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『自分とか、ないから。ーー教養としての東洋哲学』(しんめいP著、鎌田東二監修、サンクチュアリ出版)

読了日: 2024/12/5

 “東洋哲学”なるものに初めて触れました(読みました)。東洋哲学とは概ね仏教の教え、あるいはテーゼをいうものなのでしょうか。
 ブッダ、龍樹、老子・荘子、達磨、親鸞を経て空海(天才)に至ります。空海=天才の図式は本書では湯川秀樹の言説を用いていますが、小生は夢枕獏(『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』)から得ました。
 離職、離婚、挫折などから引きこもった著者が東洋哲学によって復帰したというプロセスがストーリーの背景となっています。
 確かに西洋哲学が個人の生き方にうまく働くかといえば距離があるようにも思えます。西洋哲学(大陸哲学?)では、デカルト以降実在論(あるいは、カント以降でしょうか?もしくは、もっと以前からあるテーマかもしれません…)が中心のように思えます。それ(ら)は、個人の生き方にダイレクトに響くものではないように感じます。ただし、國分功一郎は研究対象であるスピノザを用いて”生き方”に関する本を上梓しています(たとえば『暇と退屈の倫理学』、『中動態の世界』など)。
 哲学書のオリジナル(哲学者が書き上げた書物)は読みづらく、國分功一郎のような仕事が理解を進めてくれます。また、仏教の教え自体も咀嚼して自身に取り込むには苦労すると思われますので、本書のように解釈をもって伝えるくれる仕事は、哲学(あるいは教え)を上手く取り込めるように感じました。
 ”虚無感”、”自分とは”などのテーマは、いずれの読者にもある程度は共通するものとは思います。ですがややテーマが大きすぎるとも思えます。同時にテーマの大きさが好セールスに結びついているとも考えられますが。本書はnoteへの投稿がもとになって書籍化されたもののようです。


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