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「スノーフレーク」第23話
子どもの頃の私にとって安心感をもたらしてくれる大人は母だけだった。母がいなければ生きていけないと本気で思っていた。
母は私のことを見てくれていた。母も私も口数が多い方ではないから何を話すわけでもないけれど同じ空間にいることが安らぎだった。一緒にテレビを見たり、あやとりをしたり折り紙をしたり、私が塗り絵しているところを黙って側で見てくれたりもした。母からの愛情をたくさんもらった。
母は祖母とは対照的で、忍耐強く絶対に感情任せの言葉を言わない。祖母に何度小言を言われようと文句を言わずに家事の一切をしていた。
料理や掃除をしなければならず私の側にいられない時でも、私が「お母さーん」と呼ぶといつも自分の手を止めて私のほうに「どうした?」と言って寄ってきてくれた。
それに私は体が弱く、しょっちゅう発熱を伴う風邪をひいたり喘息の発作を起こしたり感染症に罹患したりした。
特に喘息は厄介で、発作が起こらないでほしいと願う夜中や朝方、休日など病院が通常診療していないときに限って起こる。夜中に「ぜぇぜぇ…ぜぇぜぇ…」と呼吸がしんどくなり夜間救急で診てもらうことも日常茶飯事だった。
病院から帰宅するといつものように祖母が居間でタバコを吸っている。祖母はカートンケースでタバコを買いこむヘビースモーカーだ。昼夜問わずお酒を飲みながら居間や床の間など自分が過ごす部屋で思う存分タバコを吸う。
「前からお伝えしていますけど、お医者さんからタバコの煙は喘息に良くないので家の外でするようにと言われています。」母が伝えるこの言葉を耳にタコができるくらい聞いている。
「ん?」祖母が年甲斐もなく不貞腐れた顔でこちらを見て煙を吐く。祖母にとって至福のひと時を邪魔され、苦虫をつぶしたような顔をして私を見ている。
「前も言いましたけど、マツさんもタバコを吸うときは外でお願いします。」母が毅然とした態度で伝える。
祖母は眉間に皺を寄せ「ここは私の家なのに面倒だね。まったく体の弱い子どもは手がかかって仕方ないね。」と、厄介なものを見るように私を見つめ、そくさと自分の部屋へ去った。去り際の後ろ姿からは体の弱い子どもは手がかかる、面倒事には関わらないという強い意志を感じる。
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私が幼稚園を卒園するまでの我が家はお金に不自由のない暮らしをしていた。しかし小学校に上がる頃、我が家は経済的余裕がなくなった。
父が二十代から抱えていた持病の心の病が再発し瞬く間に悪化した。父が働けない状態になり、やむを得ず退職する運びとなった。
とはいえ高卒から二十年以上国家公務員として働いていて父にはまとまった退職金が支払われた。けれどその退職金さえも祖母が自分のためにあっという間に使い果たした。
父の退職金を使い祖母は我が家の小屋を自分用の部屋に改装した。それからは主にその部屋で過ごし、思う存分タバコを吸い、ご飯は食べにくるという二世帯住宅に近いスタイルになった。
そんな祖母から一度も私の名前を呼ばれたことがない。もちろん会話もなく、おはようからおやすみまでの何かしらのあいさつを交わすこともない。
父が退職したからといって祖母がその豪遊ぶりを改めることはなく、父の退職金はあっという間に底をついた。父は基本的に祖母にたてつくことなく、口答えすることなく、祖母の言いなりになっていた。それを良いことに祖母は自分の気が済むまで豪遊を愉しんだ。
そして父の口癖は「お金なんてない」になった。
それからは子どもながらにお金のことを心配する日々が始まった。
精神的にも経済的にも頼れないという思いが染みついた。祖父は若くして他界していて、私は遺影の祖父しかしらない。そういった事情もあり、祖母や七つ年の離れた弟がいたから、父の収入があてにされていたようだった。父は祖母の言いなりの人生だったようだ。