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アンフォールドザワールド・アンリミテッド 7

 なんとなく憂鬱な気分のまま家に帰り、ベッドの上に学生カバンを放り投げる。
「ニャッ!」
 叫ぶような鳴き声がして、掛け布団の下から黒猫が飛び出してくる。
「おまえ、猫型ナニガシじゃないか。なんでうちにいるんだ」
「ニャーン」
 赤い瞳とぎざぎざしたしっぽの黒猫は、以前私のノートから出てきたナニガシだった。私の最高傑作になるはずだった、処女作品の構想が書かれたノート。そこから出現した猫型ナニガシは、私のノートがなくなってしまったために、元に戻すことができない。クラウドイーターたちには『ナニガシはできるだけ殺さない』という決まりがあるらしい。ノートが見つかるまで猫型ナニガシは、彼らの監視下にあったはずだ。
「おなかすいてるの? もしかしたら昨日からなにも食べてないとか」
「ニャーンニャーン!」
 イチゴたちが不在のあいだ、だれも世話をしていなかったのだろう。私は台所の冷蔵庫の中からこっそり、五本入りの魚肉ソーセージを取り出し、自分の部屋に持っていく。
「猫に人間の食べ物をあげちゃいけないとかきくけど、猫用のフードなんてうちにはないし」
「ニャー!」
 魚肉ソーセージを一本むいてあげると、黒猫は大喜びでそれに食いついた。そもそも猫ですらないはずだからまあいいか、などと思う。だけどこうして見ていると、ごく普通の猫に見える。かわいい。うちで飼いたいくらいだ。私は制服を脱ぎながら、彼の食事する姿を眺める。
「おまえは私の処女作のエネルギーだったんだぞ」
 痩せた背中をそっと撫でる。食事中の猫は少し迷惑そうに、だけど餌をもらったから我慢する、といった風情でおとなしくしている。思ったよりも毛が硬く、思ったよりも温かい。小さな体はエネルギーに満ちて脈動するようで、そのはかなさと強さを愛おしく思う。


「あっ、キズナニこんなところにいた!」
「うわあっ」
「あれ? きずなちゃん?」
 空中からいきなり、クラウドイーターが私の部屋に現れる。初めて会ったときと同じ、銀色のTシャツに銀色のズボン、それと水色の髪。
「ちょ、着替え中なんだぞ! えっと、フータ?」
「せいかーい。ここきずなちゃんの部屋だったんだ。着替え中にごめんね。それ下着?」
「タンクトップだけど……。まあ別にいいけど」
 なぜだか、フータならまあいいかと思えて、私は体を隠していた腕を解く。
「ごはんもらってたんだー、よかったねえキズナニ」
「ニャーン」
「なんだそのキズナニって」
「このナニガシの名前ー。きずなちゃんのノートから出てきたナニガシだから『キズナニ』だって。イチゴがつけたんだけど呼びにくいよねえ」
「呼びにくいな」
「自分でつけたくせに、呼びにくいからってゆって『キズナ』って呼んでるんだよ、イチゴ」
「うわあ、それは聞きたくなかった情報だ」
 寒気がしたので、クローゼットからパーカーを取り出し肩にかける。
「ほんと、イチゴって馬鹿だよね」
 キズナニを抱いたまま私のベッドに腰掛けるフータは、いつもより不機嫌そうに見えた。イチゴとはまだケンカしたままなのだろうか。でもそれよりも、もっと気になることがある。
「ねえ、フータ。ミッチはどうなったんだ」
「ミッチは……」
 黒猫の背を撫でながら、フータは言葉を探している。
「死んだってゆっても、こっちでの体が死んだだけなんだろ? なんとかなるんだろ?」
「ううん、正直いうと俺にもわからないんだ。俺たち三人はすごく離れたところに住んでいて、いつも『窓』で繋がってるから」
「わからない?」
「うん。ミッチの窓が閉じてしまって、連絡がつかないんだよ。一日経っても復旧しないし、本体が死んでる可能性もある」
「それ、すぐにでもミッチのところに行った方がいいんじゃ」
「そうなんだけどすぐに行ける距離じゃないし、もし生きてるのならなんとかして窓をこじ開けて連絡を……、きずなちゃん?」
「え?」
「大丈夫? きずなちゃん」
 フータに顔を覗き込まれる。さっきもちかこに同じことを尋ねられた。私がどうしたというのだろう。
「大丈夫ってなにが」
「手、震えてるよ。それと涙も」
「え?」
 自分の手を見ると、自覚がないのにまるで凍えるように震えていた。フータが私のまぶたをそっとぬぐう。親指が涙で濡れている。
「怖いよね。俺も怖い」
「私は別に怖くなんかないのに、なんで」
「怖くないの? 姿の見えないナニガシがまだ学校にいるかも知れないし、きずなちゃんたちは好餌を浴びているのに」
「そういやナニガシは私たちに引き寄せられるんだ。なんでだろう、全然なにも感じない」
「きずなちゃん、感情がサボってるんじゃない?」
「感情が、サボってる?」
「うーん、俺、むずかしいことよくわかんないけど、イチゴの世界に行ったり、死にかけたり、周囲ががらっと変わったり、大変だったからー。いちいち心が反応してたらもたないから、もう無理ーって感情がサボってるんじゃないかな」
「まじか。そういや私、ほのかに変わったって言われた。嫌われたのかも知れない」
「しょうがないと思う。ほのかちゃんもいつかわかってくれるよ」
 キズナニを膝に乗せたまま、フータが震える私の手を強く握る。私の心を見透かすように目の中を覗き込み、それから優しく微笑む。
「ねえ、きずなちゃん」
「お、おう」
「その赤いやつなに? 食べたことない。俺も食べたい」
 ベッドの端に置かれたままだった魚肉ソーセージを、フータが指し示す。私は拍子抜けして、五本入り魚肉ソーセージの残り四本全部をフータに軽く投げつけた。

8へつづく

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