月の光
「スヌーズレンをやりたいと思います」
新しく赴任して来た作業療法士さんはそう言いました。スヌーズレン?なんだかおしゃれでおいしそうな響き。一体どんなものなんでしょう。
機能訓練室という部屋にはマットが敷かれていて、その上には知的障がいを持った人たちが寝転んでいます。作業療法士さんは部屋の電気を落とすと何かのスイッチを押しました。すると、天井に星空のような光が広がって、床に敷いてあった透明なチューブは天の川のようにブワッと光り始めました。
私も一緒にマットに寝転んでその星空を眺めてみます。わずか数メートルの距離に広がる人工の星々をぼーっと見ていると、仕事中にも関わらずなんだか眠くなって来ました。
ふと、記憶の彼方から音が聞こえて来ました。それはたったの1フレーズのアルペジオ。タリラリララ、タリラリララ。眠たい頭は壊れたCDプレイヤーみたいにそのフレーズを何度も何度も繰り返します。なんだっけ、これ。不思議と懐かしい感じがします。タリラリララ、タリラリララ。ああ、もうちょっとでわかりそうなのに。タリラリララ、タリラリララ……タリラリララ!
突然、堰を切ったようにそのフレーズはあふれ出し優美な旋律が頭の中で紡がれてゆきます。その曲はドビュッシーの「月の光」。曲名でピンとこない人も冒頭の3音を聞けば、「ああ、これね」と言うであろうクラシックピアノの名曲中の名曲です。
でも、なんでこんな聴き慣れた曲を私はすぐに思い出せなかったのでしょう。しかも大好きな曲なのに。
答えはすぐにわかりました。それは、私の頭の中で鳴っていた演奏がピアノによるものではなく、くぐもった電子音で奏でられたものだったからです。
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幼い頃に大好きだったおもちゃがありました。それはミッキーマウスの形をした洗面器くらいの大きさで、スイッチを入れるとプラネタリウムみたいに天井がキャラクターでいっぱいになって、そしてタラリラと音楽が流れ出すのです。あの頃、夜寝る時は両親に頼んで必ずこのおもちゃを出してもらっていました。そしてその電子音で奏でられる曲目の中に「月の光」はあったのです。
幼いというのは本当に幼い頃で、小学校に上がる前くらいのころです。当時はその曲を、「きれいな曲だなあ」とは思っていたものの、曲名までは知りませんでした。とにかく幻想的で、ロマンチックで、神秘的でワクワクする。当時はそんな言葉で説明することはできなかったけれど、幼心にも惹きつけられる魅力的な音楽であったのは確かです。その時の私の目はきっとキラキラと輝いて、覗き込む父や母はそれは愛おしかったことでしょう。
そして私は小学生になり、いつの間にかそのおもちゃは押し入れの奥へと仕舞い込まれました。
高校生の時です。ふとしたきっかけであの曲がドビュッシーという作曲家の「月の光」という曲だと知りました。正確には「ベルガマスク組曲」という全4曲から成るピアノ曲集の第3曲だということも知りました。4曲通して聴きました。4曲目のパスピエも好きでした。ドビュッシーの他の曲も聴きました。同じく印象主義音楽と言われるラヴェルを聴きました。クラシック音楽に興味を持ちました。いろんな作曲家のいろんな曲を聴きました。作曲家の伝記なんかも読みました。自分も音楽を作りたいと思いました。そして私は高校を卒業して音楽系の学部に進学したのです。
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「そろそろ時間なので片付けを始めましょう!」
パッと部屋が明るくなって天井の星空は消えてしまいました。それでも私の胸の内はあの月の光に照らされキラキラと輝いていました。
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仕事が終わるとすぐにそのおもちゃのことを調べ始めました。ですが、インターネットが普及していなかった時代の商品名もわからないものを探すのは、なかなか骨の折れる作業でした。「ディズニー 星空 天井」、「ミッキー プラネタリウム 知育玩具」などと思いついた単語を片っ端から検索ボックスに放り込んでいきます。
そんな作業をしていると、苦労の甲斐あってついにその懐かしいミッキーの形をしたおもちゃの画像を見つけたのです。「これだ!」と興奮してそのwebページを開いてみると、そのおもちゃが「おやすみホームシアター」という商品で今は懐かしきTOMY(現タカラトミー)が製造販売していた商品であることがわかりました。
そして、そのwebページはメルカリの商品ページでした。
そうです。つまりそれはとっくに廃番になったその愛おしいおもちゃを、今、購入することが出来るということなのでした。
私は興奮そのままにメルカリのアカウントを作成すると、それをカートへと放り込みました。
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学生時代、私はサウンドクリエイターを目指していました。テレビゲームのBGMを作りたかったのです。アニメや映画の劇伴作曲家にも憧れましたが、テレビゲームが良かったのです。それは、アニメや映画が受動的なコンテンツであるのに対して、テレビゲームは私たちがプレイヤーとなってその世界の中でアクティブに動き回ることができるからです。もちろんゲームのジャンルにもよりますし、例外もあるでしょうが。
私は「音楽をまとう」感覚が好きです。
数年前にクラシックのコンサートを聴きに行きました。生でオーケストラを聴くのはずいぶんと久しぶりでした。演目はラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」。私の大好きな曲です。
ですが、私はこのコンサートを楽しめなかったのです。それはずっと受け身だったから。コンサートホールの客席で決められた椅子に座って、同じ角度からステージを眺め、次はこれ、次はこれ、とただ奏でられるままに音を受け取ることしかできなかったから。とはいえ、これは言ってみれば至極当然のことですし、クラシックのコンサートに行くというのはこういうことです。なんなら演奏は素晴らしかった。いったい何を文句なんか言っているのでしょう。
ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」。私は特に第二楽章が好きです。というか、そこばかり再生しています。クラシック好きの方々からしたら、こういう聴き方は邪道なのでしょうか。本当はちゃんと第一楽章を聴いてから聴くべきなのでしょうね。でも、すぐに第二楽章が聞きたいのです。それに第一楽章は平均約8分もあります。長いんだもん。コーヒーが冷めちゃう。
そうそう、コーヒーを飲みながら聴くのが好きなのです。ついでにサンドイッチも。場所は緑の多い公園で、時間は朝早く。もちろん晴れ。季節は春の初めや冬のちょうど手前くらいがいいですね。日の当たるベンチを見つけたら腰を下ろして耳にイヤホンを入れましょう。ノイズキャンセリングはオフで。木の葉の擦れる音や鳥の声も聴きたいから。ホイッと再生ボタンを押せば、ほら、静かなピアノの旋律を私は「まとって」、朝の澄んだ空気の中、優雅にコーヒーをすするのです。
初夏の海辺ではボサノバを聴いて、紅葉の下ではミュゼットを聴きながらシナモンロールなんかをかじって。都会の夜はシティポップを聴いて早足で歩いてみたり。……ちょっと気取った感じがするでしょうか。
とにかく、しっかり構えて、「さあ、音楽を聴くぞ」というスタンスを築くのは落ち着きのない私にとっては難しいのです。どこにでも音楽を持ち運べるようになった今、「向き合う」のではなくその身に「まとう」ような音楽のあり方が私は好きです。コンサートが楽しめなかったのも、この感覚に慣れてしまっていたからでしょう。
そして、私が初めて音楽を「まとった」のは、たぶんあの時。天井に映るキャラクターたちが誘うまどろみの世界で、私はファンタジー世界の主人公になりました。自由に空想して飛び回って、気づけば夢の中。そしてあの「月の光」がよりキラキラとその世界を照らしていたことでしょう。
それからというもの、私の周りには月の光で編まれた羽衣がふわふわ、テラテラと漂ってありふれた日常にちょっかいをかけ始めたのです。
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仕事から帰って来て部屋着に着替えようとしていると、すぐインターホンが追いかけて来てモニターをのぞけば配達員さんの抱える大きな段ボールが見えました。サササッとサインをして荷物を受け取ると勢いよくガムテープを引き剥がします。箱の中には確かに私の知っている懐かしいおもちゃがありました。
裏蓋を開けて単1電池を入れます。4つも。単1電池なんて10年ぶりに買ったんじゃないでしょうか。それからディスクと呼ばれる2枚のカードが付いていて、これを本体に入れると天井にイラストが投影される仕組みになっています。
私はディスクをガチャっと差し込むと、それを寝室へ持っていきます。ベッドの上に置くと自分も仰向けになり、ゆっくりとスイッチを入れました。
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大学時代はとにかく夢中で勉強をしました。好きなことでしたし、苦ではありませんでした。朝は4時過ぎに起きて電車に乗って1限の前に予習をし、夜はサークル活動をして0時ごろに家に帰りました。成績は良く特待生に選ばれたりもしました。学費が浮いたので一人暮らしを始めてより勉強に励みました。「絶対に音楽を仕事にするんだ」と誓って。日陰で生きてきた自分は、何者かになりたかったのです。
自分の今までの人生を振り返って、「頑張った」と嘘偽りなく自分の口から言えるのはこの時が最初で最後です。
私はサウンドクリエイターにはなれませんでした。才能も努力も運も覚悟も足りていませんでした。私は何者にもなれませんでした。せめて音楽の仕事に関わりたいと新卒で楽器店で働き始めたものの、半年で退職して、少し心を病んで一年ちょっと引きこもっていました。そして恋人に支えられどうにか就職し、障がい福祉の仕事に就いて今もなんとかやっています。
天井に広がる色とりどりのキャラクターたちは、確かに記憶にあるものでした。そして音楽も。
出品者さんが注意書きをしてくれていたようにスピーカーは壊れてしまっていて、ずいぶんと音量は小さくかすかに聞こえる適度です。それでも耳をピタリとくっつけるようにして横になると、聞き覚えのある曲たちが記憶にあるそれらと合わさってはっきり聞こえて来ます。そして、「月の光」。
キャラクターたちはゆっくりと視界から流れて行きます。私はそれをぼーっと眺めます。
家で引きこもっていた私を支えてくれた恋人は今は妻になりました。妻とは大学のオーケストラサークルで出会いました。妻はピアノが上手です。私は弾けません。ギターはちょっと触れます。ヴァイオリンとマンドリンもほんとにちょこっとだけなら。たまーに妻と一緒に演奏をします。友達とも数人でセッションをしたりもします。作曲は続けています。ちまちまとパソコンに向かい続けています。YouTubeなんかにも投稿していますが登録者は増えません。それでも楽しいです。音楽がある生活は。音楽をまとった日々は。
私の半生はこのおもちゃがきっかけとなり紡がれてきたものです。そう言っても過言ではないでしょう。「月の光」に導かれて。その光が煌々と照らし出した長い長い道のりは途切れることなく今の私へと続いているのです。楽しかったことも悲しかったことも嬉しかったことも辛かったことも、すべてその道の上に。
タリラリララ、タリラリララ。タリラリララ、タリラリララ。
かつて父と母と私が川の字になって見上げた色とりどりの光は、今、妻と私ふたり分の小さな六畳間の天井をあの頃のように照らし出しています。二十数光年の彼方から届けられた月の光を、私は今再びはっきりとその身にまといます。
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明日も仕事だからそろそろ寝なくちゃ。
スイッチをオフにして部屋の電気を点けると、小さな寝室のベッドにしわくちゃになった掛け布団とこちらを向いて微笑む妻、そして、その瞳に映る何者でもない幸せそうな私がいました。