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女であること、【乳と卵】

どーもどーも、ひいろです。
2本投げた、にじさんじ関連のnote、すごいたくさんの人に読んでいただいてとても嬉しい。

やっぱ、にじさんじ人気なんだなって、人気になっているんだなって改めて思う。
私はリアルの方にVを語れる人がいないので、私の独り言を読んでくれて、多少なりとも理解してくれる人がいると、安心します。


今回は、久しぶりに本の感想を。
川上未映子さんの『乳と卵』。読んだ後知ったけど,芥川賞取った作品らしい。



私が普段書いている文章と文体が似ていて、いつもとは違う【共感】をしながら読んでいた。

相手の思考が流れ込んでくる感じ、私の思考が漏れ出ている感じ。あの文体自体の特徴もあるけれど、私が普段ああいう自動筆記みたいな文章を書いているから余計、主人公の思考の流れの再現性が高いのだと思う。

共感をしながら同時に、巻子のような”衰退”が、20代の自分は当てはまらないと心の中で確実に思ったことが、心から恥ずかしいと思った。

私たちは、女で、確実に女でなくてはならない。
わかりやすく女であることを表明するため成長し続ける女の身体に嫌気を感じながら、しかし、女の身体がなくなった途端、女を探し、貼り付け、溶接しようとしてしまうこと。抗おうとしても、自分の美意識の何もかもが社会に汚染されているように感じられること。

気づかないふりをしながら、ずっと気がついていた。
性は、私の中で大事な要素だ。けれど、私は対象としての性にずっと終始していて、主体としての性をあまり考えないようにしている。

もっとわかりやすく言おう。自分が恋をする対象が女であること、男であること、またはそのどちらでもないこと、私はそういう性に執着し、その代わりに、自分の性については深く考えようとしてこなかった。相手の性に合わせて、自分の性はどうにでもなると思っているのだ。

私は体が女であるし、顔もわかりやすく女であるから、人が私を慕ってくれるときそれは女としてであろうし、それならば、女であることに抵抗しようとは別に思わない。けれど、私が女の子を好きになったら、迷わず、男になろうとするだろう。女であることを裏に隠そうとするだろう。

どこまでいっても女にしかなれない身体であることに知らないふりをして。

性が私という存在にこびりついていることを忘れそうになる。
きっとそれは、考えれば終わりがないことを知っているからなんだろうし、きっと、巻子も考えたくないから、だからこそ、豊胸したいんだと思う。

お母さんの人生は、あたしを生まなんだらよかったやんか、皆が生まれてこんかったら、なんも問題はないように思える、うれしいも悲しいも、何もかもがもとからないんだもの。卵子と精子があるのはその人のせいじゃないけど、そしたら卵子と精子、皆がもうそれを合わせることをやめたらええと思う。

緑子

巻子が緑子の父と会ってべろべろに酔って帰ってきた夜、緑子が流しで意味もなく水を流して、蛇口の音と、流れる音と、流しの底面が歪む音とを聞くシーンがある。そこで、夏子はなぜかフレンチドレッシングの中身を流しに捨てる。黙ったまま、真っ白の液体が排水溝に落ちていくのを夏子と緑子は二人で見つめ、そして夏子は、「ああ、わたしはこんなんだから、いけないのだ、」と思う。

この描写を、言葉にして解釈しなおすことほど野暮なことはないのだろうけれど、話させて。

きっと、ドレッシングは、精子だ。自分を生み、母の乳房をしぼませ、母の時間と、自分の時間とを奪った精子。緑子が、自らの生物学的な父をどう認知しているのかはわからないけれど、それは、父、ではなくて、自分の存在がこの世に存在する源、諸悪の根源、みたいに思っているんじゃないか。人間に対する憎しみとか恨みとかですらなくて、そういうもっと原始的な怒りの感情に、結びついている、ように思う。

だから、ドレッシングを、代わりに流してあげたんだよね、夏子は、それしかできないのだから、行き場のない怒りと虚しさでいっぱいの緑子と、一緒にいてあげたんだよね、緑子の卵子は流してあげられなくても、代わりに精子を流してあげたんだよね。
夏子は、あの時間、なにも、なにもしちゃいなかったけれど、でも、精子が無駄なものとして存在するって、ちゃんと、緑子に証明してあげた、だから、あなたはそのままでいいのです。

そのあとのシーンも、緑子と巻子が二人で卵を割って、わって、わって、卵子を壊して、女になっていくことに、女であることを強いてしまう自分があることに、抵抗しているみたいだった。

緑子は、生きるために働かんといけないし、でもはたらくためには大人にならなくてはいけないわけで、女になることが決定づけられていくわけで、目が痛くなってしまうよな、開けたくなんてないよな、と思う。

いつの間にか、私は、目が開けられるようになっていて、それは、私がどうにか、生き残ったからで、思春期が終わったからだとか、そんなふうに片づけてはいけない。だから、緑子に、時間が解決するよなんてクソみたいなセリフは聞かせたくなくて、どうにか一人で頑張って、耐え抜いて、としか言えない、あの時間、誰かがそばにいるはずって信じながら、ずっと一人だったし、だれかが実際にはいたとしても、いてほしくなんてなかった、わかったつもりになられるのが一番嫌だった。
だから、一人で、頑張って、話なら、いくらでも、聞くよ。


巻子が、緑子に、「絶対にものごとにはほんまのことがあると思うでしょ、でも、ないこともあんねんで」と話すのだけど、その真意を、私はまだつかめていない、きっと、巻子も真意なんてないまま話している、けれど、それは真実だと確信しているのだと思う。
浅くとらえれば、自分が男性主義的な価値観で女になりたいのか、自分のために女になりたいのか、なんてほんとのところはわからない、って、そういう意味なのだけど、絶対にそれだけじゃない。
説明も理解もできない自分の思考と行動と、周りから見える自分自身の狭間で、巻子はきっと苦しんでいる。巻子だけじゃなくて、きっと私も。

三人で、花火ができるのが遠くない日にくるといいな。



p.s.なんで、巻子と夏子と緑子なんだろう、巻と夏に共通点が私には見いだせないし、母子にするなら、夏子と緑子にするよな。どう考えても、巻子という名前が3人な中では異質で、なんでなんやろうと思っている。






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