挑戦って言葉より検証してみたが楽々にできる No.2
続きになります。
このお話は
カフェ個展での素晴らしい過程のお話になります。
個展の初日。
千葉の船橋から遠い横浜の元町まで満員電車の中、
どでかいスーツで出発しました。
私は緊張した面持ちでした。
投げやりに描いた絵。
友達を想って描いた絵。
楽しく描けた絵。
悲しい絵。
全部で15点。
家族にはあまり評価されなく、
少し自信を失っていました。
この個展で何が起こるだろう。
作品一点くらいは買ってくれるといいな。
作品はチラッと見てみんなコーヒー飲んで帰っていくかもしれない。
あとで、ほらね、やっぱりな!だって下手だもん。。
って言い訳している自分がいました。
z世代の、会社員をしないと決めた息子に動画作成を報酬ありで依頼し
連れて行きました。
確信はないけれど、母の無様なところを見せつけてやりたい。
何か感じるかもしれないと思いました。
結果は、想像できなかった過程がありました。
結果というより、過程が全く想像できませんでした。
自分を見つめ、見つめ、描いた絵は
人の心に響いたのです。
ともかく、
私が絵の説明をした人や、
セラピーをした人は特に感じました。
それは前回記事の両親と向き合うと決めて
自己対話を徹底的にした時と近しいものが起きました。
自己対話のエモーションが他人にも起こり始めました。
これは何だ??
と思いました。
何が起きている?
共鳴なのか、
挑戦している私に皆が心を打たれた?のか
自己対話からの
本当の挑戦をしたからこそ、
体験できたものかもしれません。
ここからは、個展のアートと、個展を開いた環境について
少し書きます。
私のアートはいわゆる下手ウマだと思っています。
技術も未熟であります。
ですが、描いている最中は、
何かモチーフを観察しながら描くのではなく
抽象的なので、感覚と心や感情を模写しています。
抽象的なアートは何を描いているかは
あまりわからないです。
そして環境は、
コーヒー豆を焙煎しているカフェです。
焙煎機械があり、作業場が広く、お客さんが見物できます。
コーヒー豆を焙煎する甘い香りやスモーキな香り。
浅煎りや深煎り、豆の種類も豊富で
複雑な香りが広がります。
そして音。
コーヒー豆のガラガラという音や、
リズミカルで踊りたくなるような洋楽。
人々の楽しげな会話。
絵の説明は、聞いている人の想像力が広がります。
想像は次第に自分に置き換えます。
また絵は、今思えばとても自由な表現でありました。
いつもの想像を遥かに凌駕します。
コーヒーの匂い、
心地よい音、
自由なアート
自分の制限を越えたイマジネーションが広がります。
そんな環境でアートを鑑賞すると、
私はこれだ。とか
こんな状態になりたい って思えてくるのです。
友人の変わっていく過程が私にはとてもびっくりしました。
この絵がほしい
と発言される。
すごく自然で、ああそうなんだ。ありがとうねって
私もなる。
もちろんセラピーもそうです。
環境のおかげで心が開放的になり、
いつもは隠したい気持ちを、少し隠すけど
開放的になるのも時間的に早い。
セラピー中の
あなたが描いたこの絵は何て言っている??
という質問も、
五感が研ぎ澄まされているのでクリアになりやすい。
間違えても違うことに気づきやすい。
それはつまり、思考で考えるのでなく、
感覚で感じている。
潜在意識の奥まで潜っている。
ということなのです。
私とその人だけの対話なら難しいかもしれない。
カフェ個展だからこそ、その奇跡的な過程が生まれたと感じています。
祝福して来てくれた人の状態ももちろん加味され、
個展ができて嬉しい、来てくれて嬉しいという私の気持ちも
もちろん大きいです。
私はこの個展で
充実とひらめきを得ました。
それは素晴らしい過程、プロセスでした。
だから完璧でなくていい。
自信がなくてもいい。
やってみるって決める。
そして、自己対話をする。
そしてその日を迎えるだけです。
だから検証って思えば楽々なのです。
以上です。
長文を読んでくださり感謝いたします。
この記事で少しでも多くの方の刺激となればいいなと思います。
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