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挑戦って言葉より検証してみたが楽々にできる

突然ですが、
昨日、初個展を終えました。

先日、個展を終えました。
って文字を読むと、

何年も表現するものを描き、グループ展をいくつも出し
自信がついてきて やろうかなって一般的には感じるかもしれません。

私は挑戦している

その言葉は

もがきながらも前に進む

目的や目標があって、なりたいイメージを描きながら前に進む

そんなイメージがあります。

個展ができたキッカケは
すごく軽々な感じに進みました。

実際、展示する絵はほとんどなく、
あ、やっていいんですかね。
やってみていいですか。

という感じでした。

個展の話が出たのも
2024年7月の初めで、スタートは9/13です。

しかも、父が8月のお盆初めに亡くなり、
その時点では元々出そうと思った絵は4点ほどしかありませんでした。

その後、精力的に描ききったのです という話を言いたい訳ではなく、
そんな話を書きたいわけではなく、

どんな状態でも、
どんなに無力でも
どんなに不幸でも

やってみます。

つまり検証してみます みたいな乗りで挑戦するって大事なんだ

ってことを伝えたいです。

やばい状況でも やります って決めると

どんな過程が起こるのか?

どんな過程を経験できるか?

知りたい!! って欲が大切かもしれないと思いました。

Mナノカモしれません。


Z世代の人をセラピーする機会が
この個展でありました。

若い人たちは、もっと柔軟に生きていると思っていたら
意外や、0 100の思考が多いんだと感じました。

挑戦するには成功したい。
かっこよくいたい。
完璧でいたい。

私は若い人たちに特に、
めちゃくちゃヘタレな状態でもどんどん挑戦してほしい って思いました。

いや、どんどん検証してほしい って思いました。

私はゲームはやりませんが、
ゲームだって、スイスイ敵を倒したらつまらないですよね。

くそー!
はあ?
マジムカつく!みたいな事多いですよね。

エキサイトするから面白いですよね。

私は7月の初めに個展のお話をいただいたのに
8月まで何もしていませんでした。

何故なら父が病気で入退院をしており、
母はいわゆる毒親で父を看たくないと言いますし、
実際、実家で母は父を介護していない状態でありました。

この話は割愛しますが、

そのような複雑な状態があまりに恐ろしかったのですが、
とことん、恐怖でガタガタ震えていた自分に寄り添い、

今、ここで父と母と本当のコミュニケーションを取りたい!

とるぞ。  と決めたのです。

個展と同じく、やるぞ。と決める。

毒親の母。
病気の父。
離れた土地で仕事をしている私。


そんな絶望的な状態でも
決めるって選択が大事だと思いました。

結果、
父と母をセラピーし本当の気持ちを各々感じ切り、
3人の本当のコミュニケーションは取れました。


その1ヶ月も経たない内に父はこの世を去りました。


亡くなったことは悲しいですが、
コミュニケーションを取れないまま逝ってしまっていたら
どれだけ後悔したことでしょう。

コミュニケーションをとるぞ。と決めてから
私は自分とキスするくらい自分との対話を徹底的にしていました。

ここでも検証をしていたのです。

挑戦ではないのです。

自分と対話をすると何が起こるのだろうか。。。

そしたらば、決めたことが叶ったのです。

書いていて思ったのですが、

1人が決めたことで、1人の中で徹底的に自己対話をする。

そうすると相手も鏡のように、
または俯瞰で見ているように
自己対話をした者に
引っ張られるのではないでしょうか。

同じように自分を見つめ始めるのです。


話を個展に戻しますと、、

父が亡くなって
私は様々に襲ってくる感情と向き合いました。
向き合うことを止めることはしませんでした。

もはや、いちいち感じきることが習慣になっていました。

全く描けてない状態からスタート。
あと、2週間しかありません。

苦しく、苦しく
なんだ?
キャンバスに色が埋まらない。
色が難しい。
画家の人ってなんて大変なんだ!
こんな職業の人はイカれてる!!(ごめんなさい。。)

ほぼ、投げやりになり、
こんな下手でも、もういいさ。
時に全て白に塗り直し
生み出す恐ろしさを感じました。

ある人がこういいました。

投げやりの作品の何がいけないの?
それが表現じゃないですか。

自信のないまま、緊張した面持ちでスタート。

長くなりましたので、
投稿を分けたいと思います。

長文にも関わらず読んでいただき
ありがとうございます。

宜しければまた続きも読んでくださいね。




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