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『飛ぶ孔雀』山尾悠子 文藝春秋

 帰りの切符を失くしてしまったので、もう一泊することにした。その町は木造の建物が多く、風通しの悪い路地が這っていた。女達の世間話が宿の部屋まで途切れ途切れに聞こえ、それが止むと、屋根屋根の下にぼんやりと明かりがついた。夕餉の支度が始まったのだろう。
 薬を飲んで寝た。夜半近くに目を覚ますと、窓の外の明かりが一つもない。部屋の電球のスイッチを手探りで探し、点けようとしたが、点かない。
「停電だな。」しばらくじっとしていると、目がなれてきた。枕元にローソクとマッチが置いてある。寝ている間に宿の人が持ってきたのだろうか。ローソクの明かりで、読みかけの本を開いた。
 それは、火が少なくなってしまった街の話を集めていた。火が消えたのではない。少なくなってしまったのだ。三角州の上にできた、ぼんやりした夕日が見える街。古い市街電車が走り、物売りの声がして、銭湯帰りの足音がする。口喧嘩や葬式がある。
 全体をまとめるストーリーはなく、ただその街で語られるファンタジーが集められて(なぜか骨がモチーフに使われている話が多いような気がする)一冊の本になっている。しかも後半の「I I 不燃性について」は書き下ろしだ。きっと夢日記を元に書かれたに違いない。
 部屋の暗がりで、ローソクに照らされたこの本だけが浮かび上がっている。路面電車の女運転手に話しかけられたような気がしたのは、薬のせいだろうか。気がつくと、夭折の銅版画家、清原啓子の作品を使った表紙を眺めていた。
 もしもすべてをファンタジーとして語れるのならば、きっとその方が良い。