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24/10/2 日記

午前11半ごろ起床。決して早くはないけれど、午前中に起きられただけまだマシか、と思う。昨日は内定式で、かなり遅くまで飲んでいたから。

昨晩遅くに砂糖漬けにして冷やしておいたグレープフルーツを遅めの朝食代わりにしながら、昨晩のことについて考える。

同期達とは(おそらく)上手くやっていけそうだし、昨日の私の振る舞いはなかなか良かった。
私は人に会う時に自分の振る舞いを過不足なくコントロールしたいという思いがあって、上手くできた日には結構達成感がある。

最近は「話しすぎない」ことを目標にしてみている。
私は生来おしゃべりな性格で、その場の会話の主導権を握ることがよくある。とは言っても他の人に十分に話を振ることや、話し方に気をつけているので、それ自体はあまり悪いことだとは思っていない。だから悪いところを治すというより、新しいコミュニケーション方法を試してみよう、みたいな感じでトライしてみている。できることは多い方がいいしね。

そのトライの結果として、昨日はなかなか良かった。抑制と感情の発露のバランスが適切で、場の雰囲気に相応しい立ち回りができた。
今までは人に好印象を持たれるかどうかを軸に行動したことは全くと言っていいほどなかったのだけれど、気にしてみるとこれはこれで意外と楽しい。好かれて嫌な気持ちになることはないし、何より集団において「この人はちょっと違うな?」と思われてしまうことはなかなかリスキーだ。それに、集団に属することの楽しさも最近やっと知ったところだし。楽しいことも多い方がいい。

それにしても、砂糖漬けにしたグレープフルーツって本当に美味しい。つめたくて甘い果汁も、華やかな香りも大好き。
房ごとに分けられ、薄皮を剥いたピンクグレープフルーツの果肉は、ちょっとだけ内臓のようだと思う。無数の粒々が組み合わさって一つの形になって力なくくたりと皿の上にある様子は、腎臓とか膵臓とか、その辺りの臓器を彷彿とさせる。

今日は数十日ぶりに何も予定がない日なので、そのままソファに寝転がってのんびりする。窓を少し開けたままにしているので、秋というより夏の名残のような熱気を孕んだ風が時折通り抜ける。気持ちが良い。

ぼーっとしていたら昔の恋人から電話がかかってきて、そのまま少しだけ他愛のない話をする。相変わらず暖かく表情豊かな声。元気そうで何より。

15時ごろにやっと洗濯することにする。
私、晴れた日にする洗濯って大好き。服を洗濯機に詰め込んでいるとき、お気に入りの柔軟剤の香りを感じながら干すとき、残った陽の暖かさを感じながら取り込むとき、「秩序を生み出している」という感じがするから。まともな人間として過ごしている気がして、爽やかな気持ちになる。


17時ごろ、近くのカフェに行くことにする。ずっと家にいるということが苦手で、何もない日でもなんだかんだ理由をつけて外出してしまう。何も進んでいない、生み出していないと感じるのがあまり好きではなくて。

ここのカフェはお気に入りで、1人でもよく来る。親友とのとめどないおしゃべりの会場になることもある。
特筆すべき特徴はないのだけど、いつもいい感じに空いていて、店員さんも親切で居心地がいい。

家を出るときに適当にバッグに突っ込んできた小説を読む。江國香織の『真昼なのに昏い部屋』だ。

 ほんとうに不思議だわ。
ジョーンズさんの手の、乾いた温かさを感じながら美弥子さんは思います。もう十数年も、ひろちゃん以外の男の人と手をつないだことなんてなかったのに、昔からつなぎ慣れていたみたいに安心な気持ちだ、と。

江國香織の『真昼なのに昏い部屋』p.112

この文を読んで、数日前デート相手に不意に手を繋がれたことを思い出す。その時の無感動さも。

共通の友人がいて、なんとなく成り行きでデートした人だった。その人は以前から私に好意を寄せていてくれたようで、かなり猛烈なアプローチをされている。たぶん、悪い人ではないのだろう。というよりきっと良い人な気がする。親切だし趣味が合うし、服のセンスだって良い。ちょっと強引だけれど、私のことが好きだということを鑑みたらまあ納得できなくもない。友達の相手だったら反対はしないかも。

でも手を握られてあんなに何も感じないということは私の相手ではないんだろうな、と思う。

柔らかくて熱い手に指に包まれた時、不意に以前付き合っていた人の手を思い出してしまった。目の前にいる人とは対照的に、よくラケットを握るせいで少しかたくて、幼なげな顔立ちとは裏腹に厚みがあって乾燥していた。その全てが愛おしかった。

彼は、手を繋いでいる時私のネイルをなぞってその滑らかさを確かめるのが好きだった。パーツがあればその凹凸が気になるのか、無意識にずっといじっていた。そんなところも、他のところも、子どものような人だった。

・・・

そのデート相手に帰り際、「僕の好きな本だから読んでほしい」とバッグに本を入れられてしまった。突き返そうとした時にはもう電車のドアは閉じつつあって間に合わなくて、結局持って帰ってきてしまった。

そしてその後、「〇〇ちゃんの好きな本も今度貸してほしい。知りたいから」
とLINEが届いた。「言葉遣いが好きだから、書いた文章も読ませてほしい」とも来た。たぶん食事中に私が文章を書くのが趣味だと話したことを覚えていたのだろう。冗談じゃない。嫌だ!

私にとって言葉というのはとても大切なもので、本も文章も簡単に人と共有したくない。プレイリストくらいしたくない。

それなのに彼には事あるごとに教えて!と言われてうんざりする。そしてうんざりするということは、やっぱり私はこの人を好きにならないのだろうなと確信する。私は、友情であれ恋愛であれ、好きな人には割と素直に自己開示するタイプなのだ。

だから正直もうあんまり会う気はなかったのだけど、手元にある本を返すために会うべきか迷っている。迷っているうちに苛立ってきた。
人のバッグに強引に本を入れるなんて勝手じゃない?

もう!

今日は言葉が止まらない。人といる時に話しすぎないことを心がけていると、外に出し損ねた言葉が自分の中に溜まり続けていく気がする。
もちろんフルスロットルで話すことができる相手も何人もいるから、少しくらい「話しすぎない」ための努力をすることはそこまで不健全な状態ではないとは思っているのだけれど。
それにしてもどれだけ話すことが好きなんだ、と自分でも少しおかしくなってきた。

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