アンフォールドザワールド 17
17
イチゴは姿勢を正して、私のことを見つめる。
「きずな、よく聞いて」
「おう」
「今からきずなの意識を、元いた世界に送り返す。おそらく、動ける時間は一瞬しかない」
「私はいま、ナニガシの中にいるんだろ?」
「そうだよ。きずなの体に意識が戻ったら、しっかりと目を開いてよく見るんだ。目の前にナニガシの心臓があるはず」
「うん」
私は、イチゴの言葉を少しも聞き漏らさないようしていた。
「目を開いて、ナニガシの心臓を攻撃しろ。あとは俺がなんとかする」
「わかった! 簡単じゃん!」
「簡単だといいけど」
私の返事に、イチゴは苦笑する。
「立って、きずな」
「うん」
イチゴが立ち上がったので、私もそれに従う。
「もう少しそばにきて、それから俺の背中に手を回して」
「ん」
イチゴが両手を広げる。私は彼に密着し、両手を背中に回す。イチゴはそのまま、私のことをそっと抱きしめる。
「うん、いいね」
「……これ、なんかの儀式?」
「ううん、単なる愛情表現」
「なんだとおっ!?」
素直に騙された私を見て、イチゴは笑いを堪え口元を抑える。
「じゃあ、ほんとに行くよ。覚悟はいい?」
「いいってゆってるだろ、早くしろよ!」
イチゴはもう不安そうではなかった。いつもの、無駄に自信ありげな表情。
どぅん!
唐突に、痛みや不快感が戻ってくる。体が自由にならない。私はイチゴの言葉を思い出し、両目を開く。
視界は濁っていた。汚れた水の中で目を開いているみたいに、眼球がひりひりする。呼吸ができない。
――心臓!
確信は持てないけれど、私の斜め前で不気味に脈動する、赤黒い塊がある。あれがナニガシの心臓なのだろう。息が苦しい。右手にノートを握っている感覚があるのを確認する。
――手……、動けっ!
ナニガシの肉塊を掻き分けながら、私はメガホン型に丸められたノートを顔の前に持っていく。
ノートが口元にきているのか自信がなかった。もう息が続かず、声が出るような気もしなかった。だけど、このままだと確実に窒息死する。いやだ、私はまだ死にたくない。私は、私は、
「私は帰るんだあああああっ!!」
全身に衝撃を感じる。ナニガシの中心から背中に向けて、光弾が突き抜ける。それから落ちていく感覚。ナニガシはいま、どのくらいの高さを飛んでいたのだろう。もしかして、結局墜落して死ぬんじゃね?
「きずなっ!!」
ナニガシの胸を、イチゴが短刀で切り開く。刃先のカーブした、水色の刃が陽に照らされる。私はイチゴに引きずり出され、抱き上げられる。ナニガシは、青紫川の上に墜落していた。
「うわああああああんっ、イチゴおおおおおっ!」
「よくがんばったね」
巨大ナニガシが、川に沈没していく。
「イチゴー! 早くしないとナニガシ死んじゃう! てゆうか、沈んじゃう!」
フータが川岸から大声を上げる。
「きずな、ちょっと待っててね」
イチゴがナニガシの上をジャンプして、私を川岸まで連れて行ってくれる。ほのかとちかこが私の元へ駆け寄ってくる。
「きずなちゃん! きずなちゃん!!」
「大丈夫ですか、きずな先輩」
「だいじょ……、がはっ、がはっ」
ナニガシの肉塊を吐き出しているのを気に留めず、ほのかが私のことを抱きしめる。そして、その姿をちかこは動画に収めている。
「ナニガシ、てめえ……」
沈みゆく巨大ナニガシの上を、イチゴは悠々と歩いていく。
「きずなを泣かしていいのは、俺だけなんだよっ!!」
大声でそう叫びながら、イチゴは短刀を振り下ろそうとする。
「だから、とどめをさしてどうする!」
川岸からミッチが銃弾を発射し、イチゴの短刀を弾き飛ばす。フータがナニガシの上を駆け、イチゴを捕まえる。
「フータどけっ、こいつ殺す! まじで殺す!」
「わあー、イチゴがキレたー。めんどくさーい、ちょうめんどくさーい」
「仕方がないな。後始末は俺たちでやろう」
青紫川の上で揉めている三人を、私たちは呆然と見ていた。野次馬に混じっていつの間にか、マスコミのカメラやヘリコプターまで出動している。
「きずな先輩を泣かしていいのは俺だけだとか言っていますが」
「えー、きずなちゃん、いつの間にイチゴくんとそういう……」
「ニャー」
「そういう関係じゃねーよ!」
ナニガシはほぼ、沈みかけていた。ミッチがナニガシに顔を寄せ、なにかを語りかける。
ごうっ、と風が吹いて、赤い光の塊がリバーサイドモールに戻っていく。破れていたはずの養生シートは、いつの間にか元に戻っていた。外から見た感じは、すっかり元通りだ。
「ナニガシ本体捕獲したよー。ハニカムユニバース壁内に転送じゅんびー」
「頼んだ」
フータとミッチが黒い塊を引きずり、川岸に上がってくる。イチゴは不服そうに、後ろでそれを眺めている。
「こんなに小さくなったのですね」
「本体はだいたいみんな、こんくらいかなー。今回は出現ポイントが大きかったから大変だったー」
「ナニガシの強度は出現ポイントのエネルギー量に依存するからな。あの建物には多くの期待が集まっていたんだろう」
ぴくぴくと蠢く黒い塊は、人間の子供くらいの大きさだった。フータがナニガシに向けて両手をかざすと、それは灰色の霧になって空に掻き消えた。
「もう一体のナニガシはどうなったんだ」
「ニャーン」
「私が仕留めました。あとでムービーを見ますか?」
「まじで? すげーなちかこ!」
「仕留めたといっても、致命傷を追わせたわけではないがな。こちらとしても、殺されては困る」
ミッチがちかこを横目で睨む。
「もし、ナニガシが死んだら、あのキリンの赤ちゃんはどうなってたんだ?」
「生まれることができないか、もしくは抜け殻のような生き物が生まれるか、だな」
「そうなんだー。よかったー、キリンの赤ちゃんが無事で」
「ニャー」
ほのかの言葉に、黒猫が同意するように鳴き声を上げる。
「は? 猫?」
ほのかの足元には、いつの間にか黒猫が擦り寄っていた。
「ほのか先輩、その黒猫はなんですか?」
「えー、みんなが化物と戦っている最中、ずっと私のそばにいたよ? 怖いのかなーって思って抱っこしてたけど」
「そいつ……、ナニガシじゃない?」
フータの言葉を理解したかのように、黒猫はほのかの後ろに隠れた。
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銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE
2016年から活動しているセルパブSF雑誌『銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE』のnote版です。
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