小瓶を売る女(再演)
あるところに老夫婦が暮らしていました。
いつもふたりで仲睦まじく過ごしていましたが、時間の経過には勝てず、少しずつ少しずつ、おばあさんの様子が変わってゆきました。
最初は小さな物事の物忘れ程度でしたが、次第にそれは酷くなり、いつしか手に持ったものがなんなのかすらわからなくなりました。
おじいさんはちぐはぐなおばあさんの会話に毎日毎日優しく付き合っていましたが、ついにおばあさんの一言で限界が訪れます。
「あなたは、誰かしら?」
哀しくなったおじいさんは棚の奥から小瓶を取り出し、中に入った液体をおばあさんと半分こにして一気に飲み干しました。
そして、仲の良かった老夫婦は同じ時刻に永い永い眠りにつきました。
→「アーモンド」
さて、今日の物語の主人公は亡くなった彼らではありません。この老夫婦の孫にあたる少年です。
少年は、老夫婦の死をいちばん初めに見つけました。
ふたりで同じような格好で倒れているのを見てたいそう哀しみましたが、おじいさんが小瓶を持っているのに気づき、ことの成り行きがわかりました。
「これは…きっと2人で毒を飲んだに違いないぞ。でも、毒っていうのは売ってはいけない物のはずだ。きっと悪い薬売りが売っているに違いない。」
おじいさんの手から綺麗な小瓶を持ち上げて、よくよく観察してみると、小瓶の底に『MADE IN RAIN TOWN』と文字が掘ってあります。
少年の住む町から少しの間電車に乗ると、『雨の町』という町があります。そこは、町中がぼろぼろで幽霊が出たり怖い人がいたり、行ってはいけない場所だと教わっていました。
『おじいさんとおばあさんを殺した悪い薬売りはこの雨の町にいるに違いない』
悔しくなってきた少年は途端に家を飛び出し、雨の町に向かう電車に飛び乗りました。
→「各駅停車で会いましょう」
到着のアナウンスが響き、少年は初めて雨の町に降り立ちました。この小瓶が無ければ、こんな怖いところには一生来なかったでしょう。
壊れた建物や、砂漠のように朽ちた植物、降り続ける雨…。町中を行き来する人々はみんな悪い顔をしているように見えます。
しかし、大好きだったおじいさんとおばあさんがこの町の、この小瓶が原因で死んでしまったと考えると、居ても立っても居られません。
やむことのない雨に打たれながらも、弱弱しくみられないようにしゃんと背筋を伸ばします。さぁ、悪い薬売りはどこにいるのでしょうか。
→「8月32日」
目立たない細い路地のそのまた奥。町中を捜し歩いた少年は、やっとの思いで怪しい女を見つけました。古い建物の軒下で、きらきらと光る小瓶をたくさん並べています。
きっと彼女が悪い薬売りだ、そう少年は思ったのですが、不思議なことに、この降りしきる雨の中でも女の前には行列ができています。
そのいちばん最後に並んだ男に、少年は話しかけてみることにしました。
「お兄さん、ここにいる怪しい女の売っている瓶…中身をご存知ですか?」
すると男は嬉々として答えました。
「おお、もちろんさ!君は初めてかい?僕は二回目なんだ。」
余りにも嬉しそうな顔に眉をひそめて、更に少年は話を聞きます。すると、男は自慢げに話し始めました。
一度目は叶わぬ身分の恋を叶えるため、瓶の中身を惚れ薬として使ったこと。そして、二度目の今回はその恋人の難病を治すための薬に使うこと…。
「本当にありがたいよな。ここの小瓶は万能薬さ!」
なにやらおかしいぞ。そう少年が感じたころ、列は進み、男の番が回ってきました。
「だからもう一度、魔法の小瓶を手に入れてくるよ。それではお先に。」
なんにも言葉が出ない少年を尻目に、男は女に話しかけました。
→「Magic」
鼻歌交じりに会釈をして、女から小瓶を買った男は目の前を横切ってゆきました。
ついに少年の番が回ってきて、女の元へ足を進めます。お待ちどおさまでしたと顔を上げた女に、思い切って声を掛けました。
「あの、あなた、毒を売っていますね。」
女は何を…と言いかけましたが、その声も遮って続けざまに少年は責め立てます。
「あなたのせいで、僕のおじいさんとおばあさんが死んだんだ。この小瓶を持って、ふたりは倒れていた。僕が発見したんだから間違いない。ほらここに証拠もある。ここに並んでる小瓶と全く同じ小瓶がこれだ!」
小瓶を差し出すと、女は眉を下げて本当ねと言いました。
「しかも話を聞くとどうやら人によっては良い薬を売っているようじゃないか。何故ぼくのおじいさんには毒を売ったんだ!」
怒鳴りつける少年に女は観念したように口を開きました。
「あのね、坊や。その中身はね、あそこの井戸にある水なのよ。
その中身はただの水。そしてわたしはただのガラス売りよ。
でも、ちょっと違うのは、お客さまが本当に買っているものなの。それはね、みぃんなが欲しいものなの。だからみんなわたしに頼みに来るのよ。魔法使いだと勘違いしてね。」
人ってね、思うことで強くなるのよ。女はそう言いました。
少年はまだ頭が追い付きません。そうして、このやまない雨の中、
ただただ慈愛に満ちた女の顔を見つめる他ありませんでした。
→「変光星」
「じゃあ、結局あなたは何を売っているっていうんだ。」
訳の分からなくなった少年は女の顔をキッと睨みます。
すると女は、少年と、そして目の前に大人しく並んだビストロカンタの観客たちに教えてやるように言いました。
「みなさんが本当に買おうとしているものは『きっかけ』なのよ。
物体としてはね、ただの井戸水の入った小瓶。どんな客がどんな背景を持って悩みを打ち明けてきても、わたしは何も言わずにこれを手渡すの。すると人間は不思議でね、ある人は惚れ薬、ある人は眠り薬、またある人は毒薬なんかと信じ込んでその水を飲み干すの。そうするとね、みんな力が湧いてきて、本当にそのようになってしまうの。“この小瓶があったから本当に解決した!”ってね。
きっと…あなたのおじいさんは、毒薬だと思い込んだのね。
でも、これは魔法なんかじゃないのよ、人間の思い込みによる勘違いの効果『プラシーボ』と名前も付いているわ。わたしはこの小瓶を売っただけ。本当に力を発揮したのはお客様自身の思い込み。私が売ったのは、人間そのものが持っている思い込みの力を発揮するための『きっかけ』に過ぎないのよ。
そして、きょうの公演でよあけのばんからみなさんが買ったものも、実は『きっかけ』なの。彼らが売れるのはね、「【小瓶を売る女】を観たな」という記憶だけ。それをきっかけに力を発揮することもそんなに難しいことじゃないわ、折角だから試してみて。理屈がわかれば、小瓶なんか、物体なんか必要ないから。目の前の何かが魔法のできごとだと思い込めばなんだってできる。そう、できるわ。
そうね、例えば、こんなに楽しい夜を過ごしたんだから明日もきっと楽しくなる、そう考えてみて。
そうそう、ほら、もうそのような気がしてきたでしょう。」
女が嬉しそうに告げると、降り続いていた雨がぴたりとやみました。
そうです、ここは雨の町なんかじゃありません、都島のビストロカンタ。
よあけのばんは、会場中の皆さんの顔を嬉しそうに眺めてから、演目最後の曲を歌い始めました。
→「雨上がり」
2022.2.26(sat) @都島ビストロCanta
Teatro Canta<Canta劇場>
演目【小瓶を売る女】
共演:DADさん/JuliaMurphy/テンタウ/みぞたちか