見出し画像

ロバータ・フラックの旅立ちに寄せて

2025年2月25日

ロバータ・フラックさんが旅立ったとの知らせが、入ってきました。88歳でした。
2022年にALSから歌声を失い、演奏活動から引退されていましたから、そのことが旅立ちの要因になったと思われます。
「私のことはアディーディアと呼んで❗️
子供の頃からの仲良しだけが、そう呼ぶの。
中国の人に平和の大事さをよーく伝えてやるわ!」
そうロバータさんが私に言ったのは、天安門事件があってほどない香港でのJazz Festivalでのこと。
ステージ前の彼女は、天安門で起きたことに猛烈に腹を立てていました。
日本から同行していた音楽ジャーナリストの私に、ここには書けない言葉の数々で怒りをぶちまけていました。
「やめて!
捕まるかもしれない。今夜は中華人民共和国からも、見張りに来ているはずだから」
止める私を振り切って、ステージに上がった彼女は、一言も"平和"とか"自由"という言葉を使わずに、歌だけでその二点を訴え続けたのでした。
凄かった!
あの時の香港の人々の涙、熱狂。
私はあの夜を忘れたことはありません。
大事な人、ダニー・ハサウェイからもらったスカーフを首にかけて歌うアディーディアは、平和と自由のためなら、いつでも立ちあがる人でした。


米Varietyに、彼女の代理人より下記の声明が発表されました。
「偉大なるロバータ・フラックが、2025年2月24日に亡くなり、私共は悲しみに暮れています。
彼女は家族に囲まれて、安らかに息を引き取りました。ロバータは境界線を打ち破り、さまざまな記録を打ち立てました。彼女は誇り高い教育者でもあったのです」
ロバータ・フラックは1937年2月に米ノース・カロライナ州ブラック・マウンテンに生まれ、音楽一家の中で、幼ない頃からゴスペルの影響を受けて育ちました。
マヘリア・ジャクソンとサム・クックが、アディーディアのお気に入りでした。
15歳でワシントンD.C.のハワード大学に入学。全額奨学金で迎えられ、クラシック、声楽を学び、19歳で卒業。その後は同大の大学院に進学したのですが、父親の逝去により中退。
中学の音楽教師になり、またナイトクラブでピアノの弾き語りをして音楽活動を始めたそうです。
1969年にアルバム・デビューを飾り、1972年に"The First Time Ever I Saw Your Face"が全米No.1 の大ヒットを記録! グラミー賞の最優秀レコード賞も受賞しました。

翌1973年には"Killing Me Softly with His Song" が引き続き、全米1位の大ヒットを記録!グラミー賞の最優秀レコード賞、最優秀楽曲、最優秀女性ヴォーカルの3部門で受賞するという快挙を成し遂げました。

彼女の繊細なビブラートは、聴く者の魂を振るわせ、それまでにない存在として音楽シーンで華々しい活躍をしたのです。
ロバータさんは1970年代にはダニー・ハサウェイとのデュエット曲も多く、1972年と1980年にデュエット・アルバムを発表。
"Where Is the Love"(1972年)、" The Closer I Get To You"(1978年)など、ダニーさんとのデュエット・ナンバーが世界中で聴かれ、愛されたのでした。
1983年には、ピーボ・ブライソンとのデュエット曲 "Tonight, I Celebrate My Love" がヒットしました。
日本にも度々来日され、私は香港取材のご縁でご一緒に(デイヴッド・サンボーンに紹介された) 神宮前の鍼灸医院に行きました。彼女は日本の鍼の繊細さをとても気に入っていって、複数回通っていました。
渡辺貞夫さんとのコラボレーション"Here's to Love" も、素晴らしい仕上がりになりました。
今は天界で、あの独自な声を取り戻し、歌っていることと思います♡
どうぞ思う存分、いつまでも、歌い続けて下さい
🙏❤️🙏




いいなと思ったら応援しよう!