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「スノーフレーク」第24話
父はその後紆余曲折あり最終的に自営業に落ち着いた。
それからは就業時間という概念がなくなったように思う。仕事があったり、なかったり。仕事の依頼が来ても体調が芳しくないときは依頼を断らざるを得ないこともあった。
家で横になって過ごす時間が多くなったけれど父の頭の中はちっとも休めていないようだった。夜もゆっくり寝られず慢性的な寝不足の状態だった。
思いつめたように天井をただ見つめていたり、殺気立つほどイライラしていたり、感情の波が忙しそうだった。
男性だからとか、夫が一家の大黒柱として働いて家庭を支えるべきという社会の風潮があり、家に居ても肩身の狭い思いを抱えて、休めなかったと思う。
心の痛みは外傷や風邪のように、目で見て、痛そう辛そうとダイレクトに感じることができない。だから本当の心の葛藤や苦しみは本人にしか分からない。風邪で辛そうと思う状況とは違う。
私の目の前ですごく苦しんでいるとしても、それがときに暴言という形で現れると、途端に寄り添いたくないと思ってしまう。それどころか自己防衛に走らざるを得ない場合もある。
心の病は長い目で見なければならないけれど治療期間中常に調子が悪いわけではない。調子が良いときの父はしっかり「父親」で自分より子どもを優先してくれる優しさがあった。父のことを悪者にしたくなかった。父のことで大変だと、父を傷つけるような言葉を言いたくなかった。何より一般的な家庭と違うということを認めたくなかった。
それに一家庭内のことだからその状況を普通とは違うと決める決定的な判断材料がなく、こういうものなのだと思って折り合いをつけて過ごした。だから社会に向けて支援を求めることもなかった。
母が父の機嫌を窺いながら暮らしていることはもちろん察していたし誰にも言われていないけれど私にとってもそれに倣って過ごすことが当たり前だった。
母にこれ以上の苦労や心配をかけたくないと思っていたのに幼稚な私は、母にしか自分の感情をぶつけられずに大好きな母のことを傷つけたことがたくさんある。どうしようもないやり場のない気持ちがこみあげてきては、本当は祖母や父に意見として伝えなければいけないことなのに怒りの感情として母に当たってしまったことは数知れない。
きっかけは本当に些細なことだ。クラスメイトの会話やたまたま見たテレビ番組だったり。テストで良い点数をとったからご褒美にゲームを買ってもらったとか、夕飯は自分の大好物を作ってもらったとか。些細なことだけれどそこには必ず家族の中心に子どもがいることを見せつけられ、私の感情は揺れ動かされる。
そんな家庭を羨ましく思っては、他所とは違うのだと言い聞かせるけれど自分の中だけで消化できず、次第に悲しくなって、最後には怒りの感情に変わる。