見出し画像

2013年、人を不快にする天才といわれた時代②


2013年、11年前。
僕は、ある会社で働いていた。そして、その昼休みにその会社から、そして社会から逃げた。その時のことは下記の記事を見て欲しいです。

1週間くらい漫画喫茶を渡り歩いていた。
最初はとにかく頭が真っ白だったけど、2,3日たって落ち着いてきたら、
「どうやって会社に謝りに行こうか」「これからどうやって生きていこう」
「謝りに行く前に見つかったらどうしよう」ということがグルグル回っていた。

漫画でも見たら気持ちがかわって何か良い考えが生まれるかと思い、読み始めてみても、全く頭に入ってこなかった。とにかくドリンクバーを飲みまくり、ソフトクリームを綺麗につくることを繰り返しをしていた。

4日くらいして携帯の電源をつけると沢山の着信履歴とメールが来ていた。
会社からの留守番電話も何件か入っていたので恐る恐る聞いてみると、心配しているから連絡が欲しい、というものと、ふざけんな見つけて殺すという内容のものだった。同一人物からのものだったけど、あまりもの変化に怖くなって全部削除してしまった。

あとは、母親と当時付き合っていた彼女からのメールが大量に来ていた。母親からはとにかく心配だから、生きているかだけでも連絡が欲しいと言う内容で、彼女からはなんの変哲もない「今日はこういうことがあった」「このお店のこれがおいしかったよ」「これ作って冷蔵庫いれたから食べてね」という内容のものだった。

この言葉にとても救われた。普通でいてくれることの有難さと、それができることの人間性を感じた。けど、だからこそ「こんな駄目な自分が返信する価値なんてない」と思って、それすら返信が出来なかった。理解できない人もいると思うけど、理解しなくてよいことな気もする。

ただ、味方でいてくれる人がいるということは、とても安心ができた。別れてしまったけど、いまでも素敵な女性だったと思うし、感謝している。

そんなこんなで一週間が経とうとしていた。会社に謝りにいかなきゃという思いも出てきた。親と彼女のお蔭で、心にゆとりが出来てきたんだと思う。まずは一度家に帰ろうと、逃亡生活の様な漫画喫茶生活をやめようとしていた。

それでも頭の中で響き渡っていたのは、
「お前なんか生きている価値が無いから早く死ね」
という言葉だった。

今でも、頭の隅っこに黒く塗りつぶされた部分にこの言葉があるのを感じることがある。


画像はhttps://note.com/2399  ましーんぶくおさんのを引用させてもらいました。有難うございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?