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生活の音色、こもるピアニストたち

最近良く聞いている2枚のアルバムがあります。

キース・ジャレットの"The Melody At Night, With You"とharuka nakamuraの"スティルライフ"です。

ジャンルは異なりますがどちらもソロのピアノ演奏です。

仕事に行く前の早朝の公園や、一日の終わりにお気に入りの入浴剤を入れて照明を落として入るお風呂で聴きます。

すると心が洗われるような気持ちになったり、胸がギュッとなったりするのです。


さて、この2枚のアルバムには共通点があります。
それは部屋に閉じこもって作られた曲集だということ。


まずは、

The Melody At Night, With You


このアルバムはキース・ジャレットの奥さんに送られたものです。

録音は1998年の12月に自宅のスタジオで行われました。

キースは1996年に難病を患います。
彼はそれまで完全即興のピアノソロ公演を何度も成功させているような凄腕のジャズビアニストです。当然、心身にかかる負荷も相当なものだったでしょうね。

彼はこの後、自宅での闘病生活に入ります。
その生活を支えたのが妻のローズ=アン。

このアルバムに収録されている曲はすべてジャズスタンダードのラヴソングだそうで、この録音も当初は公開する予定はなくとても私的なものだったみたい。
なんともロマンチックですね。

最愛の人のために自宅のスタジオにこもり、止まった時のような緊張感の中優しく語りかけるように紡がれるピアノの音。

冒頭の"I Loves You, Porgy"には開始5秒間の空白があります。

慎重に慎重に、初めのFの鍵盤に指の重さを乗せるまでの時間がひしひしと伝わってきて、なんだか胸が熱くなります。

闘病生活の中で紡がれた夫婦の優しい時間が確かにそこあるような気がします。


次のアルバム。

スティルライフ

haruka nakamuraさんは旅をしながら音楽をしているアーティスト。
nujabesや川内倫子との関わりが深く、2人とも好きな私にとってはなんだか勝手に運命を感じてしまう音楽家です。

スティルライフは、harukaさんが旅をストップさせ「生活」のルーティンを作り、その中で録音という「日々」を繰り返したそのダイアリーのようなアルバムです。
実際に制作日記を公開しています。


録音は自宅で行われました。
日記の中でharukaさんはそのマイクが建てられたピアノがある私的な空間を「聖域」のようだと表現しています。
その「聖域」は「生活」という俗を含んでピアノの音色に現れます。

実はこのアルバムはリリース当初から認知はしていましたが今ほど聴いてはいませんでした。

よく聴くようになったきっかけはスティルライフ日誌を見つけたこと。

私自身、今ちょうど生活が大きく変化するターニングポイントにあって、これからどのように生活を送るべきなのか、送りたいのか、日々考えていたところに出会ったそれは、まさに一つの教科書のようでした。


「あなたはこれから、どのような日々を送りたいですか。」

自問自答をした時にパッと頭に浮かんだのは、不思議なことにコロナ禍の生活の日々でした。


2020年4月7日。
戦後初の緊急事態宣言が出されてから、私たちは自分たちの生活の脆さに気づきました。

外出は制限され家にこもる日々を繰り返しました。

当時の私は今の家に引っ越しをしている最中でしたが、外出制限のため家具・家電を店頭に見に行くことが出来ず、当時はまだ恋人だった妻とネットショップを見漁っていました。

スマホの画面を見せ合い、あれこれと意見を言って、ひと段落したら人の少ない時間に近所を散歩して、また家に戻る。

そんな生活を繰り返して、ダイニングテーブルや鍋やスツールなどが続々と家に届けられ、気がつけば生活の基盤は整っていました。

朝早起きをして、サンドイッチを作りまだ眠そうな妻を起こして近所の公園で食べました。

そんな日々が時を経て、私の中でさらに優しく色づいていることに気がつきました。


スティルライフは2020年1月から3月にかけて録音されています。

自宅にこもることを余儀なくされたキース・ジャレットとは異なり、haruka nakamuraは自ら部屋に、「生活」にこもります。

奇しくもこの直後に世間はパンデミックの脅威にさらされ、生活は閉じられ人々は自らの生き方と向き合うことを強制されます。


ウェルビーイングというものを先駆的に、啓示のように示したスティルライフ。

最近はこのアルバムを聴きながらゆっくりと湯船に入り、スティルライフ日誌を読み進めていくのがお気に入りの時間です。

読めば読むほどこのアルバムが「生活」の延長にある一つの結果だということが見えてきます。

4年前にはただのピアノの音としか聴こえていなかったそれらは、そのピアノの輪郭や上に置かれた讃美歌の歌詞や十字架や立てられたマイクに光が差す一輪挿しやその光が差し込む窓の向こうの夕焼け、その空の下にあるカフェで毎朝コーヒーを淹れて夕方には銭湯に入り家に戻ってピアノの側のベットで眠る、そんな「日々」が聞こえてきます。



3曲目に「新しい朝」という曲があります。
アルバムに入っているのはたった一回の録音ですが、日誌を読めばこの曲がアルバムの一曲目として用意されていたことや、ピアノのコンディションを変えたり日を変えて何度も何度も録音したいくつものうちのたった一つだということがわかります。
静謐で真剣で切実な「日々」の一部だということに気がつきます。


4年前と違って聞こえるのはコロナ禍を経験しこの日誌を読んだ私自身の変化でしょうか。


こもることでその「日々」をピアノの音色に乗せた2人のピアニスト。

この2枚のアルバムはこれからも大事に聴いていこうと思います。

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