旅と、旅行と、観光と。3つの定義。
観光の研究をしていると、旅と、旅行と、観光という言葉をどう使い分けるかについて悩むことがあります。学術論文を書く上では、概念の定義は非常に重要なのですが、観光学においても、これらの3つの言葉をどう使い分けるべきかということについて、研究者間での共通認識があるわけでもありません。このような事情から、ここで3つの言葉の違いについて、考えてみたいと思います。
国語辞典を引いてみる
手はじめに、手元にある国語辞典で3つの語句を引いてみました。まずは岩波書店『広辞苑』(第六版)。
【旅】住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと。旅行。
【旅行】徒歩または交通機関によって、おもに観光・慰安などの目的で、他の地方に行くこと。たびをすること。
【観光】他の土地を視察すること。また、その風光などを見物すること。
次に、同じ岩波書店の『岩波国語辞典』(第七版 新版)を見てみましょう。
【旅】自宅を離れてよその土地へ行くこと。旅行。
【旅行】よその土地へ行くこと。たび。
【観光】他国・他郷の風光・景色を見物すること。
では、三省堂『スーパー大辞林3.0』ではどうでしょう。
【旅】住んでいる所を離れてよその土地へ出かけること。名所旧跡を訪れたり、未知の場所にあこがれて、また遠方への所用のため、居所を離れること。旅行。
【旅行】見物・保養・調査などのため、居所を離れてよその土地へ行くこと。旅をすること。たび。
【観光】他国・他郷を訪れ、景色・風物・史跡などを見て歩くこと。
同じく三省堂の『新明解国語辞典』(第七版)を見てみると。
【旅】①判で押したような毎日の生活の枠からある期間離れて、ほかの土地で非日常的な生活を送り迎えること。②差し当たっての用事のために遠隔地に赴くこと。
【旅行】ふだん生活している所からしばらく離れて、遠隔地へ赴くこと。
【観光】日常の生活から離れて、ふだん接する機会の無い土地の風景や名所などを見物すること。
オンライン辞書の小学館『デジタル大辞泉』ではどうでしょう。
【旅】①住んでいる所を離れて、よその土地を訪ねること。旅行。②自宅を離れて臨時に他所にいること。
【旅行】家を離れて他の土地へ行くこと。旅をすること。たび。
【観光】他の国や地方の風景・史跡・風物などを見物すること。近年は、娯楽や保養のため余暇時間に日常生活圏を離れて行うスポーツ・学習・交流・遊覧などの多様な活動をいう。
調べついでに子ども向けの『新レインボー小学国語辞典』(改訂第5版)も見てみました。
【旅】自分の家をはなれて、とまりがけで、一時よその土地へ行くこと。
【旅行】旅に出ること。
【観光】美しいけいしきや名所などを見物してまわること。
複数の国語辞典を調べた結果、「旅」には、①住んでいる所を離れて、よその土地へ出かけること、②住んでいる所を離れるのは、一時的(臨時)であること、③住んでいる所からある程度離れた土地に出かけること、といった意味が含まれています。
そして「旅行」は、「旅」という語句がもつ意味に、観光・慰安・見物・調査などの目的が加わったものと言えるでしょうか。ただし、「旅」と「旅行」の相違はそれほど明確ではなく、辞書的には同義と言う方が正しいかも知れません。
「観光」は、訪れた土地の景色・名所・史跡などを見物するといった見聞の意味合いが強いようです。ちなみに「見物」を各辞書で引いてみると、「名所や催し物を見て楽しむ」という内容で概ね共通していたことから、「観光」には、見て楽しむという要素も含まれています。
観光政策を担う組織では
国の観光政策に関する基本方針を示した観光基本法(1963年制定)にもとづいて設置された観光政策審議会(1970)は、『観光の現代的意義とその方向 : 内閣総理大臣諮問第9号に対する観光政策審議会答申』(内閣総理大臣官房審議室, 1970)の中で、観光を次のように定義しています。
【観光】自己の自由時間(=余暇)の中で、鑑賞、知識、体験、活動、休養、参加、精神の鼓舞等、生活の変化を求める人間の基本的欲求を充足するための行為(レクリエーション)のうち、日常生活圏を離れて異なった自然、文化等の環境のもとで行おうとする一連の行動。
その後、観光政策審議会は、『今後の観光政策の基本的な方向について』(運輸省運輸政策局観光部・観光行政研究会, 1995)と題された諮問に対する答申において、観光の定義を次のように変更しています。
【観光】余暇時間の中で、日常生活圏を離れて行う様々な活動であって、触れ合い、学び、遊ぶということを目的とするもの。
では、観光の統計を扱うような組織では、どのように定義されているのでしょうか。たとえば、国道交通省観光庁が実施している『旅行・観光消費動向調査』や『共通基準による観光入込客統計』があります。それらを見てみましょう。
『旅行・観光消費動向調査』では、「旅行」は「国内宿泊旅行」と「国内日帰り旅行」、「海外旅行」に区分され、さらにその目的によって、「観光・レクリエーション旅行」、「帰省・知人訪問・結婚式・葬式等への参加」、「出張・業務旅行」に分けられています。そして、「旅行」は次のように定義されています。なお、ここでいう「旅行」は、『旅行・観光サテライト勘定』(UNWTO:国連世界観光機関の国際基準に基づく観光の経済効果・雇用効果に関する統計)の「観光」と同義とされています。
【旅行】出かけた先における活動内容に関わらず、日常生活圏を離れたところに出かけることをいう。目安として片道の移動距離が 80km 以上または宿泊を伴うか所要時間(移動時間と滞在時間の合計)が 8 時間以上のものをいう。ただし、交通機関の乗務、通勤や通学、転居のための片道移動、出稼ぎ、1年を超える滞在を除く。
また、観光庁による『共通基準による観光入込客統計』では、「観光」は次のように定義されています。この定義はUNWTO(国連世界観光機関)のTourismの定義が採用されているものと思われます。
【観光】余暇、ビジネス、その他の目的のため、日常生活圏を離れ、継続して1年を超えない期間の旅行をし、また滞在する人々の諸活動。
観光政策審議会の定義では、「観光」には、①余暇時間で、②日常生活圏を離れて行われる、③楽しみを目的とした活動といった要素が含まれ、辞書的な意味での「観光」からは拡大解釈されていることが分かります。また、観光庁の統計では、「観光=旅行」と扱われていることから、帰省やビジネスといった楽しみを目的とはしない移動であっても、「観光」に含まれてきます。どうも整理がつきません。
観光学の専門書では
では、学術書ではどうでしょうか。日本観光研究学会による『観光学全集』の第1巻において、溝尾(2009)は、国内外の定義を参考にしながら、「ツーリズム」という概念について次のように述べています。
【ツーリズム】広義には「通勤・通学以外のすべての旅行がツーリズム」であり、ツーリズムには、①自宅・職場と関係のない地域への一時的な移動、②その目的地での活動、③目的地において旅行者の欲求を満たす施設・事業体、以上3つの意味がある。
つまり、ツーリズムという概念は、日本語の「旅行」に近いと言えるのですが、実際のところ、ツーリズムの訳語としては、「観光」があてがわれることが一般的です。このことが、概念の混乱をもたらしている要因なのかも知れません。ツーリズムを観光と同義とすることについては溝尾(2009)に加え、前田(1995)も疑義を呈しています。
日本国際観光学会による『観光学大事典』で、安村(2007)は、「観光の完全な定義も現状では提示できない。むしろ、観光の完璧な定義は、観光学の最終的な目標とさえいえる」とした上で、「観光」の概念は、「楽しみを求めての移動」、「ホストとゲストの交流」、「観光事業」という3つの視点から捉えられるとしています。さらに、「観光」、「旅行」、「旅」の言葉の異同については、次のように説明されています。
【旅行】個人ないしは集団が主に交通手段を用いて空間を移動すること。日常的にしばしば観光とほとんど同義に用いられる。
【観光】「見物」ないしは「楽しみ」を目的とする旅行。
【旅】旅行とほぼ同義。「旅行」が、楽な空間移動なのに対して、「旅」には苦労を伴う空間移動というニュアンスがある。旅は、多くの困難な環境の中で長距離を徒歩で移動するような伝統的な空間移動を想起させる。それに対して、旅行はきわめて近代的な空間移動といえる。
また、『観光旅行の心理学』と『観光の社会心理学』の中で、佐々木(2006, 2007)は、「旅行=日常生活圏を離れて外部の地域に移動すること」とした上で、観光を次のように説明しています。
【観光】旅行に、①移動は一時的(↔永続的)であること、②意思決定が自由裁量(↔強制)にもとづくこと、③移動が周回的・往復的(↔一方向的)であること、④旅行それ自体が目的(↔別の目的)であること、⑤触れ合い、学び、遊ぶといった目的であること、といった条件が全て当てはまる行動。さらに観光は、⑥移動距離が比較的長く(↔比較的短い)、⑦宿泊を伴う(↔日帰り)という条件によって「観光旅行」か「行楽」に分類できる。
旅と旅行のイメージの相違
国語辞典では、「旅」と「旅行」は同義として扱われるようでしたが、先に紹介した『観光学大事典』において、「旅行」は楽、「旅」は苦という相違についての指摘がありました。このような「旅」と「旅行」の概念的相違については、古くは民俗学者の柳田国男(1927)が『旅行の進歩および退歩』の中で次のように述べています。
旅はういものつらいものであった。以前は辛抱であり努力であった。その努力が大きければ大きいほど、より大なる動機または決意がなくてはならぬ。だから昔に遡るにつれて、旅行の目的は限局せられている。楽しみのために旅行をするようになったのは、全く新文化のお陰である。
白幡(1996)も『旅行ノススメ』の中で、旅と旅行は、たんなる表現の違いをこえて、本質的に異なるものとみなした方がよいとしています。
「旅」は、苦行であるが、目的は別(人生の深い意味を考えるなど)にあり、旅行はそれそのものが目的になるような移動である。「旅行」には、明るく楽しいイメージが結びついている。「旅行」は、移動に際しての無用な苦労や危険が取り除かれてできあがるものであり、交通機関の発達や交通網の充実、そして宿泊設備・宿泊業の隆盛があって成立する。
難波・小平・久木山・布施(2003)は、「旅」と「旅行」という言葉から、一般的にはそれぞれからどのような心理状態や行動がイメージされているのかについて調査しています。その結果、「旅」は、新しい経験を通して自己探求・成長を図るものであり、無計画・無目的な行動でかつ少人数で行われるものとしてイメージされていること、一方の「旅行」は、友人などとの交流を通して楽しむものであり、計画的で目的が明確であり、かつ多人数で行われることがイメージされる傾向にあることを明らかにています。
出せない結論を出すならば
ここまで旅と、旅行と、観光という3つの言葉の定義について考えてきました。あえて結論を出すとすれば、次のようになるでしょう。「旅」と「旅行」は、客観的に把握が可能な行動であり、「観光」には、目的とか動機の意味合いが色濃く含まれています。
【旅行】交通機関を利用し、居住地から一時的に他の場所に出向き、宿泊して帰ってくること。
【旅】基本的には「旅行」と同義であるが、人間形成につながるような旅行が「旅」と呼ばれる。
【観光】旅行先で楽しむために行われる活動であり、具体的には保養、名所見物、親睦、交流などの活動。