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アンフォールドザワールド・アンリミテッド 1

 未来はまだ降ってない雨と同じで今ここに存在していないし、過去は流れていった下水のようにつまらないものだと思っていた。つまりはどちらも私にとって価値がないということ。だけどあの日以来少しだけ、私は過去に囚われている。魅力を失ってしまった私の最高傑作、それから死に対する恐怖。

 校内放送では軽快な音楽が流れていた。テンポの速いロック風の曲調と、キーの高い女の子の声。曲の終わりに合わせ、彼はマイクのスイッチを入れる。
「今日のリクエストは、安西くるる『光学迷彩☆イヤホンジャック』でしたー。安西くるるちゃんはネット界隈を中心に活動しているインディーズアイドルで、来月に新曲を引っさげてのメジャーデビューが決まっているそうです。楽しみですね。お昼の校内放送、パーソナリティーはイチゴ・クラウドイーターでしたっ」
 放送機器のスイッチを切って、イチゴ・クラウドイーターはドヤ顔で振り返る。制服のネクタイは少し緩められていて、シャツの一番上のボタンが一つ外されている。
「よくまあそんなにとうとうと喋れるもんだな」
「どうだった、俺の放送うまかった? きずな」
「うまいっていうか、聞いてて恥ずかしい」
「えー、ちゃんとネットラジオとか聞いて勉強したのにな」
 イチゴは特に気に病んでいる風でもなく、コンビニの袋からたまごのサンドイッチとジャスミンティーを取り出す。放送部の今日の放送当番は、私とイチゴだった。私たち二人は放送室の中央にある長机に、向かい合って座っている。
「このお茶おいしい。リアルララに似てる」
「リア……、なに?」
「俺の世界の飲み物。きずなも飲んだことあるはずだよ」
「ああ、あるかも」
 なんとなくその話を続けたくなくて言葉を濁す。忘れられるはずがなかった。ほんの二ヶ月前、私は死にかけたのだ。そしてイチゴに命を救われた。ここではない世界に連れて行かれて。
「きずなのお弁当に入ってるそれ、なに?」
「これ? プチトマト。たまごサンド一口と交換してやろうか」
「お、やったあ。プチトマト初体験。これって、皮は剥いて食べる?」
「ふつーはあんま剥かない」
 訳あって私たちの世界に居着いてしまったイチゴは、この世界にすっかり馴染んでいた。水色の髪と、水色の瞳以外は。

 放送室の鍵を閉めて、廊下を歩いていると、二年二組の女子がやってきてイチゴに声をかける。
「ミッチくん、ノート貸してくれてありがとう。助かったー!」
「どういたしまして。俺イチゴだけどね」
 イチゴは数学のノートを受け取り、そのまま持ち去ろうとする。教室の窓から数人の女子がイチゴのことを見ている。彼は微笑んで手を振る。
「ねえねえ、俺、モテてる?」
「ものめずらしいだけなんじゃないの。その目立つ髪の色とか、全く同じ顔が三人もいるところとか」
「この世界いいよね。女の子がいっぱいいるし。あー、きずなのノートが永久に見つからないといいのに」
「私のノートが見つからないと、ナニガシをもとに戻せないんだろ」
「でも、俺がミッションを終えて帰ったら、きずなが寂しがるし」
「決めつけるなあ」
 正直なところ、彼らが本当に帰ることになってしまったら寂しいかも知れない、などと思う。イチゴ・クラウドイーター、フータ・クラウドイーター、ミッチ・クラウドイーターの三人が、私たちの中学校に転校してきてから、私の住む世界は少しだけ変わった。毎日が、なにかの予感に満ちている。

「イチゴー! きんきゅうじたい!」
 廊下の向こうから、イチゴと同じ顔をした男子が走ってくる。ネクタイはしていなくて、ズボンの裾は脛が見えるくらいにロールアップされている。
「どうした、フータ」
「近隣のハニカムユニバース壁内からナニガシ一体離脱を検知。数日から数週間以内にこっちの世界に生まれてくるよ」
「一体か。ならそんな大変でもないだろ」
「そりゃまあそうだけど、ミッチが急いで放送室に来いって」
「なんでうちの放送室が、あんたたちのアジトみたいになってるんだ」
「放送室、なんでか居心地いいんだよねー。きずなちゃんも来る?」
「いや、もうすぐ五時間目始まるし」
 私の返事を待たずに、フータは走っていってしまう。イチゴもしぶしぶといった風情でそれについていく。教室に戻ると、窓際の席でほのかがプリンを食べていた。
「きずなちゃんおかえりー。あれ? イチゴくんは一緒じゃないの?」
「なんか、緊急事態とかで、フータと一緒にどっか行った」
「ふうん」
 昼休み終了のチャイムが鳴っても、私とほのかのあいだの席はあいたままだった。ほのかはプリンのカップを教室のゴミ箱に捨て、それからイチゴの机の上に腰掛ける。
「どうだった? イチゴくんと放送室にふたりきりでなにかあった?」
「別になにも」
「ふうーん」
「なんだその質問。なんでにやにやしてるんだよ、ほのか」
「別に。ただ、きずなちゃんちょっと感じが変わったなと思って」
「変わった? そうかな」
「うん、イチゴくんたちに会う前は『私は今を生きている!』ってヒトだったのに、なんだろう、なんて言えばいいのかなあ」
「なんだよ」
 ほのかはあごに手を当てて、少しだけ上をむいて考える。それからまた私のことを見下ろす。長い髪がさらりと揺れる。
「臆病に、なにかを守っているみたいな感じがする」
 そう言って微笑んだほのかの目だけが、笑っていない気がした。

 五時間目の授業が始まっても、イチゴは戻ってこなかった。私はノートのすみに落書きをしたりしながら、ほのかの言葉の意味を考えていた。
 認めたくないけれど、確かに私は少し変わったんじゃないかと思う。だけどそれは別に、イチゴのせいじゃない。いや、イチゴのせいといえばそうなんだけど、断じてほのかが想像しているような心境の変化ではない。
 あのときの出来事が、未だに夢だったように思えるけれど、私が死にかけたとき、私の意識は宇宙を飛んだ。たくさんの不思議な色の空を見た。死の覚悟は私にはなかった。それは当たり前のことだと思う。常に死の覚悟がある十四歳なんてあまりいない。あの時の感情が、今もまだ私の中に染み付いている。

2につづく

前作「アンフォールドザワールド」から読む

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2016年から活動しているセルパブSF雑誌『銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE』のnote版です。

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