UMAくん
ブンッ、と机に置いたスマホが震えてハッとします。宿直室の明かりを落としてモニターをぼーっと眺めていた午前3時半過ぎ。スマホのバイブに続いて転落防止のセンサーがピンポーンと鳴ります。モニターの端に一つの居室が映って、利用者さんが左に寝返りを打つ映像がカクカクと流れます。
スマホを見るとLINEが一通届いていました。こんな夜更けに誰でしょう。何杯目かわからないコーヒーに口をつけながらLINEを開きます。
『(日本旅行を)満喫しました!行けて本当に良かったと思っています。写真ができたら分かち合いますね』
送り主は先日の彼でした。朝の公園で話しかけられて写ルンですをプレゼントした彼。アメリカ生まれの日本語が上手で敬虔で綺麗な青い瞳をした彼。
写真ができたら分かち合いますね。分かちあう、かぁ。撮った写真を誰かに見てほしくて、褒めてほしくて、いつも一方的に送りつけている私からしたら、その言葉はひどく健全なものに聞こえました。
それはさておき、なるほど。時差か。アメリカが今何時なのか調べてみると、彼がいる辺りはちょうどお昼時のようです。仕事がひと段落して、お昼でも食べながらメッセージを飛ばしてくれたのでしょう。ちなみにアメリカは標準時が6つもあるみたい。アメリカ、広い。
地球ってほんとに丸いんだなぁ。こうやって同じ瞬間に連絡を取り合っているのに、私は夜の中にいて彼は太陽の下にいる。それって、なんだかすごくワクワクする。彼にLINEを返すと、ふと懐かしいような感覚に襲われました。
そういえば、昔同じようなことがありました。小学校4年生くらいの頃だったと思います。同じクラスの男の子が急遽アメリカへ行くことになったのです。たしか、ゆうまくんと言う名前の子でした。背が高くてがっしりとしているけれど、運動音痴でどこか親しみやすかった。そんな子だったと思います。
彼とはその頃よく一緒に遊んでいたような気がします。だからなのか、当時パソコンがある家庭があまりなかったからなのかはわかりませんが(先生に頼まれたような気もする…)、私は別れ際に彼からメールアドレスを受け取って、アメリカに渡った彼とメールのやり取りをしていました。
学校から帰るとまず和室へ向かって、ランドセルを放り投げると、襖の向こうに無造作に置かれたデスクトップパソコンのスイッチを入れていました。海の向こうから届いた数行の文字の羅列は、当時の私にとっては驚きに溢れたものでした。大きな四角いデスクトップに向かって、その向こうの知らない国の友人に向かって、畳の上に置かれたキーボードを夢中で叩いたのを覚えています。
ですが、それもほんの一時のことで、彼とはいつのまにか連絡を取らなくなりました。彼が向こうで友達が出来てメールを送ることが面倒になったのか、私がメールに新鮮さを感じなくなって飽きてしまったのか。理由は覚えていません。最後のメールを無視したのが私だったらごめん。
『お写真とても楽しみです!』
彼にLINEを送り返すとまもなく4時になるところでした。ピンポーンと音がなって、またさっきの利用者さんが寝返りを打つ映像が映ります。センサーに表示されているのは人がベッドに腰掛けているイラスト。ほんと、あてにならん。
スマホをポケットにしまって念の為様子を見に行きます。そーっとドアを開けて豆電球を付けると、大きなイビキをかいてベッドで眠る利用者さんの姿がありました。
ついでに他の方の様子も見にユニット内を周ります。ポケットの中のスマホは鳴りません。私はポケットに手を添えたまま。
彼とも写真を分かち合ったら、それきりになるでしょうか。なんだか寂しい。日常に差し込まれる非日常を、私は心の底から愛で尽くしたい、といつも思います。
ゆうまくんはどうしているでしょうか。昼休みに一度、大きな喧嘩をしたことがありました。そんなことしか、もう私は思い出せません。メールで送った言葉も、受け取った言葉も、もう忘れてしまいました。だからあなたはすっかりUMAくんです。
ポケットの中のスマホは鳴りません。指先に意識を集中させます。次に彼から送られてくるのは、私があげた写ルンですの写真でしょう。それで、お互い『ありがとう!』と言っておわり。なんだか、さみしい。
それなら写真が届いたら、とことん褒めちぎってやろう。一枚一枚質問してやろう。言葉が出てこなくなるまで。出てこなくなったら、今度は私の新居の写真でも送って自慢してやろうかしら。彼の暮らす街の写真も送ってもらおう。自然が豊かでいいところだと言っていた。きっと素敵な写真が送られてくるはず。
話のネタが尽きるまで。偶然開いたこの知らない風が吹き込む窓を、私はいつまでも開けていたい。
ポケットの中のスマホは鳴りません。外が明るくなってきて、みんな目を覚まし始めました。私は忙しくなって、彼のことはいつのまにか忘れてしまいました。