死が二人を分かつその日まで
想像した。私が夫に先立たれ独り身になった時一番寂しくなるのはどんな時だろう、と。
きっと、夕方だ。方々から夜ご飯の雰囲気がし始める時間。私はいつか、夕方に、台所に突っ伏して泣きべそをかく日がくる様な気がしている。
私は毎日の様にご飯を作る。
料理をするのが好きだ。
もちろん、面倒な日もあるけれど。夕方、台所で好きな音楽を聴きながら黙々と下ごしらえしている時間がとても幸せだ。
夫は何も言わず私の作ったご飯を食べる。
美味しいとはいってくれるけど、味や珍しい食材の話をしたい私にとってそれは物足りない言葉だ。難しい料理が美味しく出来た時にもいつもと変わりない反応が返ってくると思わず冷蔵庫を閉める力が強くなる。
食事に関心がないのかと思っていた。
私の工夫には気が付かない人なんだと思ってた。
ふと、思った。
食べたことの無い食材が並んでいても、知らない国のスパイスの匂いがしても、喧嘩して一日中口をきかなくても、夫はいつも通りいただきますといって私の作ったご飯を食べる。
今までまずいと言われた事は一度も無い。箸でつついたり、匂いを確かめたり、怪訝な顔でお皿をのぞかれたりしたことも無い。
私なら、これ何?と言いながら匂いを確かめないと口には運ばないだろう。疲れて帰ってきた日には脂っこいものは食べたくないと愚痴をこぼすだろう。
夫は私に全幅の信頼をおいてくれていた。私が色んな事を考えてご飯を用意しているのを分かってくれていた。
ああ、私達夫婦なんだな。支え合っているんだ。
身体の事を考えたご飯で夫を支えようと思っていた。湯気の立つ台所で安心を与えたいと思っていた。けど、毎日ご飯を食べてもらう事で支えられていたのは私のほうだ。
こんな事思うのは大げさだろうか。
私が料理を作るのが好きなのは、食べてくれる夫がいるからだ。死が二人を分かつその日まで精一杯ご飯を作りたいと思う。幸せは毎日の生活の中にこそあるんだから。
いつもの食前のヨーグルトをこの前作った青梅の甘露煮と
キャベツの千切りとヒレカツ
一緒にマカロニサラダも
干し菊とキュウリを入れたもずく酢
大根のお味噌汁
これは私が、
毎日の生活が愛そのものなのだと確信した日の献立。