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ゲンロン大森望SF創作講座第四期:第8回実作感想②

僕、遠野よあけはゲンロン大森望SF創作講座という小説スクールに通っていまして、そこでは毎月50枚程度の作品を提出することになっています。この記事では、そこで提出された作品への感想をつらつらと書いていきます。詳しい情報は下記サイトにて。

「ゲンロン大森望SF創作講座」
https://school.genron.co.jp/sf/

「第8回提出課題一覧」
課題:ファースト・コンタクト(最初の接触)
https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/subjects/8/


後半12作品の感想になります。

09「ら・ら・ら・インターネット」東京ニトロ

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/tokyonitro/3885/

 はい!おもしろいやつ!!
 なるほどね。iMacは98年発売だったのか……(ぐぐった)。
 ニトロさんの小説を読むと、「街も国も社会もみなぶっ壊れることは起こり得るのだし、それは現実に起こっているのだ。それらはぶっ壊せるのだ」という気持ちになれて大変楽しいです。パニック映画とか僕はあまり観ないのですが、パニック映画観るときに「この脚本家、東京ニトロの変名なのでは……?」というひらめきを意識に一滴たらすことで楽しく観れそうな気がしてきました。……そんなことってあるのか……?
 僕は80年代生まれセカイ系育ちのオタクなので、「小状況と大状況の接続」というとセカイ系的な中間領域(社会)の中抜き構造の物語を連想しがちなのですが、ニトロさんの小説は、同様の接続がありつつ明らかにセカイ系と異なるところなどが僕などは面白くて好きです。セカイなんて導入しなくても、現実の社会の語彙と仕組みだけで大状況(社会)はぶっ壊せるのだ。というかニトロさんの描くものこそが社会であり、社会のリアリティなのだ。人は死ぬし街は壊れるのだ。現実に。
『日本沈没』を超えてほしい(唐突)。

 

10「無何有の位」榛見あきる

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/halme123/3874/

 榛見さんのポテンシャルの高さが全開に……いや?これはもうちょっと、まだ良くなる、まだ面白くなるやつでは?榛見さんのポテンシャルならこれはまだいけるやつでは?(ポテンシャル云々の根拠は、榛見さんの過去作と飲み会とかで話した時の印象です)具体的になにをどうすれば良くなるのかは僕にはわかりませんが。
 僕は歴史小説や経済小説を読むのが苦手で、これもけっこう読むのが苦手な部類なのですが、どのへんが面白い部分なのかとかはそれほど読み落とさず読めたと思うので、話の構造の精度が高いのだと感じました。それは別に三蔵法師とかがいい感じのキャラで出てくるから、とかではなく。結末までの流れが明確で力強いので、風俗とかよくわからなくても「この辺の記述の機能はだいたいこんな感じだろう」というのがおおよそ察せられるからだと思いました。上手いな。
 例えば、僕は経済勘がないので借金が膨張する(?)くだりは全然理解できてないですが、物語上なにが起こっているのかは問題なく理解できるし、それさえ読み落とさなければ以降のシーンも問題なく読めるような作りをしている。上手いな。
 これは筆力(取材含む)がないと書けない作品だと思いますので、名刺代わりの一作として機能しそうで羨ましいと思いました。




11「火を熾す」今野あきひろ

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/akihiro1/3861/


「あいつが首から吊るした胸元の太鼓を叩くと、おれたちの体は揺れた。」という書き出しが強い。そして物語はずっとこの太鼓の音を導かれていく。リーダビリティが高い。ぐいぐい読ませる。面白く読みました。
 ただ、Twitterでもちょろっと書きましたけど、これまでの今野さんの作品にあった、リーダビリティとは別のパワー、つまり可読性を落としてもなお魅力ある勢いは減りました。たぶん、今回の小説は主人公が抱えたひとつの悩みのようなものを巡る話になっているからとは思います。ふつうに考えたら、この読みやすさはいいことなんですが、書き手が今野さんであることを考えると、勿体ないと思ってしまいますね。書き出しは素晴らしいと思いました。
 でもあれですかね。書き出しや主人公の造形などよりも、やはりラストの象徴的なひとつの場面に結実してしまう物語構造が今野さんの作品らしくないような気もします。というか、このラストの後で「球」で起こり続けるであろう、「別段象徴的な意味もなにもないが、そこにいる生き物たちにとってはまったく大変としか言いようがない避けられない様々な出来事」までを書いたほうがよかったのかも?という気がしましたが合ってるかはわからないです。
 でもそれはつまりですね、かなり大雑把にこの作品を解釈すると「太鼓=物理=命」と「火=文明」との相容れなさが書かれていると思うのですが、これはちょうど、これまでの今野さんの作品の裏設定のようにも読めるので、この小説の後ろに脈絡なく「続シロクマは勘定に入れません」の文章がそのまま繋がっているとなんかすごいのでは?リーダビリティがあってめちゃくちゃでなんかすごそう。いや流石にそのまま繋げたらおかしいですけど。でもそういう感じはします。……うまく書けてませんが、伝わっているでしょうか?見当違いなこと書いてたら申し訳ないです。

12「鹿鳴館の人魚」甘木零

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/brightsideoflife/3852/

 明治だ!知らないことがたくさんでてきて難しい!難しい……。
「農商務省農林局害獣課」という名称はかっこいいので、「農商務省農林局害獣課シリーズ」とかいいですね。タイトルが。「農商務省農林局害獣課妖捕物帳」とか。明治は捕物帳とは言わなそうですが。
 話としては、ここから面白い展開が始まるぞ、っていうところで(次回へつづく…)となったので、来週の放送が楽しみな感じです。いや、来月の更新が楽しみな感じです。
 たぶん僕はこういう小説はもう少し分量読まないと作品のなかに入れない系の読者なので、つづきを楽しみにしています。
 文体は、時代小説とか僕はあまり読んできていないので何が正しいのかわからない感じですん。

13「シェアさせていただきます」古川桃流

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/furukawa3/3873/

 ちゃんとしている!ちゃんとしているの大事だと思います。
 ちゃんとしている、つまり文章も展開も説明も丁寧で読者を置いてけぼりにしない小説だと感じました。ただ、現状はそこで止まっていて、でもあとは古川さんなりの「武器」をひとつ、小説に仕込めば読者がつくやつだと思います。
「武器」というのはなんでもいいのですが、なんでもいいがゆえに、自分にあったやつを知るのが大変なやつなんですが。それはたとえば、恋愛劇、ミステリ、サスペンス、思弁性、専門知識の解説(今回のクリティカルマスのようなものの解説を通してある業界に詳しくなるなど。お仕事系小説のようなやつ)、萌えキャラ、などなど。いろいろあります。いろいろありますが、まずジャンルをひとつ絞って、そのなかで自分が他の書き手に対して優位に立てるやつだと良きです。でもいろいろ試して手ごたえをさぐらないとわからないやつです。(自分のなかに強烈に書きたい衝動があるやつとか、あるいはほかの人よりも好きなもの、詳しいものとかでもいけると思います)
 ジャンルや「武器」が決まると、自然と読者層や掲載媒体も決まるので、そこに向けてチューンするのがよいと思います。決める順番は逆でもいいと思います。
 みたいなことを思いました。今後の創作の参考になれば幸いです。

14「たけのこ太郎」品川必需

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/hitujyuhin/3882/

 梗概とアピール文と実作がまったく無関係!!(…無関係ですよね?)
 これいいですね。梗概とアピール文と実作で、それぞれ別個の文章を載せる。みっつがひとつのページに掲載されるSF創作講座ならではの作品です。僕もやってみたい。通常講義があと一回でも残っていたら真似して書いてみたと思います。これまでに自分でこの方法に気づけなかったのが惜しいです。いろいろできた可能性があったのに……。
 実作自体は、僕からは特に何も言うことはない感じです。


15「ゾンビパニックの論理哲学論考」式くん

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/iioio/3840/

 書き出しは「お、何かが起こっているぞ?」と思わせていい感じでした。でも、うーん……斧SFや相撲SFのあとだと、作品自体はイマイチだと感じてしまいます……あと僕は式さんの饒舌文体はあまりいい感じがしないです……だらだら続いているだけに見えて、あまり面白くない(方言とかは関係ない話です)……森見登美彦や町田康や阿部和重や秋山瑞人とかの饒舌文体に比べると、三段くらい見劣りするので、あまり良きと思えないです……内容の密度も、文体や構成を圧縮したら4000~8000文字くらいで収まりそうなので。
 あと「クオリア」がマジックワードのまま終わってしまうのが作品として弱いと思いました。作品の本文全体が「クオリア」になっているのだと思うのですが、しかし実際の作品を読んでみても「クオリア」を表現しているという印象はもてなかったので、哲学的ゾンビなどの用語を借用して小話を作ってみただけという感じが否めず、奇想としてもフィクションとしても面白さに欠けると感じます。「本文=クオリア」だとした場合、7章構成にした必然性もぼやけているので、章構成も要らなかったと思います(「クオリア」が7つであることや、分割されていることに意味があればいい感じだとは思います)。
「哲学的ゾンビ+エスパー」という奇想としてのギミックも、面白いとは思いますが、それだけで二万文字以上を引っ張るには弱いと感じました。
 オチも既視感がつよく平凡です(式さんの作風でオチが既視感あるのよくない)。


16「コンビニエンス・スタア」岩森応

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/iwamori/3876/

 宇部さんの感想でもあったけど、長い。文章と場面と人物を削って半分くらいの長さにしたほうがいい気がしました(それが物語にとって適正な長さだかというころでなく、そういう引き算の技術ができるようにしておいたほうが他の作品を書く際にも必ず役立つと思うので)。
 あとこれは申し訳ないことだけど、一度にたくさん作品を読んだことの疲労もあり、いま僕にはこの作品の魅力がぱっとつかみきれない。全体に埋もれてしまっているということでもあるのだけど。あまり建設的なことが言えなくて申し訳ないかぎりです。

17「カオダシたちの神隠し」九きゅあ

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/kyua/3846/

 面白く読みました。きゅあさんは書くたびにうまくなっていると思います。決勝→過去→真の決勝という段取りもよかったです。いつも作品の結末で「実はこうだった」というオチを入れているのもすごいと思います。
 一方で、うまく書けていないなと思う部分も幾つかあって、比較的小さいことだと、箱庭世界というのが結局何なのか説明されないまま現実世界との関係が雰囲気で語られていて、読者はちょっとついていけなくなるかなと思います。説明して現実世界との関係を展開させるか、説明せずに現実世界との関係を描かないか、どっちかに寄せたほうがいいかと感じました。あと、主人公の能力がいまいちわかりづらく、カジノウォーの勝ち方もどうしてああいう理屈になるのかわかりませんでした。それと、ラストで世界が崩壊の危機になるのですが、「湯銭が二つになったから、世界を安定させるために世界も二つにする」みたいな解決のはずなのに、箱庭世界を二つにするのではなく、ラマを二つにすることが解決しているのがよくわからなかったです。
 ゲームを扱う物語なので、理屈や設定はきちんとつくったほうがいいと思うのですが、その辺がうまくいっていないのはもったいないと思いました。『カイジ』とか『ライアーゲーム』とかのゲームのロジックで話を進める作品は、「(描かれない外の世界などについて)どこまで理屈や設定を読者に提示するか」などが繊細に考えられているので、ゲーム的な物語を書くならあの辺の作品の描き方は改めて参考になるのではないかと思いました。
 あと、アピール文の「初めは接触しているのは創作も同じで、結局は文脈の派生です。」はよくわからなかったです…。「分裂」と「派生」はかなり異なるのでは?という気がしました。

18「Last Resort」宇露倫

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/master2core/3860/

  端正な文体で、物語の展開も丁寧に作られていて相変わらず宇露さんは上手いと思いました。
 そして以降の感想はあまり正確に書けている感じのしないのですが、と弱気な前置きをしてしまうのですが、今回の作品に限らず、宇露さんの作品は「正しいこと」が書かれているというか、「善人が報われる」感じが強い気がしています。つよい倫理観に支えられているというか。いや、最初の太陽系レースみたいなものはこの話と矛盾する要素もあったかと思うので、今僕が書いている内容は、作品読解としてはあまり正しくはないと思うのですが。でもその、なんとなく他の人(受講生に限らず)の書く小説よりも、正しいことを率直に書こうとしている感じがします。正しさが走っている。
 それと関係あるのか正直わからないですが、宇露さんの作品は時折、文章の進行が読者の認識よりも早く進んで、一瞬何が起こったのか、どんな情報がやりとりされたのかわからなくなる感覚があります。少し戻って読み返せばわかることも多いのですが。(太陽系レースの話のとき、ダルラジでイトウモさんが、アクションシーンについて、似たようなことを話していたかも)。
 これはまあ読者の思考を想定して書くとか、プロの作品の文章を真似るとかで改善する話なんですけど、なんとなく、その文章の癖もふくめて宇露さんの作品の個性という気もしていて、単に直した方がいいのでは、と書いていいのかはよくわからないです。いまのところは瑕疵のようにも思えるのですが、その部分を全部潰していくと宇露さんらしさも消えてしまう感じがして悩ましいですね…どうすればいいのだろう…(わからない)
 なんか文章の話ばかりで、内容についてほとんどふれていないのですが、今回の作品ではそういう読み味の部分がつよく印象に残りました。今回の作品は、特に「語られないこと」が重要な要素として現れているのですが、それは物語レベルだけでなく、文章レベルでも起こっている気がして、両者は関係しているような気もしました。しかしその意味まではうまく言語化できなかったので、申し訳ない限りです。

 ……そして、この感想を書いている間に次の実作が公開されていてビビっています(笑)

19「神殺し」藍銅ツバメ

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/mimisen3434/3859/

 ツバメさんは、妖怪ものをたくさん書いていますが、やっぱり書こうとしているのは人間なのだな、という印象を持ちました(まあ妖怪ものの多くは普通そうなので、改めて言うことでもないかもですが)。
 今回は神が出てくるわけですけど、主題は「痛み」であるような気がしました。怪我をした場面から始まり、その怪我は治るんだけど、最後にまた怪我をして終わる。主人公の行動はすべて自分の自由意志ではなく、神の計略によって支配されていることが強く示唆されますが、最後にそのことを自覚した主人公の拠り所が「痛み」だったように思うんですね。よく言われることですが、「痛み」は他人と共有がとても難しいものです。そのため人は痛みなり苦しみなりにアイデンティティを見出しやすい。物語冒頭でその「痛み」を神に治癒してもらうことが、実は自分の意志を神に委ねてしまっていたという構造になっている。最後に深い怪我を負って「痛み」を取り戻すことで、神の支配からのささやかな抵抗が描かれている(それでもたぶん神の思惑どおりの行動しかできないのだろうけれど。それでも。)。
 冒頭の状況設定もわかりやすく先がきになる作りになっていて、最初から最後まで面白く読ませていただきました。

20「君の声は聞こえる。僕の返事は届いただろうか。」宇部詠一

https://school.genron.co.jp/works/sf/2019/students/ubea1/3878/

 甘酸っぱい。これはいい感じなのではないでしょうか?
 年齢的に僕は全然この小説の読者層という感じがしないのですが、逆に高校生の僕がこれを読んだらけっこうハマっていた可能性を感じました。宇部さんは中高生向けの小説などもいけるのでは?というのも、宇部さんの作品の登場人物は基本的にまっすぐな人格で(善人という意味ではないです)、読者に物語の主題を伝えるのに適した造形だと感じるからです。くわえて、本来複雑な科学や人文学の話をコンパクトに要約するのもうまい(悪く言えば矮小化ですけど、よく言えば取捨選択です)。あと今回の文体は、物語に対してとてもうまくフィットしていたように感じます。ブログで宇部さんが書いていましたが、確かにファーストコンタクトSFとして考えると「誰でも書けそうな話」に見えてしまいますが、中高生向けの作品として考えると「SFのモチーフを上手く物語に落とし込んだ良作」に見えてくる気がします。宇部さんは作品の「個性」についてブログで書かれていましたが、この作品にも「個性」は宿っていると僕は思いました。
 とはいえ中高生向けSFって、いまはどこのレーベルが請け負っているんでしょうね。。?


■雑感
 今回のような、みんなが同じテーマ(しかも使い古されたモチーフ)で作品を書く課題だと、やっぱりモチーフを変化球的に扱う作品が多くなりますね。課題のファーストコンタクトSFを、ストレートに地球外知的生命体との遭遇として描いたのは、宇部さん、中野さん、揚羽さん、あたりでしょうか。なんでそんなこと気になったかというと、僕が自分としては珍しくストレートに課題に答えた回だからです。あまり競合しなくてよかった。あと、ファーストコンタクトSFみたいな明確な輪郭のあるモチーフを読み替えたりすることは誰でも簡単にできることなので、そっちの方向で独自性を出すのは非常に難しいだろうと思って、ストレートな地球外知的生命体との遭遇を書いたほうがコンペ的に有利だろう、という算段もありました。

 あと、課題作品をすべて読むと毎回思うことですが、これだけの数の作品があると、当然、僕の好みでなかったり読むのが苦手な作風とかも全然あるわけです。人間なので。(一応、それでもある程度は読めているつもりではありますが)
 で、ここからが興味深かったことなのですが、そういう傾向がありつつも、好みなどに左右されずにぐいぐい読まされてしまう作品も確実に幾つかあって。もちろんそれは僕の体調やメンタルにも左右されてしまうのですが、それでも明らかに「目を引く文章や言葉」が書かれている小説もあるわけです。僕が個人的に考えるエンタメの作り方の基本は「その作品が受け手の人生と関係あるものだと受け手に錯覚させること」だと思っていて、その方法をあの手この手で仕込むのが大事かなと思っています。例えばそれはジャンルだったり、タイトルだったり、あるいは作家名からでも作ることのできる錯覚です。広報、広告なんかも基本的にはそういう技術ですよね。消費者は自分の人生と関係のあるものを買うのだから。作家自身のツイートや、知人からの口コミなどからもその関係は形成されることがありますし、お気づきかと思いますがこの文章もそのためのものでもあります。
 そしてまあ、それは小説であれば「冒頭のつかみが大事」ということでもあるし、また最初から最後までいかにして読者の関心を持続させるかということでもあります。たいていの場合は、キャラを立たせたり、展開を盛り上げたりすることでそれを行うわけです。
 他方で、文章レベルでもそれは起こせるわけです。よく「小説を読む価値とは、心に響く一行を見つけることだ」みたいなそれっぽい感じのそれがあるじゃないですか。そういうのも同じですよね。そしてこれをさらに精緻に見ていくと、別に心に響かなくても「なんかよい」「なんとなくかっこいい」みたいな文章が小説のなかに入っているだけで、読者はその作品を読み続けてくれるしその作品のことを考えてくれやすくなる。そんなに意識はしないと思いますが。あと文章レベルでなく、単語レベルでもそれは起こせると思います。
 20作の短編を一気に読むと、そういう錯覚の力を強く感じます。僕は活字中毒ではないので文章ならなんでも楽しく読めるわけじゃないんですけど、だからこそ余計にある文章を前にしたときに「なんとなくかっこいいから集中して読もう」みたいに思うことがけっこうあります。また自分でもそういう文章を書きたいと思っています。難しいけど。理屈がよくわからないし。今回の僕の作品で言えば、「文字はいきている」という文章を冒頭に入れようと考えたのもそういう狙いです。十二所じあみという作家名とかも。そういうこともちょいちょい考えながらのほうが、他の作品よりも読者に読まれる作品が作れるのではないか?という現状の仮説です。
 今回、全員分の作品を読んで、そういう言葉の機能を改めて実感しました。

 ところで。第4回~第7回の実作は全然感想書けてないのですが、どれか課題1回分くらいはまた全作感想書くかもです。各回ともにちょこちょこと幾つか読んではいるのですが、書くとしたら全員分書いたほうが自然なので、そうすると講義終わる前に書けるのは労力的にあと1回分かな、と。たぶん第7回を書くのではないかと。

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