右のクツを擦ると左のクツも擦りたくなるってことが幸せになれないってこと?
歩いていると靴を地面に「ズッ」と擦ってしまうことがある。
こうなると逆の靴も同じ様に擦りたくなってしまう。
右の外側の踵を強めに擦ってしまったら、左の外側の踵を同じ強さで擦りたくなるのだ。
ここまではまだいいのだけれど、この時左の方が少し強く擦ってしまうと、強く擦ってしまった分だけ、また逆足の同じ場所を擦らなければいけなくなる。
で!その時違う場所を擦ってしまうと、また左で同じことをしなければいけなくなる。こうなると歩きながらだと難しくなるので一度立ち止まって調整することになる。
まあ、ここまで細かくなることはあまりないのだけれども、こういう変なこだわりがいくつかある。みんなもあるのかなと思って、【変なこだわり】で検索すると
【変なこだわり】 やめたい、病気、障害
と複数でてきたので、えっ?と思い調べてみると、強迫性障害という病気かも?とのことだった。さらに調べてみると、いくつか項目があってめちゃくちゃ当てはまっていたけど、こんなん誰でも多少はあるよな?ということばかりだった。
要は、そこに対しての執着度の問題なんだろうけど、興味があったのは『セロトニンの働きが弱いのではないかと考えられている』ということだった。セロトニンと言えば、幸せホルモンって言われてて、精神の安定や安心感や平常心を感じさせたり、睡眠のメラトニンの原料的なホルモンとのこと。
≪変なこだわりが強い=幸せではない≫ってことなの???
と思ったけれど、不幸だと思ってないし、むしろ幸せな方だろうな、とも思う。けど、確かに精神的につらかった時は、そういうこだわりがかなりあったし、こだわりに「拘っていた」気がする。
電車のつり革が触れなかったし、横断歩道の白線をあるかないと不幸になると思っていたし、駅のホームや横断歩道の赤信号の時は「後ろから誰かが押すかも」「間違えてこっちに車が突進してくるかも」と思って前に立てなかった。
今でもあるのだけれども、今は押されても前に行かないように足に力入れたり、「押すなよ押すなよ」とダチョウ倶楽部みたいなフラグを立ててる自分を心の中で笑っていたりする。
つり革を触っても「あーあ!触っちゃった。こーわぁい!」って謎のテンションになるだけだったりする。
幸せだからそう思えるのか、そう思える状態だから幸せなのか、よくわからないけど、漠然とした不安に対してある程度完結できるかどうかがポイントなのかな?と思ったりする。
ゴキブリが怖い理由も「こいつ急に飛んでくるからな」とか汚いって認識されているゴキブリが何してくるか分からないから怖いのでは??飛んできてもいいように、防護服で身を包み「おっ?やってやんよ?」という気持ちでいたら大丈夫なのでは!!?
そうか!つまり【ゴキブリの強迫性理論】だ。
ゴキブリが怖いって思うことは、セロトニンが足りていないってことか!
って自分が凄い発見をしてしまったみたいにウキウキしていたら、右足の靴を擦ってしまって、左足が【ゴキブリの強迫性理論】に囚われるのだった。
ゴキブリが怖くなくなるくらいセロトニンでてくれ。
トップ画お借りしました。
ia19200102 さん
有難うございます。
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