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観光の本質とは?

 これからの観光を考えるためにも、観光の本質について改めて考えてみたいと思います。結論から述べるならば、観光することの本質は、「相対化する視点を得ること」なのだと思います。「気づきを得ること」と言い換えてもいいでしょう。そして、相対化する視点を得るためには、私は、次の3つが欠かせないと考えます。

①よその土地に移動すること

 住んでいる場所を離れて、他の場所に移動するということは、漫然と見るのではなく、意識的に外の世界を観たり、自分の内面を観るための視点を獲得したりするために不可欠の要素です。徒歩や交通での移動によって物理的に日常生活圏を離れることで、日常と非日常の差異が際立つようになり、ものごとを相対的に観ることが可能になります。旅先でリラックスして、リフレッシュできるのも、非日常から自らの日常を相対化できるからに他なりません。

 哲学者の三木清も『人生論ノート』の中で同じように述べています。

 旅は習慣的になった生活形式から脱け出ることであり、かやうにして我々は多かれ少かれ新しくなった眼をもつて物を見ることができるようになっており、そのためにまた我々は物において多かれ少かれ新しいものを発見することができるようになつている。

②その土地の地域資源に触れること

 観光とは、「その国の光を観る」ことに語源があると言われています。今で言うなれば、「光」とは、その土地の文化財や美しい自然環境などの地域資源です。その土地の地域資源に触れること(直接体験すること)は、それぞれが多様であることを具体的、体験的に知ることにつながります。ひいては、自文化への理解も深まり、自身が住む地域資源の価値にも気づくきっかけにもなるでしょう。でも、ただ土地の光を観るだけでは、少し物足りなさを感じます。そこに「住民とのかかわり」という目線も加えてみましょう。

③土地に暮らす人々と話をすること

 その土地の地域資源と住民とのかかわりを知るためには、土地に暮らす人々と話をしてみる必要があります。地域資源は、土地の人々にとっての誇り、愛着、記憶に関わる対象であることが多いです。彼らにとってのアイデンティティや精神性にまで触れることができるかもしれません。地域の人々と同じ目線で話を聞くことで、彼らのものの見方や考え方を知ることができるでしょう。その人の立場から世界を眺めてみることで、今までとは違った見方が出来たり、自分の立ち位置もよく見えてくるでしょう。人と人が交差する。人生の時間においてはほんの些細な時間ですが、それが大きな意味をもってくることもあるかも知れません。

 作家の角田光代は旅の効用について次のように述べています。

 私の知っている「今」以外に今があり、「ここ」以外にここがあり、私のいる世界以外に世界があり、さらに、私のよく知っている以外の「私」がいる、と身を持って知ることができる(角田, 2020)。

 これもまさに相対化する視点を得たからこそ、知り得る事実なのだと思います。