「非才のサッカー終活」 4年 山口泰生
平素よりお世話になっております。都市科学部環境リスク共生学科4年の山口泰生です。
初めに、日頃よりご支援いただいている、スポンサー、OB・OG含むサポーター、保護者の方々をはじめとする横浜国立大学サッカー部に関わる全ての皆様に感謝申し上げます。
ついに最後の部員ブログです。
引退ブログということで、その内容に、とりわけどのようなメッセージ性を込めるかというところに非常に頭を悩ませました。今年は現時点であまり納得がいってません。役職や立場もなかったため、伝えられるようなことがないような気がしています。凌也から申し分のないパスを受け取ったばかりですが、周りの期待に沿うような熱いブログを書けているかわかりません。保険をかけるのはこのくらいにし、一向に筆は進みませんでしたが腐れ縁山﨑がくれたアドバイス通り、ありのままを綴ることとしました。主将を経験し、3年間トップチームの試合に出続けてきた人間にしか見えないものがあると信じ、その景色を精一杯伝えられれば本望です。長く拙い文章になりますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
3個上の兄の影響で気づけばボールを蹴っていた。始めた動機も曖昧なサッカー。それでも、4歳から21歳までずっと生活の中心にあるのだから、サッカー人生が自分のこれまでの人生と言っても過言ではない。
最初に断っておきたい。自分は決して特別な選手ではない。経歴だけで言えば、このチームでは俺よりもすごい選手はたくさんいる。エリート街道を歩んだことも、ちやほやされたようなこともない。自分は、大学までサッカーを本気で続けたこと以外、平凡な1人の選手でしかない。
1番の挫折を味わったのは小学校時代。自分には才能がないということを知った。所属していたクラブでは、学年の中でBチームだった。稀にAチームに出場しても、足を引っ張るばかりでスパイ呼ばわりされることもあった。彼らには到底敵わない。ひとつの街クラブですら埋もれていた。誰もが一度は夢見るプロは、その頃から既に無縁の世界だった。
中学ではジュニアユースに上がることもできたが、部活でプレーすることを選択。おかげさまでクラブチームに相当な苦手意識が生まれた。部活で初めて自分がチームの中で上手い方という経験をした。中体連という、才能のある奴らがいない世界でのお山の大将であることを自覚しながらも、通用するという感覚が自分をサッカーにハマらせた。練習の虫になったこの3年間は自分にとってのゴールデンエイジだと思っている。
(余談ですがこの小中時代、1つ上の代で大活躍していたのが快くん。当時では関われることのない憧れの存在でしたが、いま一緒に肩を並べてサッカーすることができ嬉しいです。引退しないでくれて本当にありがとう。怪我を乗り越えたところも含めて心からリスペクトしています。残り2試合、ひとつでも多くアシストさせてください。)
話が逸れましたが、高校は横国サッカー部ではお馴染みの川和高校に進学。神奈川県でせいぜいベスト32程度の公立高校で、試合には出ていたがチームの中で頭ひとつ抜けて上手かったとか、そういうことはない。相も変わらず、潜在意識として存在した劣等感や才能という色眼鏡から私立強豪に怯え、高校3年間で彼らに一矢も報いることはできなかった。
実力はさておき、人生の中でそれなりにキャパシティを割いて取り組んできたサッカーを、大学でやめる決断はできなかった。サッカー以外にやりたいこともなかったし、兄がいたからという曖昧な意思で、このチームに入部することを選択した。
入部当初は大学でサッカーをやる価値を実感できておらず、覚悟が中途半端だった。ただ、3個上の代が引退してトップチームに定着したことをきっかけに、自分の大学サッカー生活は加速していった。ピッチの上でこのチームに受け継がれる精神を目撃し続けた3年間は、矢のように過ぎるのが早かった。神奈川県リーグ、東京都1部、東京都2部。同じ戦いは一つとしてなかった。関東昇格戦という舞台、主将、リーグ降格、関東リーグへのジャイキリ、サッカー観を変える指導者との出会い、さまざまな濃い経験をした。引退間際に、このような姿になっていることは入部時点では全く想像できなかった。それだけ自分という人間が成長した4年間だった。
このチームで過ごした4年間は特別なものだ。これからの人生の中で、間違いなく一つの原点として存在し続ける。はやめに結論を出してしまえば、自分は横国サッカー部のことが大好きである。そんな愛溢れる組織で過ごす最後の1年間。4歳から始めたサッカー人生最後の年。
悔いはないか。
完全燃焼できたのか。
目標は達成できているのか。
「「去年の借りを返しにいこう」」
そう思って臨んだ今シーズン。1年生ぶりに、良い意味で組織に囚われずいち選手として過ごすことになるため、個人の目標も大層なものを掲げていた。
自分史上最高のプレーを作る。そう意気込んだ。これまでのサッカー人生の中で、いつになく強気にみえるのは気のせいではない。これまでの大学の試合で自信をつけていた。今や関東リーグでも上位をつける神大、専修としのぎを削った2年前。あと一歩まで迫った関東昇格戦の國學院大学戦。1年前の都1部の上位陣との対決。どの試合もメンバー表を見れば、全国常連校やユース出身の奴らがごろごろいた。
そのような試合を戦っていく中で、たしかに劣る部分の方が多かれど通用する瞬間があった。大袈裟に言えば、彼らも同じ人間で大学生なのだと強く認識した。今更ではあるがそんなことに気づき、これまで自分の可能性に蓋をしていたことを少し悔やんだりもした。
そして、サッカー人生を有終の美で終えるべく、自分の中の理想のパフォーマンスを見せつけ東京都2部という舞台を圧倒し、引退を迎えようと、そう思っていた。
しかし、いつからだろうか。本気で頑張れなくなった。他のことを犠牲にしてまでサッカーに情熱を向けるのが怖くなった。
「努力は必ずしも報われない」そんな価値観が自分の中に生まれていた。
去年のブログが掲載された翌日。東京都1部リーグ最終節学習院大学戦。勝てば自力で残留を決められた試合。両校の応援部員、最終節に詰め寄ったギャラリーたちで、推定200人越えの観客席。会場のボルテージはマックス。過去最高の雰囲気で試合をすることができ、自身が1年間築き上げてきた一体感の賜物のようで幸せだった。だが、結果は1-2。リーグ降格という幕切れとなった。
届かなかった。
ほどなくして、現実に打ちひしがれた。
情けない。不甲斐ない。申し訳ない。
負の感情に襲われた。いつしか傷つくのが嫌になり、現実と向き合うことをやめた。ストレスに対して防衛反応が働くように、自然と、達成できなかったときに耐え難い苦痛を感じるくらいなら、そもそも最初から頑張らなければいいと考えるようになってしまった。もちろん就活や研究などのサッカー以外の外的要因も絡んだけれど、部活に対するモチベーションが上がり切らない状態が続いていた。
滑り出しは順調だった今シーズン。
「なんだ勝てるじゃん。」
素直にそう感じてしまった。
幼稚な価値観から目の前に熱くなりきれず、そのことをチームマネジメントや環境にかこつけて現実と向き合うことから逃げ続ける日々。
「自分が必死になれていないから」
そう言って、思うところはあっても周囲に要求せずだんまりするばかりで、偉大な先輩が見せてくれた最高学年の背中とはかけ離れていた。
大して自分のコンディションが仕上がっているわけでもなく、勝負に熱量を注いでいるわけでもないのに勝ててしまう。そんな状況に、どこか悔しさを孕んだ複雑な感情を抱いていた。
しかし、当然それほど甘くはなく、今でも尾を引くリーグ中盤での2連敗。特に都留文での敗北は堪えた。それでも被害者面をし、現実から目を背ける自分がそこにいた。
自分がやるべきことは何なのか。出場選手の大部分を後輩の名前が占める試合で求められる振る舞いは何なのか。
気づけばすっかりこのクラブにおいて大御所になってしまっている自分。昨年度は主将を務めて、残り2試合でトップチームでの公式戦出場数は60試合に到達する。そんな選手、周りを見渡しても他にいない。そんなおれにしかできないことが、いや、そんなおれだからできることが無数にあったはずだった。
周りから貼られたレッテルが嫌だった。みなおれがサッカーに情熱を注ぐことを、チームのために奮闘することを普通だと思っているのだろう。組織の理想のために、自分の努力を差し出すことを容易にできる男だと思っているのかもしれない。ひょっとすると、特別な選手だとか思っているのかもしれない。
いいや違う。とっくに情熱は出涸らしになっている。もう役職もないし、責任もない。最後の1年くらい楽しんだっていいじゃないかと思うこともある。おれは何も才能に恵まれた選手ではない。チームを勝たせる力も統率する資質も持ち合わせていない。
今年は昨年の苦しみを共に乗り越えた同期が度々怪我で離脱した。心細い。簡単に託すとか言わないでほしい。同期の気持ちとチームの勝敗を背負って勝利したときは、喜びよりも安堵が上回っている。おれの知っている、サッカーを通じてでしか得られない熱狂と感動は、どこへ行った。
そんなこんなで、今年は何度か部活を辞めようと思う時期があった。それでも踏みとどまることができたのは、大好きな同期の存在のおかげ。この学年のキャプテンとして規範になれていたかはとても怪しいが、それでもおれは皆にとても救われた。カテゴリー関係なくみんなの活躍を見聞きするのが自分の励みになっていた。誰がいつ出場しても一緒にプレーできるように、ピッチの上に立ち続けた。
現在、引退という二文字がすぐそこに迫っている時期に思うことは、このチームへの溢れんばかりの感謝である。
受身的にサッカーを続けてきた自分に挑戦の舞台を与えてくれ、ときに絶望の淵に突き落とされながら、たくさんの最高な瞬間を味わわせてくれた。自分を成長させてくれ、人生の財産となる経験をさせてくれた。喜怒哀楽全ての感情が思い起こされるこのチームが大好きだ。このチームのために死力を尽くして戦いたい。いまは切にそう思う。
シーズン初めに立てた大層な目標はぜんぜん達成できていないし、今の自身のコンディション、パフォーマンスに納得は行ってない。まだまだ高みを目指せたなと後悔が残る。幹部を経験した上での最高学年として残せるものはもっとあったと思う。それでも、今一度奮起してこのチームのために戦おう。
引退させたくないと思うような4年生になれているかはわからない。
おれが憧れた先輩たちはどんな時でも泥臭く戦っていて、そんな背中をおれも残り僅かながら見せたいと思う。
決して特別な選手ではないし、才能があるわけでもない。
だが、いまおれだからできることを、失望を恐れず勝利のために全身全霊でやらなければきっと後悔する。
こんな自分を慕ってくれる後輩のために、憧れの先輩方に恥じぬように、そして大好きな同期のために。
このチームにおいて、おれにしかできない "山口泰生" という役割を完遂する。
最後に、
お世話になった先輩方へ
沖くんに「いいなお前らはあと2年もあって」と言われてから、ここまであっという間でした。最高学年としての立ち振る舞いは結構難しかったです。関東昇格と息巻いていましたが、気づけばそのさらに手前の昇格戦を戦っていました。情けない限りです。先輩方から受け取ったものの数は計り知れません。とても感謝しています。最後の試合見にきてくださると嬉しいです。
後輩たちへ
学年やカテゴリーによっておれの見え方は異なっていると思います。マサやテル、タイチ、ヒロキなんかは理解が深い一方で、1年生とかにはめちゃくちゃ距離を置かれていると思います。残り少ないですが、自分のプレーから何かを感じ取ろうとしてくれたらと思います。また、奇しくもAとBの両方の練習に顔を出しているので、気軽に話しかけてください。喜んで自主練にも付き合ってくれると思います。
親愛なる同期へ
言いたいことはたくさんあります。まずはみんな4年まで続ける決断をしてくれてありがとう。残るか微妙なやつには電話をしたり、もう少し考える猶予を与えてくれないかと寛大に直談判したり、全員の慰留に努めた甲斐がありました。ゆっきーがスタメンに定着したり、2年ぶりに凛と快と3人でピッチに立てたり、ますますでかくなる凌也の雄叫びや関東レベルを超えた原のDF、この4年間で類を見ないバルクと安定感を見せる青木、覚醒した坂井に、、、めんどくさくなってきました。キリがないので続きはいつかの飲み会で。
あと2つ。勝てば1部昇格がそこに。
「「去年の借りを返しに」」
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