American Standard Bible、King James 2000 Bible、Darby Bible Translation

【horizon 地(水)平線】 New International Version、New Living Translation、Berean Study Bible、Holman Christian Standard Bible、NET Bible、GOD'S WORD® Translation

他には【compassed】(〔場所を〕(歩いて)回る、一周[巡回]する、取り囲む)を当てている訳もあります。
【compassed/encompassed】 King James Bible、Jubilee Bible 2000、American King James Version、English Revised Version、Webster's Bible Translation

こうして様々な訳を比較すると、「円」という具体的な形にどれほどの聖書的正当性があるのか、かなり疑わしくなってきます。

それは取り敢えずともかくとして、その「円を描いた」とされる行為の目的というか結果は「光と闇との境」を生じさせたということです。

水面に円を描くと、なぜ「光闇の境」が生じるのか極めてナゾです。(この件は、後ほどの結論に至る伏線となっているので、覚えておいて下さい)

また、前後の文脈から、我らのこの大地(地球)のことを述べているのは解りますが、この聖句は単に水の表面に明暗の境界を定めたと述べているだけで「地球」の具体的なカタチについては何も語ってはいません。仮に「円を描いた」としても地が円形であるといえる根拠は何もありません。
例えばそれは、キャンバスに「円を描いた」のでキャンバスは円形だと主張しているのと同じです。

しかしともかく、主だった翻訳はどれも、ヘブライ語の「フーグ」という動詞を「円を描いた」というふうに「円」という名詞を付加して訳しているわけです。

ヨブ記 26:10 の「フーグ」という動詞は、全聖書中、たった1箇所、ここにしか使われていないので、どんなニュアンスで使用されているのか聖書そのものからは推察しようがないのですが、長年ヘブライ語から遠ざかることになった各地に離散したユダヤ人のために西暦前3世紀頃にギリシャ語に翻訳された「セプトァギンタ訳」という旧約聖書があり ます。
1世紀当時、イエスや弟子たちが用いたのがこの訳だとされています。

それでセプトァギンタ訳のヨブ 26:10 を見て、「フーグ」にどのようなギリシャ語が当てられているのか見てみることにしましょう。

.彼は光と闇の果てにまで、定められた命令によって水面を取り囲んだ(機械語訳)

ここの2番めの単語 [ エギロセン ]がそれに当たりますが、この語も今日の聖書の中にここにしか使われておらず、非常に古代の単語で、明確に何を意味するのか資料に乏しい状況にあるようですが、様々な解説を見ますと、「囲む、包む」というのが一般的な意味であるとされています。

ここまででまず、ヨブ記 26:10の「フーグ」は全く意味の異なるいくつかの語に訳されており、単なる僅かな翻訳に基づいて「地は円形」であると記されているということは無謀といえます。
仮に「水面に円を描いた」記述の「円」が文字通りの形状としての「円」だったとしても、地そのものの形状は依然不明のままであることが確認できたと思います。
また、それによって「光闇の境」が生じることにはならないでしょう。

■【ヨブ記の22:14のフーグ】

では次に、同じヨブ記の 22:14を考慮しましよう。

この聖句は「地」ではなく「天」に関する記述ですが、ヘブライ語の名詞「フーグ」が登場するわずか 3箇所のうちのひとつなのでここで合わせて検証したいと思います。

《雲に遮られて見ることもできず、天の【丸天井】(フーグ)を行き来されるだけだ》  新共同訳
《・・神は天の【回り】(フーグ)を歩き回るだけだ》 新改訳
《・・彼は天の【大空】(フーグ)を歩まれるのだ》 口語訳、フランシスコ会訳

この聖句に関しては「フーグ」の訳語には更に一貫性がなく、バラバラです

英訳では、「フーグ」の訳語として 【vault】【 circle】がほぼ半々くらいで存在します。
【vault】の意味としては「アーチ形天井、アーチ形のようなおおい、青天井, 青空, 大空」などとなっています。
ユニークなのが【International Standard Version】で、そこには【heaven's horizon】という表現が見られます。「天の地平線」とはどんなものでしょうか。

では例によって「セプトァギンタ訳」から「フーグ」の訳語を探して見 ましょう。

この「ギロン」はイザヤ 40:22 のフーグの訳語と同一です。詳しい説明はこの後のイザヤ 40:22 に関する説明をごらんください

しかしこの記述は「地」に関するものではなく「天」に関するものだということを改めて認 識する必要があるでしょう。

よく言われる「地のフーグの上」という表現が「地」の形状が「円形」であるという意味であるなら「天」も文字通りの形状が「円形」であるということになります。
いずれにしても、「フーグ」が文字通りの「円形」を意味するという根拠はありません。

では次に名詞形の「フーグ」の2つ目を取り上げます。イザヤ書 40:22です。

■【イザヤ書 40:22のフーグ】

《 主は地を覆う【大空】(ヘ語:フーグ)の上にある御座に着かれる。
地に住む者は虫けらに等しい。主は天をベールのように広げ、天幕のように張り/その上に御座を置かれる。》
 新共同訳
《主は地をおおう【天蓋】(ヘ語:フーグ)の上に住まわれる。・・》
新改訳
《主は地球のはるか上に座して・・》口語訳

ご覧のように元のヘブライ語原典では、わずか 4 つの単語で「覆う」などという意味の語句は存在しません。かと思えば、口語訳に至ってはもはや「フーグ」を訳すことも諦めたのか、「はるか」などとして済ませています。こうした迷走状態のような状況から分かるのは、実は「フーグ」が本当はどういう意味の語なのか、専門家も分かっていないということを露呈しているのでしょう。

字義的には端的に「彼は地のフーグの上に座す」と述べているだけです。

いずれも、訳者の独自のというか勝手な世界観が表現されていますが、それはともかく、今注目しているヘブライ語フーグはここで「大空」「天蓋」などと訳されています。

ほとんど英語訳は「フーグ」に「circle(円)」を当てています。 珍しいところでは、「International Standard Version」では「disk(円盤)」、「NET Bible」では「horizon(地/水平線」となっています。

では、例によってこの句もセプトァギンタ訳から見てみることにしましょう。

この言葉の語源は、内側にあるものを包含する「縁、境界線」であり「回転、順路」などの意味もあるとされています。

ともかく、なんであれカーブした【境目】を表す語が「ギロン」であり、形状としての円形を意味すると断定する根拠は何もないということです。

ともかく、「地」「フーグ」「上」「座す」というこれら 4 つの語が伝えているのは、「地のフーグの上に座す」であって、仮に「フーグ」が、地の円だったとしても、地そのものが円形であると言える根拠にはなりません。

ついでながら、ヨブ 26:10 や箴言 8:27 で「円を描く」としていることを考えますと、そもそも地が円形であるなら、そこに更に円を「描く」必要がどこにあるのでしょうか。

「フーグ」が用いられている、最後4つ目の箴言8:27を考慮しましょう。

■【箴言8:27のフーグ】

これらの記述から分かるようにこれは天地創造の当初に関するものです。これを踏まえて改めて 8:27 の後半だけを代表的な翻訳で比較してみましょう。

《・・深淵の面に輪を描いて境界とされたとき》新共同訳
《・・深淵の面に円を描かれたとき・・》新改訳
《・・海のおもてに、大空を張られたとき・・》口語訳

ここで「フーグ」は「輪、円、大空」などと訳されています。

ここでは、原語の各単語に対応する、深み、表面、上、フーグを一旦別にして、ヘブライ語動詞:「ハーカク」がどのように訳されているかを最初に注目したいと思います。

《描いて境界とされたとき》新共同訳
《描かれたとき》新改訳
《張られたとき》口語訳

「ハーカク」は結構、自由にと言うか、好き勝手に訳されていますが、ハーカクは聖書中に19回使用されていますが、殆どは「lawgiver、governors」などの主に法的な立法というニュアンスで訳されています。基本的な意味は「法令を定める、命令を下す、制定する」などを表す語です。「描く」などという軽いニュアンスのものではありません。
「フーグ」は法的に、あるいは法則的に制定されていということです。

この箴言8:27は「フーグ」が用いられている 4 つの聖句のうち、最も創世記 1 章の記述に近い内容になっており、両者を比較すると、箴言8:27は創世の時期の、しかもかなり初期の段階に関する記述であることが分かります。

前後の文脈を読みますと 8:12で「知恵であるわたしは・・」と「知恵」を擬人化して表現していますので、繰り返し出てくる「わたし」というのは「知恵」のことですが、一般にこれは、天における「ロゴス」のことであり(後に地上に来られる)イエス・キリストのことであるという理解で共通しています。

それで、この聖句に関しては文脈を読んだ方が理解が深まると思いますので、前後の一部を引用しておきましょう。

《主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。 大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた。 深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、わたしはすでに生まれていた。 山が立てられる前に、丘より先に、わたしはすでに生まれていた。 神がまだ地も野原も、この世の最初のちりも造られなかったときに。 神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。 神が上のほうに大空を固め、深淵の源を堅く定め、 海にその境界を置き、水がその境を越えないようにし、地の基を定められたとき、 わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ・・》箴言 8:22-30

「ハーカク」は27節の「描かれた時」と訳されているのを含め、箴言8章だけで3回使用されています。一つは15節で「制定する」そして29節で(地の基を)「定められたとき」と訳されています。

では戻ってここでも「フーグ」に関する訳語を比較してみましょう。

新共同訳では、原典にない「境界」という語も挿入していますので、「フーグ」を「輪」と「境界」という異なった語に 2 重に訳していることが解ります。

英訳聖書を見ますと「フーグ」の訳語は [horizon( 水平線)] と [circle(円)]が半々くらいでしょうか。

不思議なことにというか、英訳聖書では [the circle of the earth] という表現が少なくないにも関わらず、新共同訳、新改訳、口語訳などの日本語訳では名詞形のフーグに対して「円」という訳語は皆無であるのに、動詞形のフーグであるヨブ記 26:10 を「円」という名詞を伴って訳しているのどうしてなのでしょう。

このように日本語以外の様々な訳を見ても、フーグの訳語に一貫性がありません。

総合的に判断すると、聖書中にほんの僅かしか使われていないこの「フーグ」についてはあまり十分な理解がされていない。言語学者の間でも様々な見解があるようで、この語に関して断定的に述べることは不可能というのが実情のようです。

ともかくヘブライ語の「フーグ」が「円」と断言する明確な根拠は見いだせないというのが実情だと言うことです。聖書中の「フーグ」の本来の意味するところは、何らかのカタチを具体的に伝える語ではなく、第一義的に「周回、回転」、さらにはカーブしたもの全般、またその縁、境目という概念を表す語句と言って良いでしょう。

実際一般的にヘブライ語聖書中には、円形、輪、丸を意味する語は別にあり、「עָגֹל アーゴル」という語です。

《・・鋳物の海を作った。縁から縁まで十キュビト。円形(アーゴル)でその高さは五キュビト・・ 》Ⅰ列王 7:23
《・・その口は円形(アーゴル)で同様の作りで・・・鏡板は四角であって丸く(アーゴル)はなかった。》Ⅰ列王 7:31

こうした他の聖句から推測できるのは、神が聖書を通して「大地」の明確な形状を伝えることを意図されたのであれば、一般的で解りやすいこのアーゴルを用いて地が「円形」であることを示すように、聖書筆者を導かれたはずであると考えるのが妥当ではないでしょうか。

以上、「聖書は地が円形であると述べている」という主張には明確な根拠は何もないことが判明しました。

太陽や月は、ともかく見たところ「円形」なので、この大地も「円形」である可能性は小さくはないと思いますが、未だ明確に確認されていない現状では、その形状は「不明」という認識が正解でしょう。

何事によらずそうですが、確認されている事象と未確認のものを同レベルで断定的に扱うことは逆に説得力を削ぐ影響にしかならないでしょう。

・・しかし、それどころか、この「フーグ」に関する記述から驚くべきことが判明しました。これについては次の『FE聖書的考察 vol.2 ─ ヘブライ語「フーグ」に秘められた驚くべき真実』で詳しく扱う予定です。


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