「言い訳だらけの大学サッカー」 4年 中村友星
平素よりお世話になっております。恋愛担当の中村友星です。
自分はよく周りから「何を考えているか分からない」とよく言われます。素直になってしまったらどう思われるか怖いので、すかしているんだと思います。
ですので、最後の部員ブログはサッカーに対する想いや、国大サッカー部に伝えたいものではなく、自分自身が4年間を通して心の底から感じたものを、思ったことを素直に書いてみようなんてぬるいものじゃなくて、全てをさらけ出してみようかなと思いました。当時の感情、思ったこと、どう感じたか。どんなふうに思われるか怖いですけど、大好きな国大サッカー部のみんなの前なら表現できるように思えます。木谷くんのような文才が無いので拙い文章になってしまいましたが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
ブログを書くにあたって、何事においても世界一と自負するくらい飽き性な自分がどうして20年近くもサッカーを続けているのか不思議に思う。大学生になって体育会でサッカーを続けていることに対して「すごいね!」と言われることがある。けど、俺からしたら選択肢の多すぎる大学生活でやりたいことを見つけて、自ら行動を起こす人たちの方がよっぽど「すごいね!」と思う。幼稚園の頃から始めたサッカーを大学生になって辞めるという勇気もなかったし、特にこれと言ってやりたいこともなかったから大学でもサッカーを続けた。
確かアニメの影響だったかもしれないけど、はじめたきっかけは正直覚えていない。サッカーを始めた幼稚園のサッカー教室で自分は周りより少しサッカーの才能に恵まれているんだなと小さいながら感じていた。そこから小学校から高校まで上手いやつとしてプレーをしてきた。Jユースの選考会にも呼ばれたし、選抜のキャプテンもやったし、強豪校にも自分だけはやり合えてると思っていた。これと言って何か光るものがなかった自分は唯一、少しだけサッカーの才能に恵まれたのかな。だから大学でもトップチームで活躍するのかなと自然と思っていた。
だけど、大学に入ってからは自分は井の中の蛙だったなと突き付けられた。Jユースや全国でも名のある名門校出身のエリートから、チームで中核の役割を担ってたり、10番を背負ってたりする人たち、までたくさんの自分より上手いやつがいた。こんな人たちが仲間であるのが心強いなと思うと同時に、こいつらとスタメン争いをするのはきついなとも思った。
それでも、自分はトップチームに出て、活躍できると信じてたし、やってやるとも思っていた。大学1年生では一番下のカテゴリーでの1ゴールのみだった。だけど、学年が上がって、穴埋めとしてトップチームの上がれることになった。トップのサッカーのレベルは全く違った。1対1も全然勝てないし、鳥かごではずっと鬼だった。それでも何とか、来年はトップチームで活躍できるかもしれないと言い聞かせて何とか乗り切り、3年生の前期では何試合か出場することができた。
トップチームでプレーをすること以外は何の意味もないと思っていた自分にとっては幸せだった。
教育実習で、数週間チームを離れたが、後期からまたすぐに試合に出られるだろうと思っていた。だけど、実習から戻ってきてから一向に試合に出られる雰囲気がなかった。別のメンバーがトップの試合には出て、自分は試合もメンバー外、下のカテゴリーの試合に出ることが多かった。
リーグ後期では完全に試合に出られないなと悟った。
そんな事実認めたくなかった。
それからは、練習が苦痛で行きたくなかった。
すべてがどうでもよくなった。
絶対に今年でサッカーを辞めてやると思ってた。
見返すために頑張ろうともしなかった。
トップチームの応援をするときも、素直に応援できなかった。
チームが勝っても全然嬉しくなかった。
勝ったあと、嬉しくないのに嬉しそうして、作った笑顔でみんなとハイタッチをするのが苦痛で仕方なかった。
いつの間にか、上手くないけど必死に声を出すやつ、Aチームで出れないのにBチームで頑張るやつ、声を枯らすまで応援をするやつ、強豪相手に満身創痍で頑張るやつ、自分には全員ダサいと思うようになった。
「応援に行きたい!」と言ってくれる人たちに自分がBチームでプレーする姿を見せたくなかった。
そんなに頑張ってトップチームで出られなかったらどうするのって、負けたらどうするのって、何の意味もないじゃん。
だけど本当はスタメンやカテゴリーの争いに本気で向き合って、真剣勝負をすることが怖かった。
結果がすべてのAチームのスタメン争いで明確な結果を突き付けられるよりも、チャンスさえ貰えれば、時期さえよければ、怪我さえなければ、実習さえなければ、活躍できるからと言い聞かせて、必死に頑張る理由を消してしまう方が自尊心も傷つかなかったし、結果と向き合わせられることも無かったから楽だった。必死に頑張るやつにダサいというレッテルを貼って、自分はあんなダサいやつとは違うと言い聞かせることで真剣勝負の世界から逃げた。自己保身に走った。挫折から逃げ続けた。
だけど、そんな自分が一番ダサいことなんて自分が一番よく分かっていた。
「言い訳なんていくらでも探せる」去年の監督が言っていた言葉、言い訳探しの日々を送っていた当時の自分には痛いほど刺さった。
大学サッカー4年目、最後の年、残り1か月。まだ必死になれない自分がいる。自己保身に走りそうな自分がいる。逃げる理由を探そうとしている自分がいる。ダサい自分がいる。
大好きな国大サッカー部1部昇格のために、逃げ続けた自分自身のために、どんなにダサくても、醜くても、できることを本気で取り組む。今、本気になれなかったら絶対に後悔することなんて自分が一番分かってる。
すかしたプレーをしたときや、あいつかっこつけてんなと思ったら遠慮なく、「かっこつけんな、ダサいぞ」と言ってやってください。
国大サッカー部の選手らしく、泥臭く、熱く、魂でプレーをする
残り約1か月国大史上、一番かっこ悪くてかっこいい中村友星になる
恋愛担当 中村友星
そして最後になりますが、日ごろから国大サッカー部に関わる全ての関係者様、後輩や同期、スタッフ、両親のおかげで、充実した大学サッカー生活を送ることが出来ています。本当にありがとうございます。4年間、自分でも知らなかった様々な感情と出会い、国大サッカー部と共に成長できたと感じています。間違いなく22年間の中で一番どん底に落ちましたし、一番の喜びも経験することができました。自分はまだサッカーを続けるのか、サッカーをやめてしまうのか決めかねています。新しいことに挑戦するのにも、このままサッカーを続けるのにもどちらにせよ、この4年間で経験したことはこの先も僕の中で壊さないように大切にしていきます。これからも温かくも冷めた目で見守っていただけると幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。
横浜国立大学体育会サッカー部 中村友星