バナナリーフを連ねてみんなでごはん
バヤン滞在最終日の夜。これまで幾度となく村に泊めてもらってきたが、今回は今までになく賑やかなパーティでの送り出しであった。
鶏を焼くとのことで夕方過ぎから皆が準備し始めた。ウィジがどこからか生きた鶏を入手しバイクで帰ってきた。これから絞めるというので、見にきたい人は来てと声がかかり学生たちが数名参加していた。家が集まる集落の中で絞めるのではなく、少しだけだが、70、80mだろうか東に行った集落はじの少し広くなったスペースで絞めたとのことだった。その後、家の前に持ってきた皆で羽をむしって解体したり洗ったりしながら、ワイワイガヤガヤと楽しそうに準備していた。
家の前のちょっとした広場に、レンガを2つ並べただけの焼き場が2箇所設けられ、火を起こし、網に挟まれ鶏が焼かれていった。
そんなこんなしているうちに大きなスピーカーがどこからか運ばれてきて、カラオケの準備が始まった。最初は音楽が流されているだけだったが、しばらくするとジャナ兄弟がマイクを持ち熱唱し始めた。初めて聴く曲であり、歌詞もわからなかったが、私に対する想いを乗せて歌っていることがその熱唱の中に感じられた。あとで曲名を聞き、歌詞を調べてみた。曲はGereja Tua古い教会である。自動翻訳の歌詞を以下に載せる。
村にいた頃をまだ覚えていますか?/教会の横で冗談を言い合っていた/ティーンエイジャーだった頃/無邪気な心が物語った
時は流れ/出会ってから10年/あなたが今どこにいるのか知らない/家の場所も知らない/ただひとつの忘れられない瞬間/古い教会の夕暮れ/雨が降っていた/私たちは屋根の下に避難した
私たちはとても近くに立っていた/温かい雰囲気に包まれるまで/私はあなたの手をしっかりと握った/私はいつもその記憶を覚えている
時は流れ/出会ってから10年/あなたが今どこにいるのかわからない/家がどこにあるかも知らない/ただひとつ忘れられないことがある/古い教会の夕暮れ/雨が降っていた/私たちはその屋根の下に避難した
たとえ今はひとりでも/君のせいじゃない/ただ君に会いたい/会えば心が満たされる/会えば心が満たされる
泣ける。想いが沁みる。彼に会ったのは、23歳の時1992年である。私が村に1ヶ月滞在したのは、その翌年の1993年だろうか。残念ながらティーンエイジャーの時ではないし、出会ってから10年ではなく30年だが、教会をモスクに変えれば、我々の状況そのままだ。モスクよりブルガの方がいいかも。
その後、白石がインドネシアの若者を歌を歌ったり、学生がドラエモンの歌を歌いながら皆で踊ったりと盛り上がったが、最後に絞めた鶏を皆で食べた。
テラスにバナナの葉が一列につなげて並べられ、両側からバナナの葉を挟んで対面するかたちでそれぞれの前にもられた料理を食べた。盛られたのは、ご飯とほぐした鶏に椰子の身のすりおろしたものを混ぜて味付けしたものと焼魚である。ジャナたち大人は交わることなく、彼らの子どもたちの世代と学生たちあわせて15名程度が皆で食べた。ある意味、共食と言える。
共食は、神と人、あるいは人と人とが共に食事をとることで相互の結びつきを強めることをいうが、インドネシアではジャワにおいてスラマタンという儀礼の際の共食がある。バヤンにおいても、かつて滞在した際に、儀礼に参加したことがあるが、山羊あるいは水牛を供物としてそなえ、その後皆で共に食べたことがある。正式にはカンプのブルガに上って互いに向かいあって食するが、私が参加したのは、その脇の方で地面にゴザを引くなどして場所を確保して、その上で振る舞われたものだと思われる。30年前の出来事なので記憶は曖昧である。
今回のものは、それを模したカジュアルなものであるが、これまで食事後のアルコールは村の人たちと一緒にすることはしばしばあったが、食事は我々のみですることがほとんどで、一緒にすることはなかったので、新しい出来事であった。山羊や水牛ほど立派なものではないが、鶏を絞めた後、それを皆で食したのである。初めての体験であった。240824